あなたへ歌う 18
 (トロイメライ)


「出来たー!」


 あれから数か月後、歌詞が出来上がった。の想いをこめた歌詞。作るのに、何か月もかかったのは、やはりひとえに、初心者だから……だと、思いたい。……とにかく出来たから、良かった、本当に。喜びに声を上げると、二人が近寄って来た。の手の中にある紙を覗き見て、驚いたような声を漏らす。
 二人は顔を見合わせると、に向かって同時に抱きついてきた。


「おめでとうございます、マスター!」
「おめでとうっ、マスター!」


 完成を祝福する声が両耳を打つ。それに若干、嬉しさを感じながら、は再度、紙に目を通した。
 恋の歌詞。これに後はメロディラインをつけるだけなのだけれど、きっとこれもまた、悪戦苦闘するのだろうなあ、なんて思う。小さく苦笑を漏らすのと、二人が体を離すのは同時だった。


「どんな歌詞ですか?」
「わたしも気になります! どんな歌詞なんですか」


 恋愛関係の歌詞だよ、と言うとリンがひときわ嬉しそうな声を上げた。……それに対してレンは、かすかに寂しげな表情を浮かべている。どうしたのだろう、と思い、彼に声をかけると、レンはおずおずと問いを口にしてきた。


「ま、マスターは、誰を想いながら、歌詞を書いたのかなって、思ってしまって……」


 瞬間、脳裏に、彼の言葉がよみがえる。
 『でも、いつか──そう、いつか。マスターに好きな人が出来るまで──おれはあなたのためだけに歌い続けます』と、言っていたレンのことだ。に好きな人が出来たかどうかが心配なのかもしれない。
 意地悪く笑みをこぼすと、レンが悲しげに眉をひそめた。


「お、おれ──、マスター、好きな人が出来るまで、って言ったけれど、マスター」


 しどろもどろに言葉を紡ぐ彼に、かすかに苦笑をこぼしてしまう。リンがの手元から紙を取り、「読んでもいいですか?」と問いかけてきた。それにうん、と頷くと、すぐに彼女は視線を紙に写し、黙読しはじめる。


「レン」


 レンに視線を戻して名前を呼ぶと──彼は、泣きそうな表情を浮かべた。に近寄ってきて、俯く。


「──マスター」
「レンを想って書いたよ」


 え、と声を漏らしてレンは顔を上げる。先ほどまで泣きそうだったのに、今は微かに頬が紅潮している。なんていうか、わかりやすい。「それって」と続けて彼はに詰め寄ってきた。体を近づけ、彼は「それって、それって」と何度も言う。


「うん、まあ、そのままの意味、だね」
「──マスター」


 レンの顔がゆがむ。彼はに抱きついてきた。


「マスター、マスター」


 何度も何度も、繰り返しそう呟く。嬉しそうに、弾んだ声で。彼はから体を離した。柔らかく、笑みを浮かべる。それにつられて、笑みを浮かべながらは口を開いた。


「だから、歌ってくれるよね。これからも、ずっと、ずっと。──の、傍で」


 なんだか、こっぱずかしい台詞を言ってしまった気がする。今さらになって頬に熱が集まってきた。レンは濡れた瞳でを見つめると、ますます嬉しそうに笑った。
 その瞳の色が、とても好きだ。蒼い、青い、色。彼の瞳に見つめられると、なんだか柄にもなく胸が高鳴ってしまう。──そんな風に感じ始めたのは、つい最近のことではない。
 レンは桜色の唇を開くと、震えた声で呟いた。


「ずっとずっと、あなたの為に、あなたの傍で、歌います。歌い続けます、マスター。だって、おれは」


 顔が近づいてきた。これは、もしかしなくても。慌てる。近づいてくる体を押し戻そうとするものの、彼の力は強く、じりじりと顔が近づいてきた。ちょちょちょ! これは早い、っていうかマズイっていうか。こま、いや、困らないけれど、って何を考えているのだろう。

 そんなこんなを考えているうちに、唇にやわらかな感触が触れた。少しして、離れる。レンの熱い吐息が唇を掠め、もう一度、触れる。……リンの「わ」と言う声が耳をつく。……恥ずかしいにもほどがあります。レンは唇を離し、羞恥で顔を真っ赤にしたを抱きしめてきた。
 力強く、体にまわされた手。レンは細く息を吐くと、続ける。


「世界でただ一人、大好きなあなたのためだけの──鏡音レンだから」



(終わり)



2008/04/19
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