今日は友人が来る日、だ。ちらりと時計に目を配らせ、微かに微笑を浮かべる。その後、の目の前で座って本を読んでいるレンに視線をめぐらせた。彼には言っていない。
 そう、友人が来ることを。彼はどうやら人見知りをする様子なので、友人が来るといったら一目散に自分の部屋へと逃げてしまうだろう。
 友人は、音楽の仕事をしている──いわゆる、プロ、なのだ。はレンにオリジナル曲を作るのが壊滅的に下手なので、友人に手伝ってもらい、レンにオリジナル曲をプレゼントしようと思っていたわけだ。確か、最近、友人はボーカロイドを買ったと言っていたし、調教が下手なにも、色々と教えてくれるだろう。

 むふふん、と心の中で笑みを浮かべていると、レンがの視線に気付き、読んでいた本をパタンと閉じた。怪訝そうな表情で、と視線を交える。


「……なに、マスター。今さっきからおれのことばっか見てさ。集中出来ないんだけど」
「ん? ああ、ごめん。あんま気にせずに続けて」


 続けて、って言われても、とレンは頬を赤らめて続ける。


「マスターに見られてたら、恥ずかしいじゃん」


 レンはわずかに瞳を伏せると、口元に手を当てた。恥ずかしそうにから顔をそむける。かわいいなあ。によによと笑みを浮かべていると、誰かの来訪を告げるチャイムの音が鳴った。
 来た、のだろう。は座っていたソファーから立ち上がると、玄関へと向かう。その後ろを、申し訳程度に音を立て、レンがついてきた。急かすように扉が叩かれる。はいはい、と声を出して鍵を開け、扉をひらく。友人が立っていた。


「やっほー」
「ん、やっほー。来てくれてありがとう……」
「始めまして、マスターの友達」


 友人を招きいれると同時に、影から飛び出してきた男の子。後ろに控えていたレンが、かすかに音を鳴らして息をのんだ。
 友人はレンを見ると、「あ、一緒のボカロなんだ」と言って笑みを浮かべる。男の子は扉の隙間に体を滑り込ませ、の前に立つと、微笑んだ。


「俺、鏡音レン。よろしく、マスターの友達」
「え、あ、よろしく」


 男の子──レンは、に向かって手を差し出してきた。握手をしよう、ということなのだろう。からも手を差しのばそうとして、けれど誰かに遮られた。
 小さな手に、又、もう一つの小さな手が握られている。レンが、の代わりに友人のレンと握手していた。彼は微かに鼻を鳴らすと、言葉を発する。


「おれ、鏡音レン。こちらこそよろしく、マスターの友達の鏡音レン」
「……ああ、よろしく」


 友人のレンはかすかに首を傾げて、を見た。あはは、と笑いを零すしかない。のレンの肩を持ち、


「ごめんね、ちょっと……。よろしく、レン──レン君、で良いかな。の名前は


 僅かに苦笑を交えた声音で続ける。レンがむっとした表情を浮かべ、に視線を送ってくる。レン君は頷いて見せると、の名前を確認するように呼び、笑う。


「よろしく、さん」
「……」


 レンが何で名前を教えるんだよ、と口パクでに伝えてくるが、そこはスルーしておく。名前を教えるのは、常識だろう。しかも相手は、礼儀の正しい子だ。教えないなんて、……非常識にも程があるでしょ、と言う訳にもいかないので、レンを僅かにジト目で見ると、彼は黙り込んでしまった。

 友人が家の中へ入り込み、早速、と言った様子でパソコンの前に座り込む。はずるずるともう一つ椅子を持ってきて、友人の横に座った。パソコンを起動し、ちゃんと立ち上がったところでDTMを起動した。
 友人が「そうだ」と言って振り向く。も次いで振り向いた。友人はレン君に「ちょっとのレンと遊んでおきなよ」と微笑を向けた。

 手持ち無沙汰に立っていたレン君は「わかりました、マスター」と言って、レンの手を取り、「ちょっと話そうぜ」と人好きのする笑みを浮かべた。
 レンはに戸惑いを浮かべた瞳を向け、「マスター」と縋るようにを呼ぶ。なんでそんな声を出すのだろう、と思いながら、は「レンの部屋で遊んできなよ」と笑みを浮かべた。レンがとレン君の顔を交互に見、逡巡した後、小さく「……わかりました」と呟き、レン君と共に部屋へと向かった。

 と友人はいそいそとパソコン画面へ向き直り、DTMで曲を作り始める。主旋律は出来ているので、それを友人に駄目出ししてもらったり、肉付けしてもらったり──。作業はとても楽しく、有意義だった。
 曲を作ってる最中、友人はに問い掛けてきた。


「なんで、急にわたしを呼んだの?」
「ん……、いや、って曲書くの下手だからさ、プロに意見を聞きたいなあ、って」
「それだけ?」


 友人の探るような瞳に、笑みを浮かべる。この人には、隠し事をすることが出来ない。そっと息を吐くと、続けた。「と、レンがさ」


「出会って、半年なわけ。もうすぐ。だから、ちゃんとした曲書いて、プレゼントしたいなあって」
「ふうん……」


 それきり、会話は途切れた。何かまずいことを言っただろうか、と心配になるものの、作業は続行していたので、あまり気にしないことにした。





「……なあ、俺、思うんだけどさ」
「なに」


 ──何をすることもないので、おれとレンは、二人でゲームをしていた。この前、マスターが買ってきたやつ。アクションゲームで、マスターと対戦すると、いっつもオレが勝ってた。マスターはアクションゲームのコマンドを入力するのが下手みたいだし、おれはこういったのがどうしてか得意みたいだから、勝つのは当然、みたいな感じだ。
 ただ、レンはおれと同様、こういったゲームが得意なようで、対戦は接戦となっていた。レンはがちゃがちゃとコントローラーを弄くりながら、続ける。


「お前のマスター、プロデューサー名はあるわけ?」
「……プロデューサー名?」


 なんだ、それ。一瞬考えた隙を突かれたのか、おれのプレイしているキャラクターがコンボを決められて地に伏す。──負けたことなんて、無かったのに。おれはわずかに眉をひそめて、画面を見つめた。レンが「そう」と言って、コントローラーから手を離し、おれと視線を合わせてくる。

 なんというか、自分と同じ背格好、同じ声、同じ顔の奴に見つめられると、不思議に居心地が悪くなってくる。視線を逸らしたいものの、逸らしたら負けな気がするので、おれはじっとレンを見つめた。
 答える声は、無愛想なものになってしまった。


「……無いけど、っていうか、なんだよ、それ」
「ん? ってことは、さん、動画投稿してないんだな」
「……」


 マスターの名前、おれだって呼んだこと、ないのに。不機嫌が顔に出たのか、レンは顔の前で手を振ると、「別に、それが悪いことだって言ってるわけじゃないからな」と言って、すっくと立ち上がった。
 何をするのだろうか。見上げる形になりながら、レンを見つめる。


「な、じゃあさ、曲は今までどれくらい貰ったんだ?」
「……片手で足りるくらい」
「へえ。少ないな」
「……」


 カチンと来た。マスターを馬鹿にされているようだ。


「なんだよ。マスターを悪く言っているのか」
「別に。動画投稿もしてないし、曲も少ない、か……」
「そういうお前はどうなんだよ」
「俺? 俺は、マスターがプロだからさ、多いよ、やっぱ。マスター気に入るまで俺のこと調律するし、曲が気に入らなかったら投稿することもないし……、うん、多いよ、めちゃくちゃ多い」


 咎めるような口調で、詰問するように言ったのに、レンはすらりとその問いに返すと、笑みを浮かべた。だんだん、レン──コイツがむかついてきた。質問がぞんざいなものになる。
 レンは得意げに俺の言葉への返事をすると、にっこりと笑みを浮かべた。


「……そ」


 何故だか悔しくて、どうしようもなくいやで、答える声が簡素なものになってしまった。レンは笑い、続ける。


「マスター、調律も上手いんだ。やっぱプロって良いよな」
「そーかよ」


 なんだよコイツ。マスターの自慢するためだけに、おれのところに来たのか。
 おれだって、マスターのこと自慢できる。マスターの作る歌は全部歌いやすいし、おれのことを本当に好きで作ってくれてるって、わかる。
 マスター優しいし、おれがどれだけつんとした態度を取っても、全然、怒ったりしない。
 マスターのこと、おれはきっとコイツよりも好きだ。自分のマスターを大好きと思うことなら、オレは誰にだって負ける気はしない。……比べるようなもんじゃないけどさ。

 レンはいいことを思いついたかのように手を合わせ、嬉しそうに笑う。


「なあなあ、ちょっと俺のところに来ないか? お前と俺、全然声質が違うみたいだし、きっと得意とする音域も違うだろ?」
「そんなわけないだろ。おれとお前は同じだよ。……同じ鏡音レンなんだから、さ」


 答える際、どうしてか胸の奥が痛んだ。……何故か、なんて、知っているし、分かっている。おれと同じ鏡音レンが現れた、こと。それは本当にどうしようもなく──嫌、だった。
 かすかに顔を俯かせると、レンは「ああ、うん、そうだよな。でも、お前、知らないのか? 俺たち、それぞれに、性格が違うだろ?」と首を傾げた。そんなこと知らない。第一、オレ以外のボーカロイドに会ったのは、今日が初めてなんだ。
 首を横に振ると、レンの驚いたような声が聞こえてきた。……なんだよ、と悪態を吐きたくなる。


「……まあ、違うんだよ。俺たちは互いに。性格が違うと、わずかに得意とする音程、それに声音も違ってくるんだ。俺とお前の声、違うだろ?」
「へえ。初めて知った。……でも、だからって、お前のところに行くつもりはないし、おれのマスターだって、そんなこと、賛成しない」


 第一、お前の家に鏡音レンが二人も居たら、どっちがどっちか分からなくなるだろ、と言いかけて飲み込んだ。言葉が、そのまま自分の心の奥底に沈んでいく。
 どっちがどっちか、わからなくなる。もし、鏡音レンが、二体、居たら。おれのマスターは、おれのことをわかってくれるだろうか。
 ……わかるわけがないだろうな、と思う。マスターから見ると、どうせおれたちは同じにしか見えない。小さく息を吐いて、おれは言葉を止めた。レンが「本当にそう思うのか?」と心の奥底を見透かしたような言葉を吐いてくる。


「なあ、じゃあさ、入れかわってみよーぜ。きっと楽しい。どうせ、わかんないだろ、俺のマスターも、さんも、どっちがどっちかなんて」


 何だよこれ。どこのB級映画だ。こんな言葉で揺さぶれるとか、オレは馬鹿か。
 オレは目の前のレンをきっと見据えると、自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。


「ふざけるなよ。お前、自分のマスター好きなら試すようなことなんて、するなよ」
「……別に、そういうつもりで言ったわけじゃねーけどな。ただ、なんとなく思っただけ」


 なんとなくでこんなこと言うなんて、最低な奴。心の中でそんなことを思って、もう一度ねめつける。レンは苦笑を浮かべると、「悪いなー。じゃあさ、オレの歌声聞かせてやるから、それで許してくれよ!」と言って、すっと息を吸った。
 ……聞きたいなんて言ってないし、許すとも言ってない、そう思いながらレンを見つめた──とたん、素晴らしい歌声が耳朶を打った。


「……え……」


 思わず、声が漏れる。同じ様な奴だと思っていたのに。おれと、この鏡音レンの歌声は、何かが違っていた。滑舌のこともあるし、ブレス、それに音の繋ぎ目、ビブラート。全て、違っていた。
 レンは歌い終えると同時に、どうだよ、と言う風におれを見る。


「──凄いだろ。マスターが作ったんだぜ。調律だって、全部、マスターだ。なあ、オレ、お前の歌う声、聞いてみたいな」
「……」
「? レン?」


 圧倒的な壁、なんていったらマスターに失礼だと思うけれど、そうとしか思えなかった。コイツが誰かの目の前で歌うことに長けているなら、おれは長けていない。というより、張り合うまでのレベルに達していない。
 正直、感嘆するほどの歌声を聞かされた後で、どうしてオレは歌うことができる。


「……やだ」
「? なんでだよ。お前、マスター好きなんだろ。だったら、歌って見せろよ。それがマスターへの一番の忠誠の証だろ」
「──なんでお前、そんな声が出るんだよ」


 響くような高い音、這うような低い音。どれも、オレには、綺麗に出せない音だ。レンは僅かに肩をすくめると、「マスターの力量だろ。後は……そうだな」と言って、頬を赤らめて笑った。


「俺、一応、練習してるし。自分でも」
「……は?」


 オレたちはどれだけ練習しようと、マスターの力量が向上しない限り、美しい声を出せないというのに、練習? 思わず耳を疑いたくなる。レンは恥ずかしそうにはにかむと、続きの言葉を口にした。


「そう。練習していると、マスターが調律してくれたとき、練習した音程はしっかり出せる気が、するんだよな」
「……」
「多分、勘違いだろうけれどさ。俺たちとマスターって、いわゆるパートナーみたいな関係だろ。俺はマスターに調律されないと歌えないけれど、マスターの歌は俺が歌わないと、誰にも聞かれることなく、終わってしまう」


 まあ調律するのも曲書くのもマスターの仕事だけどさ、と続けて、レンは苦笑を浮かべた。


「でもさ、マスターが頑張ってるのに、俺だけ頑張らずにそういうの享受するって……、嫌だろ。だから、練習しちゃうんだよな」
「そーかよ」
「そーだよ」


 笑うレンの顔は、嬉しそうで、どうしてかオレは胸が痛くなった。





「じゃあ、これで良いかな。わたし、帰るね」
「え、ちょっ、調律! 調律の仕方教えてよー!」


 曲が出来上がった途端、友人はさっさと帰る準備を始めてしまった。焦る。調律、調律の仕方を聞きたいというのに……! は曲を書くのも下手だし、調律を行うのも、下手だ。……正直、どうしてボーカロイド買ったわけ、といわれてもしょうがないかもしれない。
 友人は僅かに笑みを浮かべると「頑張れ!」と言って、次いで声を出し「レン!」とレン君を呼ぶ。
 とたん、レンの部屋の扉が開き、レン君が出てきた。笑みを浮かべている。それとは対照的に、レンは顔を俯かせて、寂しそうにしていた。どうしたのだろう。近づいて、名前を呼んだ。

「レン?」
「え、あ、ます、た……」
「どうかした? なんだか様子がおかしいけれど」
「……べ、別に、何にもねーよっ」


 ……? レンにしては素直じゃない。僅かに首を捻りつつ、そう、と返事をする。とたん、彼は暗色に表情を染め上げ、と視線を交わす。
 どうしたのだろう。瞳の色からは、何を読み取ることもできない。そのまま数秒が過ぎて、友人の「おじゃましましたー」という声で我に帰った。

 友人とレン君はもう扉のノブに手をかけていた。が二人に近づき、「ごめんね、ありがとう」と謝罪と感謝を述べると、友人は笑い「調律は、頑張りなよ。自分で」と耳に痛い言葉を残し、去ってしまった。レン君は礼儀正しく頭を下げた後、「また来るから! じゃあな、レン!」と言う言葉を紡ぎ、すぐに友人の後を追って去ってしまった。後に残るのは静寂だけだ。
 ひらひらと手を振った後、はレンに向かい直ろうとし──止められた。もちろん、レンによってだ。
 彼はの腰に手を回し、ぎゅっと後ろから抱きしめてきた。突然の行動に焦る。


「……え、な、どうしたの、レン」
「……おれ、マスターのボーカロイド失格だ」


 なんという自嘲的な言葉。どうしたんだ、本当に。どうにかして彼へと視線を向ける。彼は僅かにまなじりを赤くし、悲愴な表情を浮かべていた。


「レン?」
「鏡音レンが一杯居るのも嫌だし、マスターの歌、歌えなかったのも……ホント、許せない。おれ、マスターのこと好きなのに、どうして歌えなかったんだろ」


 レンの手をゆるゆると解き、は彼に向き直った。彼は僅かに顔を俯かせ、辛そうに声を出した。


「練習、するよ……おれ、これから、絶対……。他の鏡音レンに負けないくらい」


 この短時間の間に、レンに何が起こったのか、には良くわからない。首を捻るものの、答えは浮かんで来ない。どうしようもないので、ぽつりぽつりと水滴が落ちるように紡ぐレンの言葉に耳を傾ける。


「おれ、やだなあ……、鏡音レンがいっぱい居るの、やだな」
「そかー」
「……。……今さっき、アイツに言われたんだ。「入れ替わろう」って。「どうせわかりっこない」って。ねえ、マスター。マスターはおれのこと、わかってくれるよね……。一杯鏡音レンが居ても、わかってくれるよね」


 ぎゅ、と手を握られる。は気付かれぬように嘆息を漏らすと、レン君のことを思った。なんということを言ってくれたのだろうか。言葉で「わかるよ」と言うのは簡単だ。ただ、彼はきっとそれだけじゃ満足しないのだろうなあ、と僅かに肩を落とす。
 レンが、信じてくれるように言う。難しいなあ。

 そっと息を零すと、はレンの肩を持って、顔を近づけた。触れるか触れないか程度のキスをすると、そのまま続ける。


「大丈夫。わかるよ。だって、の……、の好きなレンは、レンだけだから、わかる。絶対に」


 レンは唖然としたような表情を浮かべていたが、すぐさま頬を赤くして、唇を抑えた。
 彼はそのままそっと目を伏せると、小さく頷いた。次いで、唇を抑えていた手をそっと離し、「おれ」と震えた声で続ける。


「おれだって、マスターのこと、好き……、大好き、だよ。マスターしか要らない」
「……やーだなあ、恥ずかしい台詞だー」
「これから、頑張るよ。マスターがおれの為に作ってくれた曲、何回だって練習する。今日はアイツの前で歌えなかったけれど、絶対に次は歌う」


 そっか、と続けて、笑う。レン君の前で歌えなかった、という言葉がひっかかるものの、あまり深追いせずに放っておくべき、だろう。
 レンはに顔を近づけると、嬉しそうに笑った。


「だから、次に、次、アイツが来た時、おれがきちんと歌えたら、マスター、次はおれからするから」
「……何を」


 おれからって、何をだ。本気で。真摯に問い詰めると、彼は艶やかな笑みを浮かべ、の唇にそっと指先を触れさせた。……なんていうか、まあ、うん、良くわかったっていうか。どうしようもないので、「何言ってるの」と、小さく頭を叩いておいた。

(終わり)

 終わりです……オチも何もないような……。
 時雨様、このようなものでよかったでしょうか。良くわからない上に、友人のレンが貫禄ある感じにならなくて……、申し訳ないです;

2008/05/05
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