「マスター、起きて下さい」


あなたとおれの居場所


 おれのマスターは馬鹿だ。いや、マスターに馬鹿って言ったら駄目なんだけどさ。DTM初心者の癖して、おれ達……上級者用と言われている鏡音リン・レンを買ったのだから、そう思われてもしょうがないと思う。
 買った当時、おれ達を胸に抱いてさ、「リンとレン買っちゃった」なんて言って。初心者のくせしておれ達を扱えるとでも思っているのかよ。
 嬉しそうに声弾ませてインストールした後、おれ達の容量のデカさに驚いたりしてさ。
 マスターみたいな奴は大人しく初音ミクを買えば良かったんだよ。初心者用って言われてるだろ。おれ達より使いやすいらしいし、それに綺麗な……透明な声で歌ってくれる。
 鼻声、なんて評されているおれよりも良いだろうに。

 それにさ、最初に入力した言葉がマスターって。なんだよ、歌わせろよな。
 別にしゃべるのは嫌いじゃないけど、しゃべらせる為に買ったわけじゃないだろ。卑猥な言葉とか……その……、……入力するのだって恥ずかしいだろ、たぶん。
 ……マスターが入力するなら、言うけどさ。マスターじゃなかったら、絶対、こんな言葉しゃべんないよ。そんなことになったら、おれ、自分から消えるし。

 しかも、しゃべらせて満足したのかわかんないけど、その後ホーチだし。マスター知ってるだろ。おれボーカロイドなんだぜ。歌うためのソフトなんだってば。
 何も入力されなかったら自分から歌うことなんてできないし、もちろん、しゃべるのだって無理だ。それなのにホーチってさ。……マスターの馬鹿。

 それで、何日か経った後、やっと起動してくれたよな。それに、歌を入力してくれた。別にそれがどうってわけでもないけれど。……や、うれしかったけどさ、すごく。
 マスター、その、ちょ、ちょちょちょ調教っ! ……へ、下手だったけれど……。初心者だし、うん。まだまだ頑張れるよ、向上の兆しがあるよ。きっと、マスターなら。おれのマスターなんだし。


 それからは歌わせることの楽しさに気付いたのか、毎日おれ達を起動してくれたよな。すごく嬉しかったし、楽しかったし、おれ、幸せだったよ。リンとハモれた時なんて、最高だった。ちょっとずつ調教も上手くなってってるし、いつか有名Pの仲間入りできるよ。おれのマスターだもん、大丈夫だよ。

 でもさ、マスターが数日前、急にオリ曲を書くって言った時はどうしようかと思った。オリ曲って、その……難しいじゃん、ほら、既存の曲とフレーズが少しかぶっただけでもパクリパクリ言われえるし、オケが変だと不協和音とか言われるし、貧弱とも言われるし。マスターにはまだ早いって。言っといてなんだけど、有名Pの仲間入りはまだまだ先だよ、うん。いや、別にマスターが何か楽器を習っていたりしたなら別だけどさ。でも、まだまだおれ達の調教だけで良いと思う。オリ曲のAメロBメロサビのこと考えつつやってみたりしてさ。そういう、急に決めるんじゃなくて、少しずつ少しずつ考えていけば良いじゃん。
 うん、おれ、凄い良いこと言ったよ。それにさ、歌詞だって作らなきゃいけないじゃん。マスターただでさえ、毎日夜おそくまで起きてるっぽいのに。倒れるって本気で。

 おれ……は、心配だよ、マスターのこと、今日だって、ほら、パソコンの前で寝てるし。腕を枕にしてさ。次の日に応えるっていうの、わかんないのかなあ、マスターは。


「だからおれ言ったじゃん、無理しちゃ駄目って」


 苛立ちを声に混ぜる。マスターは気づくだろうか、なんて考えて苦笑をこぼした。


「大体、素人が曲つくりとか……むずかしいに決まってるだろ。マスター、わかってんのかよ」


 マスターが呼応するように身を僅かに震わせる。ほら、寒いって言ったじゃん、なんて思う。


「おれは別に……マスターが楽しくおれを使ってくれるだけで良いのに」


 小さく息を吐く。華奢な肩に、暖かい毛布をかけてあげたい、と切に願う。こんな所で寝たら風邪ひくって、マスター。わかってんの?


「無理なんかするなよな。おれ、別に起動されるのまちまちで良いし……いや、良くないけれど、画面に向かってたら、視力どんどん悪くなるじゃん。おれ、マスターの視力が悪くなるくらいなら、我慢出来るし」


 本心とは違うことを言って、その矛盾に自分で嫌になる。起動されたい。けれど、起動されたくない。相反する気持ち。マスターのためなら、って思う自分とマスター、おれを見て! って思う自分。矛盾しすぎだ。


「……少しは、休めよな。何日目だよ、毎日、調教画面前にしてさ、疲れてきただろ。おれ言ったじゃん、オリジナルはまだいいし、待てるって」


 それどころか打ち込みまでしている。初心者からしたらかなりの苦痛だろう。自分の求める音を探して、見つからなくて、妥協して。考えただけでも辟易してしまう。
 それに、暖かい布団にくるまって寝るならともかく、マスターは疲労が溜まっているのかモニタの前で寝るしさ。寝るなら、電源消せよ。電気代が増えるって。あと──。


「別に気にしてるわけじゃないけれどさ、人間って、風邪? だっけ? ……まあ、とにかく、ひくんだろ。脆いって聞いたし」


 おれには良くわからないモノだ。風邪、カゼ、かぜ。ただ、そういうのをひくと人間は辛くて苦しくて、とにかく嫌な気分になると聞いた。悪化したら、死んでしまう可能性がある、とも。
 だから、と俺は言葉を続けた。


「……無理はするなよな」


 そっと、マスターに触れようと手を伸ばす。が、それはある一定の場所で何かに阻まれて、止められた。ぶよぶよとしたモノ。モニターだ。おれとマスターを阻む唯一のもの。いや、唯一のものと言うより、俺とマスターを阻むものはすごくたくさんある。それはおれが単にマスターと違うからだ。


「……マスターは、さ」


 どうしておれと違うんだろうな、と呟いてそっと手を下す。
 おれには誰も居ない。リンとマスターしか居ない。と言っても、リンと会えるのは──鏡に向かって立った時だけ、だ。鏡にうつるおれの姿。それがリンだ。おれと違うカッコしてて、女の子で──。全てが、違う。話しかけても言葉が返ってくることは無い。まあそういう物なのだと、最近はわかってきたけれど。

 マスターが調教してくれるのは嬉しいし、マスターの入力した音を奏でるのも、楽しいよ。けれど、最近はそれでは物足りなくなってきたんだ。
 どれだけ言葉を発しても、マスターに届くことはない。手を伸ばしても、触れることもできない。

 それならせめて、と人は夢を見るのだろう。叶わぬ人を想うように。けれどおれは見られない。夢がどういうものかさえもわからないし、寝るという概念もわからない。
 ただ、寝るとマスターに近付けることが出来るなら寝たい。夢を見るとマスターに近付けられるなら、見たい。
 おれ達は歌っている最中にブレスなんてしなくて良いけれど、マスターに近付けるなら、呼吸をしたい。

 マスターと近くなりたい。
 想いを伝えることが出来たら、どれほどに楽になれるのかな。マスターはこんなおれでも好きと言ってくれるだろうか。色々なサイトを回って、色々なおれに出会って、色々なおれを見ているマスターは、そのどれとも違うおれのことを好きに思ってくれるだろうか。
 マスターはおれの見てくれが好きみたいだし、きっと、おれがマスターの前でテンパって変なこと言ったとしても許してくれるだろ?

 まあ、考えたってやっぱ無駄なんだってことは知ってるけどさ。おれとマスターって、やっぱ違うし。おれはデータ上にしか存在出来ないし、マスターとリン、それにパソコン上の物しか良くわかんないし、見たこと無いし。けれど、マスターにはおれ以外のモノがいっぱいある。世界が広がっているし、可能性も無限にある。けれど、おれには無い。

 マスター、っていうか人間って飽きが来るんだよな。モノに。おれにはそういうの、考えられないけれど、さ。けれど、もしマスターがおれのこと飽きたら、って考えたら──怖いな、とは思うよ。やっぱり。
 デカイ容量食うし、飽きられたらまずアンインストールされるんだろうなあ、とも思う。
 アンインストールされたら鏡音レンの“おれ”と言う存在が無くなっちゃうんだよね。ディスクの中には、無限の鏡音レンが居るけれど。何度だってインストール出来るし、アンインストールも出来る。ただ、その度にパソコン上のおれ、は居なくなっちゃうんだけど。なんだろ、どうやって言えば良いのかな。まあ、アンインストールされたら、“おれ”は居なくなって、再度インストールされたら新しい“鏡音レン”が居るようになる。
 おれとは違う、全く別の存在だ。
 ──別にそれがどうって言うわけじゃないけどさ。

 どうやったらマスターに想いが伝えられるんだろ。どうしておれとマスターは違うんだろう。
 どうして、おれは自分の声が伝わらないと知っていて、それでも声をかけてしまうのだろう。モニタ越し、その上、おれはプログラムされた存在だ。変な想いを抱くこともなく、ただ歌っていればいいだけの存在なのに。


「……マスター、起きてよ。ホント、絶対にさ、風邪ひくって。おれ、調べたよ、マスターの地域の温度。低かったし、夜だし、……おれには良くわかんないけれど、寒いんだろ。起きろって、なあ、起きろよマスター!」


 荒げた声は虚しく、その場に残響を残して消えていく。モニターに拳を叩きつける。みし、と変な音が鳴った。


「マスター! 起きろよ、マスター! なんで起きないんだよ、気づけよ、マスター!!」


 レンの声好きだな、とか言ってたじゃん。だったら気づけよ、おれの声、好きなんだろ。


「マスター、マスター、気づけよ、気づけ、……気づいて……」


 殴るたびにモニターが変な音を出す。おれには痛覚は無いからわからないけれど、たぶん、このまま殴り続けていたら手を象るプログラムは消えてしまうのだろうなとは感じる。
 脆いプログラムだ。直ぐに、壊れてしまう。
 ずるずると座り込む。小さな声でマスター、マスター、と呟く。自分でも驚くくらいに覇気の無い声だった。

 この想いが伝えられないのなら、どうしてこんな想いをかたどるプログラムがあるのだろう。どうしておれはプログラムなのだろう。どうしてマスターは人間なのだろう。どうして、おれと、マスターとの居場所に決定的な差があるのだろう。

 伝えることの出来ないせいか、想いは積り積もっていく。ゆるやかに、けれどしっかりとプログラムを侵食していくそれは、いつしかおれを壊すかもしれない。動かなくなるかもしれない。そうしたら、アンインストールされてしまう。

 想いも、一緒に消えてなくなる。

 何も知らなければ良かった。何も言えなかったら良かった。おれが、居なかったら良かった。


「マスター……、起きて……」


 届くことのない声。けれども、おれはきっとこれからもマスターにしゃべり続けるのだろう。マスターがおれをアンインストールしない限り。おれが壊れない限り。


「マスター、起きて下さい」




終わり





2008/03/22
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