幸運の星から離れて 3


 平地を囲うように生えている木々に視線を向ける。誰も整備していないのだろう、囲うように生えている雑草が、風にのって揺れる。
 パンツが地面につかない様に、正座をした足の皮膚に、草の柔らかさを感じる。木々に向けていた視線を下ろして、地面へと向かわせる。平地を埋め尽くすように生えているシロツメ草を、指先で千切った。

 千切ったシロツメ草を、鼻に近づけると、僅かな青臭さが鼻腔を突いた。白い花の匂いは、わずかにしかしない。手を下ろし、シロツメ草をその辺に放る。こんなところをマスターに見られたら、怒られるだろうか。身勝手に草の命を奪い、放るおれを、マスターは怒るかもしれない。

 そう考えると、先ほど千切ったシロツメ草に異様な申し訳の無さを感じた。……さっき投げたシロツメ草、探して植えなおしてやろう。それで、どうなるという訳ではないけれど。小さく、溜息のようなものを漏らして、地面に手をつけた。投げた方向の地面に顔を近づけ、茎が途中で切れているシロツメ草を探す。

 青い匂いが、むんとおれに襲い掛かってくる。わずかに眉をひそめてしまった。千切れたシロツメ草は、見つからない。

 そのまま、何十分か、地面に四つんばいになるような姿でシロツメ草を探したけれど、見つからなかった。──大きな溜息をつくと同時に、背中に軽い重さを感じた。何事かと、顔を上げ、振り返る。背中に、ミクが座っていた。


「……何してるんだよ、ミク」
「なんだか椅子みたいな格好しているなあ、って思ったんです」


 スカートからすらりと伸びる四肢を動かし、ミクはおれの背中から立ち上がった。おれも四つんばいから立ち上がり、じんわりと手のひらに帯びた湿り気を払うように手をはらった。ミクの零れんばかりの大きな瞳がくりくりと動き、おれと視線を合わせて、柔らかな色に染まる。

 それにしても、椅子。自分の四つんばいになっていた格好を思い出し、小さく息を吐く。例え椅子のような格好をしていたとしても、背中に座るやつが何処に居るのだろうか。此処に居る、という答えは期待していない。

 第一、おれが振り返りもせずに立ち上がったら、おれの背中に軽く体重を預けていたミクは、必ず転ぶだろう。そういうこと、ミクは考えていたのだろうか。
 思わず白い視線を送ってしまいそうになるが、それを寸でのところで押しとどめる。無言になってしまった。何て言おうか、と思考を巡らせる。ちょっとして、ミクの桜色の唇が開いた。


「レンさんこそ、何をしていたんですか」
「おれ──?」


 ……シロツメ草を探していた、というのは何だか恥ずかしい気がした。はらっていた手のひらを下ろし、困ったように笑う。境界線を引いた、──つもりなのだけれど、ミクには伝わっていないだろう。微苦笑を浮かべる。


「……別に、なんとなく見ていただけだよ」
「そうなんですか」


 会話終了。素直に頷くミクを見ながら、ぼんやりと、正直に言った方がよかったのか、と考える。もし、正直に言ったらどうなっただろう。……きっと、ミクはおれのシロツメ草探しを手伝ってくれただろう、と思う。笑いながら、ワタシも手伝いますよ、と言ってくれただろう。
 でも、別に手伝ってもらうほどのことでもないし。考えたことを吐息と共に落とし、ミクに笑みを浮かべた。


「カイトのところ、行く?」
「ああ、はい。そうですね」


 ミクの表情に浮かんだ笑みに、どことなくほっとしながら、歩を進めた。向かう先は真直ぐ、カイトの所だ。
 ここには、沢山のカイトが居る。けれど、一人一人、品番が違うので、ボーカロイドには誰がどのカイトか、すぐにわかる。人間からしたら、きっとわけがわからないだろうけれど。

 カイトは何処だろう。周りを見渡し、探す。ふいに、手のひらに温かなものが触れてきた。見ると、ミクがおれの手のひらを控えめに握っている。

 ミクに視線を向けると、彼女は微笑み、あっちですよ、とだけ言葉を零して足早に歩き出す。それに遅れないように歩を進めながら、手のひらの熱に意識を向けた。
 柔らかな熱をおれと共有するそれは、けれど、どこか人間のものとは違う。……ボーカロイドなんだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど。

 カイトは、他のボーカロイドと談笑をしていた。話している人物は、メイコだ。おれたちより、ずっと前から此処に居る。時折、喋る程度の仲なのだけれど──。カイトが何かを喋り、メイコが笑い、カイトの肩を軽く叩く。カイトが苦笑を零しているのが見えた。

 二人は、おれとミクが近づいていくと、それに気付いたのか、同時に笑みを浮かべて手まねきをしてくる。ミクの歩く速度が速くなった。


「メイコさん、カイトさん!」
「やあ、レンくんにミクちゃん。どうかしたのかい」


 二人の近くにつくと、ミクの手のひらがするりとおれの手のひらから離れた。別段、それを物悲しいとか、寂しいとかは思ったりはしない。相手がマスターだったら、そう感じたかもしれないけれど。

 ミクが口唇の端を持ち上げて、頬を軽く染めながら、笑う。唇から弾んだような声が漏れた。


「一緒に話したいなあ、って思って」
「そうなんだ。オレはいいよ。メイコ姉さんは?」


 カイトがメイコに視線を向け、軽く首をかしげる。メイコは軽く笑みを零すと、頷いた。あたしだって良いわよ、唇がアルトの美しい声を紡ぎだす。

 メイコは、活発そうな顔立ちをしていた。きりりと上がった眉は美しく、瞳の色は髪と同じ薄茶色、肌を覆う服は面積が少なくて、どことなく扇情的な雰囲気をかもしだしている。すらりと伸びる四肢は、健康的なミルク色をしていた。

 一般的な、素体、メイコタイプ。ただ、マスターの好みによってメイト、というものに改造されるメイコも居るらしいが、それは一旦、置いておくことにする。おれは、メイトを見たことがない。ただ、居る──というのを知っているだけだ。

 ボーカロイドの改造には膨大な金と、やはり膨大な知識が必要となるので、作った後に棄てるやつなんて居ないのだろうと思う。棄てる奴なんて気を違っている奴だけだろう。亜種、とよばれる改造されたボーカロイド達は、中古だとしても非常に高く売れる。おれたち、普通のボーカロイドは、中古では、売れない。改造されたならいざしらず、おれたちボーカロイドは、マスターの登録は一生涯に一人だけしか出来ないのだ。

 メモリの消去も出来ず、ただ一人、自身を買ってくれたマスターだけに、尽くすことしかできない。


「じゃあ、何を話そうかしら」


 ふと聞こえてきたメイコの声に、頭の片隅へと行きかけていた意識を取り戻す。メイコは、その大人びた端正な顔に笑みを浮かべると、その場に座りこんだ。カイトもミクも、それに倣って座り込む。おれも、腰を下ろした。きちんと正座をする。それが気にかかったのか、メイコはおれと視線を合わせると、首を軽く捻った。メイコの、長い指先がおれの足を指差す。


「……なんで正座なんかしているのよ」
「ちょっとさ。別に良いだろ?」


 境界線を引いた。草から滲む汁でパンツが汚れるから、と答えるのは、なんとなく嫌だった。──言ったらきっと、別に良いじゃないの、と言われてしまうような気がしているから、なのかもしれない。きっと、疑惑に満ちた視線を投げかけられながら、首を捻られるだろう。
 そうなったら、理由も訊かれる。答えなければならなくなる。何故か、理由を答えるのは嫌だった。

 メイコは追求するな、という意思に気付いてくれたのだろう。ふうん、と鼻から漏らす吐息のような返事をして、指先を下ろす。
 それから、マスターの話に移った。ミクのマスターに関する話の食いつき具合は、凄い。マスターの良いところを並び立て、嬉しそうに何度も頷きながら、自分だけの世界を築いていく。別に、それがどうってことでもない。

 カイトは、おれに会った当初、わずかにマスターの事を話した以外、あんまり話したがらない。メイコも、だ。それは、きっと──。


「それでですね、マスターの調律はとっても上手でっ」
「ふうん……凄いわねえ、ミクのマスターは」


 ──彼女の、片方の瞳が無いことに関係しているのだろう、と思う。

 ミクの話が終わったのは、夕方過ぎだった。長い。話しすぎだろ、と思う。ものの、なんとなくミクに対する羨望の気持ちがあるのを、感じる。おれはマスターのことについて、あそこまで時間を忘れて話すことが出来るだろうか。

 考えて、そっと吐息を吐く。出来るに決まっている。マスターへの想いはきっと、おれもミクと同じくらい──いや、それよりも、深い。……はずだ。

 マスターの泣き顔を思い出して、俯き、目蓋を閉じる。頭を撫でると、今もあの、髪の毛が柔らかく擦れる感触が皮膚に伝わってくるのだろうか。肩を叩く際に触れる、あの肩の形は、今も変わっていないだろうか。
 変わっていないに決まっている、と思う。けれど、もう──数年経っているのだ。もしかしたら、変わっているかもしれない。

 目蓋を開いた。例え何が変わっていようと、おれのマスターはマスターのままだ。別段、どんな風になっていようと、おれからのマスターに対する想いは、変わりようがない。

 話を終えたミクは、満足気に笑みを浮かべて、小さく息を吐いた。二人はミクの長いマスター自慢話に呆れていないだろうかと、視線をめぐらせてみる。カイトもメイコも、どちらも優しさで彩った笑みを浮かべていた。


「良いマスターを持ったのね」
「ええ、もちろん。ワタシのマスターは、世界で一番、良いマスターですっ」
「あら。あたしのマスターだって、世界で一番良いマスターよ」


 挑発するように紡がれた言葉に、ミクが頬を膨らませる。一触即発、とまでは行かないけれど、僅かに怒った様子を見せるミクに、カイトが苦笑を零した。メイコが次いで、笑い声を零す。ミクの頬がへこみ、ごにょごにょと聞き取りにくい言葉を紡ぎだす。


「わ、ワタシのマスターが一番ですっ」
「そんなことを言ったら、オレのマスターも一番良いマスターだなあ」


 カイトが口元に手のひらを当てながら、笑みをにじませたまま、言葉を紡ぐ。ミクが、カイトさんまでっ、と悲嘆にくれた声を出すのが聞こえた。
 ──これは。カイトとメイコに視線を向ける。二人は、含みのある笑みを浮かべておれに視線を返してきた。

 わかったよ、やる。おれからも笑みを返し、唇を開いた。


「おれのマスターも、世界で一番、良いマスターだよ」
「れ、レンさんまで……っ」


 ワタシのマスターが世界で一番、良いマスターなのにぃ……。悲愴さを含んだ声音で紡がれた言葉に、思わず笑いを零してしまった。声はなんとかして抑えたけれど。肩を落とし、項垂れるように顔を俯かせるミクに、メイコがにやにやとした笑みを浮かべる。カイトがその横で、僅かに苦笑を浮かべていた。

 いじめているつもりはない。実際、どのボーカロイドにとっても、自身のマスターは自身の一番なのだろうと思う。

 こんなことを言っているところを、棄てられたわけではないボーカロイドが見たら、どう思うのだろう。きっと、おれたちを嘲笑われるのだろう、と思う。棄てられたボーカロイドと、棄てられずに居るボーカロイドの間には、隔絶するような差があるはずだ。

 おれたちにとってマスターが世界で一番でも、マスターにとっておれたちは世界で一番ではなかったということを如実に表しているのが、この現状なのだから。

 そんなことを思いながら、ミクを見る。わずかに肩が微動しはじめた。
 ……泣く、かな。心の中でそんなことを思い、溜息を零した。先ほど思った言葉を口にする。


「どのボーカロイドにとっても、マスターは一番の存在だろ。ミクのマスターも、ミクに世界で一番良いマスターだって思われていたら、別にそれで良いと思うんだけど」


 ミクの顔があがる。まなじりが僅かに赤い。やっぱり泣くつもりでいたのか、と視線を逸らした。逸らした先にメイコの顔があり、視線が合うと、彼女は嬉しそうに微笑んだ。そうね、と、ともすれば風の音に、掻き消されそうな声音で同意を示すのが聞こえた。

 カイトがミクの項垂れた頭に指を伸ばし、撫でる。


「そうそう、ミクちゃん。レンくんの言う通りだよ。あんまり気にしないで、ね」
「うう……なんか釈然としません……」


 恨みを紡ぐように、ミクにしては低い声で紡がれた言葉に、カイトが笑った。ミクの機嫌がそれでますます悪くなる。それに焦ったのか、カイトは立ち上がると「ちょっと待っていて」とだけ言葉を口にし、どこかへと走り去ってしまった。駆けていく後ろ姿を見ながら、小さく溜息を零す。

 何をしに行ったのだろう。なびくマフラーが、消えていくのを身ながら、視線をミクへと戻した。ミクは項垂れていた顔を上げ、おれと視線を合わせる。

 わずかな緊張が走った。ミクはまだ、ぐずぐずと鼻を鳴らしていたし、もしかしたら泣き出す危険性がある、という思いがあったのだ。何も言えずに、ただ苦笑を浮かべると、ミクの視線が外れる。ミクはメイコへと視線を向けると、ずるずると身体を動かして膝を抱えた。


「……メイコさんのマスターは、どんな人だったんです?」


 メイコが苦笑を零すのが、見えた。入ってくるな、という境界線を引いたのだと、ぼんやりと思う。けれど、ミクにはそれがわからないのだろう。怪訝そうに首を傾げ、メイコさん、と語尾を上げ調子に名前を呼ぶ。

 ……おれは、立ち去った方がいいだろうか。今からでもカイトを探して、どこかへと行ったほうが良いのかもしれない。居心地の悪い無言が場を包み、どことなく申し訳なくなってくる。視線を下ろし、そこらへんの草を弄った。

 メイコが溜息を吐くのが聞こえた。


「あたしのマスターは、弱い人だったわ」


 ミクが息を潜めるのがわかった。……おれは、寝ているふりをしたほうが良いのだろうか。居心地悪く視線をメイコへと向けると、真直ぐとした視線で見返された。
 弱い人、というのは、精神的に弱い人のことを言っているのだろうか。


「マスターは、他人からの評価ばかりが気になって、自己嫌悪に陥って、あたしのことを殴ってきたわ」


 なんとなく、想像がついた。メイコの片方の瞳が無いのも、結局は──暴行を加えた際の末路、というものなのだろう。殴るだけでは物足りなくなったのかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えて、顔を伏せる。

 ボーカロイドに、暴行を加える人が居る──、それは性的嗜好での暴行であったり、ただたんに鬱憤を晴らすためだけのものであったり。メイコのマスターは後者だったのだろう。


「どんどん弱って行っちゃって。今はカウンセラーに通っているんじゃないかしら」
「……それで、メイコさんはどうして此処に?」


 ずけずけと、人の領域にミクは入り込んでくる。それが悪いことだとは思わないが、少しくらいは控えれば良いのに。ミク、と名前を呼んで肩を軽く小突く。ミクの怪訝そうな視線がおれに向かってきた。

 やはり、監禁──必要なとき以外、電源を切られていただけあって、色々な感情の機微に疎いのだろう。やめろよ、と小さな声で呟く。それに被さるように、凛とした声が響いてきた。


「マスターが、連れてきたの」


 ミクの視線がおれから、メイコに向かう。おれもメイコへ視線を浮かべた。変な表情を浮かべていたのかもしれない。メイコはおれに向かって、ほのかに苦いものを滲ませた笑みを浮かべて、肩を竦めた。


「メイコが居ると、殴ってしまう。君を殴らなくなるまで、君から離れていたい。ここで、迎えに来るのを待っていてくれないか。って」


 なんて自己中心的な考え、と眉を潜めてしまった。ミクもそう思ったのだろう。小さな声で、何かしらを呟くと、首を傾げた。メイコの名前を呼び、やはりもう一度首をかしげる。

 ──メイコが居ると殴ってしまう。そう言われたとき、彼女はどう思ったのだろう。怒りや憎しみを感じたのだろうか。そう考えて、直ぐにありえないと首を振った。おれたちは人間に対して、憎しみを持てないのだ。彼女が感じたのは、どうしようもない寂しさなのではないだろうか。
 ボーカロイドにとって、マスターから離れるのは辛いことでしかない。傍に居るためなら、多少、殴られても良いだろう。

 けれど、と思った。メイコは確実にマスターが迎えにくることを、約束されている。それは、どこか羨ましくて、なんとなく、……嫌だった。


「最悪なマスターって思っているかもしれないわね」


 軽く笑いを含んだ声音に、ミクが迷いもなく頷く。……もう、もう……、なんといえばいいのかわからない。心の中でそんなことを思いながら、ミクへと視線をやり、直ぐにメイコへと戻した。
 メイコの顔には、柔らかい笑みが浮かんでいる。唇の端に乗せたような笑み。すっと筆で書いたような柳眉が垂れ、眼が細まっている。


「けれど、あたしにとっては世界で一番のマスターなのよ」


 そう言いきるメイコは、とてつもなく嬉しそうだった。ミクがおれの横で小さく唸る声が聞こえる。その気持ちもわかることはないけれど、一応、肩を小突いた。ミクが疑惑を瞳に乗せ、おれを見てくる。
 なんですか、と言葉ではなく瞳で問い掛けられ、おれは口を開いた。


「さっき言っただろ。どんなボーカロイドにとっても、自身のマスターが世界で一番だって」
「それはそうですけれど……」


 不満そうに呟くミクの肩を、一度だけ軽く叩いた。そんな様子を見てか、メイコが軽い笑い声を零すのが聞こえた。

 メイコの表情を見ると、どうしても片方の瞳──落ち窪んだ、左の眼窩に目が行ってしまう。いけないことだとはわかっている。直ぐに視線を逸らそうとするものの、なんとなく、そこから視線が離れない。
 ……メイコは瞳を奪われた際、何を感じたのだろうか。おれはミクのように、遠慮なく他のボーカロイドの心の中には入っていけない。だから、彼女が実際、考えていることは読み取れない。

 メイコの他にも、足が無かったりするボーカロイドは居る。大体は、感情プログラムの故障が原因で、マスターに異様な執着を見せるようになったやつらの身体が欠損していることが多い。両足がなかったり、両腕が無かったり。
 ある意味で、それは当然のことなのかもしれない。異様な執着を見せるボーカロイドは、マスターと仲良くするものを排除しようとする行動を見せることが多いらしい。

 自己防衛のために、と、そういったことをしなければならない時だってあるのだろう。

 視線を下ろす。指先で、雑草をつついた。それと同時に、カイトの声が耳朶に届く。視線を上げ、振り向くと、カイトが手を振りながら走ってくるのが見えた。
 カイトはおれたちの近くまで進んでくると、メイコの隣に座り込んだ。嬉しそうに笑みを浮かべ、おれとメイコ、ミクを見回す。


「ミクちゃん、手を出してよ」
「え? ど、どうしてですか……」


 困ったような、どこかいぶかしむような感情を秘め、ミクは手を出した。手の甲を上にしているためか、彼女の緑色のマニキュアが塗られた爪先が、夕方のオレンジ色の光を反射して優しく光る。カイトはその中で一本、指先をそっと掴むと、何かを指にはめた。直ぐに、シロツメ草で作られた指輪だと、わかる。

 白い、花びらが重なっているのか大きな花が、空を向いている。ミクの指先に、わずかな隙間を持ってはめられたそれは、彼女の白い指先に彩りを添えるように美しく咲いていた。
 ……むっとした。おれは作れないのに。カイトはミクの頭を撫でると、これで機嫌直ったかな、と問い掛けた。ミクは指を美しく装飾する指輪を見ながら、こっくりと頷いた。


「嬉しいです、ありがとうございます。良かったら、作り方、今度教えてくれませんか?」
「良いけど……どうしてかな」


 ほんの少しだけ早口に紡がれた言葉に、おれも首を傾げてしまう。教えてもらったとして、ミクはどうするつもりなのだろう。
 視線を向けると、ミクの、柔らかな色に染まった頬が目に入った。指先で、軽く輪をなぞりながら、彼女は、笑みを深くする。


「マスターに、作りたいなあって……」
「ああ。それは良いね。じゃあ、教えるよ。明日で良いかな」


 快い返事だった。ミクが頷くと同時に、カイトに視線を向け、名前を呼ぶ。カイトがおれと視線を合わせた。深い青が、どうかした、と疑問を持っておれの瞳と交わる。


「おれも教えてよ。マスターに作りたいんだ」
「それなら、あたしも教えて欲しいわね。マスターに作ってあげたいわ」


 おれの言葉の直ぐ後に、メイコの声が響く。カイトが、軽く苦笑を浮かべた。──苦いものが混じっているけれど、きっと、カイトは今、嬉しいのだろうと思う。

 カイトから視線を逸らし、ミクの指先に向ける。可愛らしく、どこか素朴なシロツメ草の指輪は、きっとマスターに似合うだろう。あげたら、喜んでくれるだろうか。喜んでくれたら良い、と思う。

 喜んでくれたら、教わった作り方を教えようと思う。そして、いつか、一緒に指輪を作って交換をしたい。きっと、楽しいはずだ。マスターは器用だっただろうか。それとも不器用だっただろうか。……どちらにしても、最初、教えるときは目の前で素早く作ってしまおう。わかった、と意地悪するように問いかけたら、きっとマスターのことだ、おれに困ったように笑いかけてくるはず。

 そうしたら、今度は教えながら作っていこう。ゆっくり、ゆっくり。時間は有限だけれど、果てしなくあるのだから、少しずつ理解していけば良いのだ。マスターがどれだけ失敗したとしても、おれは怒らない。何度だって、マスターが望む限り、上手に作れるまで、教えてあげよう──。

 カイトが、嬉しそうに、わかったよ、と肯定するのが聞こえた。


→続く

2008/8/20
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