笑顔で、さよなら

 意味が、わからなかった。

 「ミク、行こう」──そう言って、ミクとマスターが共に田舎道をバスに揺られついた場所、そこには大きな石があった。石──岩石の小さな塊。頭の中で検索をし、ミクは僅かな疑問を抱く。こんなものを見に来たのだろうか。
 彼女の胸には道々に買った菊の花束。気高い匂いがミクの鼻腔を掠める。ミクはその匂いを一杯に感じながら、首を傾げた。いったい、こんなものを、どうして? 彼女が不思議に思うと同時に、マスターが「お久しぶり」なんて言って嬉しそうに笑い、石をそっと撫でる。
 ミクは、ますます意味がわからなくて首を捻る。お久しぶり。しばらくぶり。ひさかたぶり。前に会ってから何ヶ月も経ったときに言う言葉。マスター、と語尾を上げてミクは問う。同時にマスターが大きな石が建った場所の近くへとやってくる際に汲んだ水を入れた桶を地面に置いた。それからひしゃくを取り出し、水の中へと入れる。たっぱりとひしゃくに水をたたえさせると、大きな石へとかけた。驚いてミクは後ずさりをしてしまう。
 なんで? その言葉だけが彼女の頭を埋める。水が石を伝って落ちる音、それに石へ当たって弾ける音が何度か続いた。セミの音を遠くに聞きながら、ミクはマスター、ともう一度声音を強くして呼ぶ。

 マスターはひしゃくを桶の中へと入れ、ミクへと視線を向けて手招きをした。彼女が近づくと、マスターは一言、お花、と言った。ミクが問い返すように語尾を上げて「お花」と呟く。


「お花、ですか」
「そう。供えなきゃ。枯れちゃっているからね」


 マスターが薄く笑みを浮かべ、指先で枯れた花を指差す。ミクはそれを見止め、それからマスターへ押し付けるように花を手渡した。
 帰りたい。彼女の頭の中にはその言葉だけが浮かんでいた。何をしているのだろう。何で石に花を供えるのだろう。何で石に水をかけるの。なんで。

 疑問は湧き水のように、彼女の頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消えを繰り返す。疑問で胸が一杯になるのを感じながら、しかし彼女はそれを訊こうとは思わなかった。切なさがにじむような雰囲気、悲しみが薄く幕をはったような日差し、それらが彼女の問いかけを喉へと押し込めた。
 マスターが花を供え、小さく息を吐く。その場に腰を下ろし──といっても、地面が濡れているので尻をつけはしなかったが──、ミクを呼ぶ。ミクは疑問を心の中に秘めながら、マスターへと近寄った。同様に、尻を上げて座る。
 何をするのだろう。ミクの視線はマスターへと釘付けになっている。
 マスターは小さく息を吐くと、手をゆっくりと音を立てずに合わせた。目蓋を閉じ、じっとする。

 ミクは訳がわからなくなった。どうしてそんな行動を急にマスターが行うのか、よくわからなかったのだ。とりあえず、彼女もマスター同様にみようみまねで手を合わせる。
 ──目蓋を閉じるべきなのかな。そんなことを考え、ミクはマスター同様、そっと目蓋を閉じようとして、止めた。マスターの目蓋がそっと開き、ミクと視線を絡める。マスターは苦笑を零すと、石を軽く撫でた。それから緑色の線香を取り出し、マッチで火をつけ、大きな石の前に置く。
 静寂。ミクはマスターをじっと見つめ、それから大きな石へと視線をうつした。よくよく見ると、名前のようなものが書かれている。何故か見たことがあるような気がして、ミクは回路から名前を検索した。直ぐに見つかる。マスターの苗字と、大きな石に刻まれた文字は同じだったのだ。
 マスターが若干の寂しさが混じった声音で、呟く。


「ここに、大切な人が居るんだよ」
「……ここ、ですか?」
「そう」


 ぽつりぽつりと、水滴が落ちるような速さでマスターは言葉を紡ぎ始める。


「埋められてるって言えば良いのかな。とにかく、居るんだよ」
「……マスター、寂しい、ですか」
「え……」


 寂しげに浮かべる微笑を見て、ミクの口から何故かそのような言葉が飛び出てきた。気まずそうに顔をゆがめるマスターを見て、ミクは内心焦る。
 ──言ったらいけないことだったのかな。
 でも、マスターは本当に寂しそうだったのだ。大切な人が埋められているという、この大きな石を目の前にして、どこか儚げな雰囲気をかもしだしていた。それはワタシの勘違い、だったのだろうか。ミクは焦りを表面に出し、マスターの名前を弱弱しく呼ぼうとして、遮られた。


「寂しく、ないよ。というか、寂しがっちゃいけないんだよ」
「……え? ど、どうして、ですか」
「ミクは知らないのかもね。日本の考え方では寂しがったらいけないんだよ。泣いてもいけない」


 ぽつりと漏らされた言葉に、ミクは存外焦りを隠さずにマスターへ詰め寄った。泣いたらいけない? 悲しんでもいけない? でも、マスターは今さっき、絶対に悲しんでいたのに。
 ワタシにはよくわからないけれど、この大きな石の前で、悲しんでいたのに。

 ミクが首を傾げる。マスターはそれにあやすような笑みを浮かべ、彼女の頭の上へと手を置いた。軽く撫でる。


「それはね──」





 ……セミの音。それを切り裂くように、柔らかなアルトの声が響き渡った。


「後、もう少しでマスターに会えるわよ! みんな、頑張りなさい」
「も、もう疲れたよ、めーちゃん……そろそろ休もうよ。この三日間、歩きっぱなしじゃないか」


 それに続いて、音を上げるような声音が響き渡った。テノールの優しい声は、ミクの耳朶を優しく打つ。ミクは足元を見ていた視線を上げ、先を行く二人の影を見つめた。メイコに、カイト。ミクと同様、マスターに買われたボーカロイドだ。メイコは一杯の花を、カイトは大きな荷物をそれぞれ手に持っている。
 それからミクは隣を共に行くリンとレンを交互に見た。リンは若干苦しそうなものの、レンは全く疲労を顔に出していない。それがなんとなく心配で、彼女は二人に声をかけた。


「大丈夫、リンちゃんレンちゃん」
「だいじょーぶ、ミク姉……」


 答えるリンの声は息も絶え絶えだった。ミクはそっと心配するような色を瞳に忍ばせ、リンの肩を軽く叩く。リンは額を伝ってきた汗を拭い、ミクを仰ぎ見た。


「ねえ、もうすぐ、もうすぐマスターに会えるんだよね」


 問い掛ける声には僅かな焦りが混じっている。それと、若干の苛立ち。ミクが答えようとするのを遮り、レンがつまらなさそうに言葉を返す。


「もう少しだって、メイコ姉ちゃんも言ってるだろ。頑張れよ。いつもの元気はどこへ行ったわけ?」
「わ、わたしは何時だって元気だもん! 馬鹿、後でロードローラーで整地してやるうっ」
「はいはい。おれは先行くから。二人は後から来たら? じゃあね」


 レンは余裕を持った声音でそう続けると、足早にメイコとカイトの元へと急ぐ。それを羨望が混じった眼差しで見つめ、リンは小さく溜息を吐いた。ゆるゆると首を振ると、顎まで伝った汗が地面へと落ちていく。彼女はもう一度手の甲で汗を拭った。ぬるぬるとしたいやな感触が額と手の甲に残るものの、汗だくのままよりはましだろう。それに、と彼女は言葉を吐息に乗せる。


「マスターに会うんだもん……可愛い服、着てくれば良かった……」


 残念そうな気持ちが含まれた声音に、ミクはそっと苦笑を零した。それからリンの頭をそっと撫でる。リンはゆるやかに視線を上げて、ミクと見詰め合うと首を傾げた。


「マスター、この姿でも大丈夫かな。わたしのこと、嫌わないよね」


 なんて心配をしているのだろう、とミクは思うものの口には出さない。出すのは無粋だというものだし、それに──彼女はマスターを好いているのだから、容姿が気になるのも当然というものだろう。
 ミクは小さく息を吐き出し、回りを見た。前に、そう何年も前に来たことがある、田舎道。メモリに焼きつけた風景と、あまり変わっていないことが彼女の胸を幸せで一杯にする。都会化が進む中、マスターの住んでいるところだけは、このような優しい雰囲気を保っていて欲しい。彼女はそんなことを思いながら、次いでセミの音に耳を傾ける。涼やかな音色だ。一週間だけしか生きられないという命。短い中、彼らは懸命に生を全うし、そして死んでいく。まるで自分達のようだ、と考えてミクは苦笑を零す。
 鳴く──唄うためだけに生まれてきたボーカロイド。命の長さに長短はあれど、一生懸命生きていくことは同じだ。ボーカロイドは自分を買ってくれたマスターのためだけに生きていく。セミは、誰のために生きていくのだろう。

 リンが言葉を発しなくなったミクの手を優しく掴もうとし、パンツで汗を拭い取ってから握る。軽く引っ張り、彼女はミク姉、と語尾を上げ調子に問い掛けた。ミクが視線をリンへと戻し、軽く笑みを浮かべる。人を安心させるような、優しげな笑みだった。


「どうかした」
「どうかした、じゃないって──もう! マスター、わたしのこと嫌わないかなあ、って訊いてるのにっ」
「……大丈夫だよ、マスターだもん。嫌わないよ。リンちゃんがどんな格好をしていたって、きっと大丈夫」
「そうかな、だと良いのに」
「リンちゃんはマスターのこと、大好きなんだね」


 色々と思い悩むリンの姿が微笑ましくて、ミクは握り締められた手のひらを自身からもゆるく握り返し、笑みを零す。するとリンは当然、とでもいうように胸を大きく張り、ひまわりが咲いたような、満面の笑みを浮かべた。弾んだ、鈴が転がるような、涼やかな声で彼女は言葉を紡ぐ。


「大好き! 大好き、大好きっ、いっちばん、大好き! 世界で一番、大好きだよ!」
「そっか」


 誇らしげに紡がれた言葉に、何故かミクは胸の奥が痛くなるのを感じた。
 彼女の胸、というよりは心。そこにミクは穴が開いているように感じる。何をしても、何を感じても満たされない穴。それは何年も前から、そう、ずっと前から彼女の胸の中にぽつりと穿っている。
 ミクは片方の手をそっと胸に当て、小さな息を吐いた。
 リンのことを、何故か彼女は羨ましく感じた。


 それから彼女達は歩き、とうとうマスターの前までやってきた。ミクとリンが追いついたのを見て、カイトとメイコが微笑を浮かべる。二人とマスターから少し離れた所に、レンが立っていた。ミクとリン、次いでカイトとメイコ、そうしてマスターを順々に見て、わずかに震えた溜息を零す。
 カイトはマスターの前に立つと、口唇の端に笑みを乗せ、優しく響く声で呟いた。


「お久しぶりです、マスター。少し汚れていますね。大丈夫です、きっと綺麗にしますから」


 カイトがレンへと視線を送る。レンは嫌々カイトへと近寄ると、横に並んでマスターの前へと立つ。彼は震えた唇で、言葉を懸命に紡いだ。


「マ、スター、お久し、ぶり……っ」


 声が上擦る。メイコが苦笑を浮かべ、レンの肩を軽く叩いた。レンは顔を俯かせると、小さくしゃくりを繰り返す。カイトがレン、と宥めるように名前を呼ぶ。レンはゆるゆると首を振ると、カイトの服の裾を掴み、引っ張っていく。マスターから遠く離れた所で、レンはカイトから手を離すと、肩を振るわせ始めた。カイトがそれを見て悲しげな表情を浮かべ、あやすように頭を撫でる。
 リンがそんな二人を見て、自身の顔をもくしゃくしゃにした。メイコが彼女の名前を呼ぶ。彼女は目から溢れ出そうになる何かを懸命に押さえ込み、笑顔を浮かべてマスターの前へと立った。困ったように笑みを浮かべ、マスターへと手を伸ばす。優しく撫でるようにマスターを擦り、彼女は震えた声音で呟いた。


「お久しぶり、マスター! ねえねえ聞いて、マスター、マスターの曲、まだまだ、まーだっ評価されてるんだよ! 凄いでしょ、わたし、すっごく鼻が高いよー! あのね、俺にとってのボーカロイドの最高傑作はこれだ、なんて言われたりしてさっ。凄いでしょ、ねえ、凄いよね!」


 返事は無い。それでも彼女は続ける。


「すごくすごく、嬉しいの! まだね、マスター、一杯、いーっぱい、聞かれてるんだよ、曲! 凄いでしょ、凄く凄く嬉しいよっ。えへ、えへ、へ、……え、へ、……へ……」


 リンの笑い声から覇気が無くなる。 彼女はマスターを撫でる手を止め、その小さな身体を押し付けるようにマスターを抱きしめた。軽く洟をすする音が響く。メイコがリンの肩を撫でると、その音は一層強くなった。


「一杯、一杯……、聞いてもらえてるんだよ……」


 掠れた声音で続け、リンは軽く頭を振った。無理に喜びを混じらせ、上擦った声で続ける。


「マスター、今日ね、会いにくるの、ずっと楽しみにしてたんだよ。今ってマスター、居るんでしょ? 居るんだよね。ここに。戻ってきてくれるって、聞いたもん。この季節のこの時期だけは、戻ってきてくれるって、聞いたもん……。ね、マスター、マスターのこと、大好きだよ。大好き、大好きっ、ずっと、ずうっと、大好き!」


 最後は叫ぶように続け、彼女は身軽にマスターから身を離す。顔には笑顔、まなじりがわずかに赤くなっている。彼女は洟をもう一度だけ啜り、嬉しそうに笑った。それからカイトとレンの元へと向かい、二人の手を引くと、何処かへと向かってしまった。ミクはぼんやりとその姿を見ながら、マスターへと視線を移す。マスターは何も言わない。ただそこにあるだけだ。

 セミの音が一層強く、ミクの身体に染み渡る。彼女がぼんやりとマスターを眺めていると、メイコが困ったような笑みを浮かべ、次いでマスターの前へと立った。リン同様マスターを優しく撫でて、嬉しそうに笑う。


「さっきも言ったけれど、お久しぶりね、マスター。そっちはどんな感じかしら。あたしには良くわからないけれど、マスターが幸せに暮らせていることを願うばかりね」


 木々を揺らす風が吹き、メイコとミクの髪を優しく撫でる。メイコは髪が暴れないように片手で抑え、尚も言葉を続けた。


「──幸せじゃなかったら、ぼっこぼこにしてあげるんだから」
「そ、それはめーちゃん、理不尽……」


 優しげな声音で呟かれた物騒な言葉を聞き、何処かからか戻ってきたカイトが頬を引きつらせる。メイコは声のする方へと振り向き、こわくてきな笑みを浮かべた。


「あら、でもこれくらい言わないと」
「それにしたって、もうちょっと言い方ってものがあるよ。ぼっこぼこって、マスター驚くよ?」
「何よ。文句があるの?」


 メイコが胸の前で腕を組み、軽く鼻を鳴らした。カイトはそれに苦笑を零しながら、マスターへと近寄る。片手にはバケツ。中には大量の水と、ひしゃくが入っていた。レンも同様に同じバケツを手に持って近寄ってくる。リンが最後に、何かを含んだような笑みを浮かべながら近寄ってきた。
 カイトがそっと指先でマスターを辿る。それから軽く首を傾げ、


「恐いですよね、めーちゃんって……。マスター、めーちゃんの暴力には磨きがかかりましたよ」
「何よ。暴力なんてふるってないじゃない! マスターに変なこと、言わないでちょうだい!」
「それに最近は俺のアイスを制限するんです……。酷いですよねえ、なんとか言ってあげて下さい、めーちゃんに」


 苦笑を零しながら呟かれた言葉にも、マスターは無言で返す。ただ、それを悲しいとは誰も思わない。レンがマスターへと近寄り、水をはったひしゃくを手に取ると、マスターへとかけた。それを見てリンが嬉しそうに笑い、ねえねえマスター、とカイトを押しのけて近づく。
 押しのけられたカイトは多少驚きを隠せずに居るも、何故か微笑を浮かばせ、ミクの横へと移動をしてきた。リンが水で濡れたマスターを軽くつつき、レンがね、と言葉を発する。


「マスターに水をかけたい、マスターに水をかけさせてよ、おれがやりたい! ってずっと言ってたんだよー」
「や、やめろよ、リン!」
「子どもみたいだよねえ。レン、ぜんっぜん変わってないんだよ。去年と」
「い、いいだろ、別に! マスターに水をかけるのはおれがやりたいんだから! ……マスターだって、異論は無いだろ?」


 レンの問いかけに、マスターは何も返さない。ほんの少しだけ、レンは表情に悲しみを宿らせたものの、次の瞬間にはそれを打ち消し、笑みを浮かべた。リンもつられるように笑みを浮かべ、マスターから指先を離す。その後メイコへと近づき、「わたし、お花やる!」と右手を上げた。花を抱えたメイコが呆気に取られたような表情を浮かべ、次いで微笑を浮かべる。マスターから少し離れた地面に花を下ろし、花を包んだ新聞紙を広げた。茎の部分をリンに切るように頼み、鋏を手渡す。リンは嬉しそうに微笑んだ後、早速作業に取り掛かり始めた。
 レンは懸命にマスターへと水をかける。マスターはもう水が染み込む隙間が無いのか、かけた分の水をそのまま地面へと落とし、小さな水溜りを作った。カイトがそろそろ良いんじゃないかな、と小さく呟きレンへと近づいていく。レンはバケツに残った水をどうにかしてマスターへ掛け終わると、カイトにひしゃくとバケツを手渡した。それからマスターへと向き直り、笑う。


「喉、渇いていたよな。これで潤った、よね」
「……多分、マスターはレンに感謝していると思うよ」


 言葉を紡がないマスターに変わって、カイトが控えめに言葉を発する。そうして、レンの頭を軽く叩いて優しい色で染めた表情を浮かべた。レンがこっくりと頷き、それからマスター、と小さな声音で名前を呼んだ。


「お、久しぶり、だよ、ね。元気にして、た……、おれ、それだけが心配で……っ」


 声が徐々に上擦っていく。カイトが頭に載せた手を背中へと回し、優しくさすると、声の震えが大きくなった。


「ボーカ、っ、ロイドに心配されるマスターなん、って、居な、い、っよ……っ、マスターの、馬鹿!」


 感情のせきが崩れたように紡がれる言葉に、カイトは苦笑を禁じえない。とりあえずフォローをしておくべきだろう、と彼は考えそのまま言葉を口にする。


「マスターのこと馬鹿って言ってますけれど、レンはマスターのことが好きでこんなことを言っているんですよ」
「……っ」
「もちろん、俺もマスターのこと、大好きですからね。心配です。そっちで上手くやれているかどうかが。──俺たちには確かめる術が無いですから。なんでも良いので教えて下さい。手紙とか、届けてくれたら嬉しいんですけれど」


 無理な願いだということは、カイトも重々承知しているだろう。彼の紡ぐ言葉は優しく、けれど僅かな悲愴を含んでいた。彼の声にもレン同様震えが走っている。ミクが焦ったようにカイトとレンの名前を呼んだ。二人が怪訝な色で染めた表情を浮かべ、ミクへと視線を向かわせる。
 ミクは小さな声で、けれどしっかりと二人に届くように言葉を口にした。


「泣いちゃ駄目だよ。悲しんでも駄目!」
「……知っているよ、それくらい」
「わか、ってる、よ、ミク姉の、──っ」
「わかってるならいいけど、レンちゃん、泣きそうだったし、カイト兄さんも何だか辛そうだったから……」


 ミクが怪訝を声に表して口にすると、カイトが困ったような笑みを浮かべた。レンはカイトの横で目蓋を擦り、必死に何かを拭っている。少しの無言が場を包んだその時、リンの高らかな声音が無言を遮断するように響いた。


「切れた! じゃあメイコ姉、早く供えようよ」
「わかってるわよ。急かさないの。……カイト、レン、どいてくれる?」


 メイコの静かな声音に、カイトとレンがマスターの前を空ける。メイコはマスターの前へ腰を屈め、枯れた花の処分を行った。ついでリンがメイコの傍に掛けより、枯れた花の変わりに瑞々しい花を差し込む。柔らかな匂いが、彼女とメイコの鼻腔をくすぐった。
 リンがマスター、と呟いて手を合わせる。目蓋を閉じ、けれど口唇には笑みを乗せ、そっと息を吐く。メイコも同様に手を合わせた。カイトやレンも、遅ればせて手を合わせる。

 その様子を見て、ミクは小さく息を漏らした。僅かに震えたそれに、苦笑を浮かべてしまう。悲しまないで、切なく思わないで。そう言ったのは自分だというのに。
 それから四人の傍へと近寄り、同様に手を合わせた。目蓋をそっと閉じる。黒が視界を包む中、彼女は何故か心の隙間が広がっていくのを感じた。

 いつまで経っても消えない穴。それはミクだけでなく、リンやレン、ひいてはカイト、メイコにも巣食っている。穿たれた穴は、治る兆しを見せない。けれどそれで良いと思う。ミクはそっと息を零すと、心の中でマスター、と呟いた。

 何年も前。マスターのボーカロイドがミク一人だった時。ミクはマスターにどうして悲しんではいけないのか、とたずねたことがある。日本の価値観。悲しんではいけない。どうして? 心底不思議に思った。そんなミクに、マスターは教え諭すように、優しげな声で言った。

「泣いていると、大切な人が中々空に行けないんだよ。ああまだ泣いている、泣かないで、心配しないで、わたしは元気だよ、大丈夫だよ──、そう思って、ずっとその場に留まってしまうらしいから」

 泣かないで。悲しまないで。そう思わなければならないこと。悲しみの感情をひた隠さなければならないこと。それはどれほどに辛いことなのだろう、ミクはその時呆然とその言葉を受け止めたものの、今となってはそれが身を裂く程に酷いことなのだと、彼女は感じていた。
 マスターへすがりつきたい。泣きつきたい。戻ってきてと、お願いだから戻ってきて、そう言いたい。けれどそれを言ったらマスターが困る。マスターが心配する。マスターが、──空へと、行けなくなる。

 それだけは、どうしても阻止したいことだった。
 だから、笑う。大丈夫、辛くないよ、マスターこそ寂しくない? なんて問い掛けることができそうな、そんな笑みを浮かべる。
 寂しくないよ。──嘘だよ、寂しい。
 悲しくないよ。──嘘、ずっと悲しい。
 マスターこそ、寂しくない? ──早く、戻ってきてよ、マスター。
 言葉と裏腹の気持ちを抱きながら、笑う。

 色々といいたいことこそは有るものの、彼女は何も口にせず、目蓋を開けた。それから、周りを確認してから、小さな音を言葉に乗せ始める。
 それはマスターから初めて貰ったミクの曲。

 それに気付いたリンが驚いたような表情を浮かべ、次いで弾むようなリズムを刻み始めた。響くのは、マスターから初めて貰ったリンの曲。

 レンが目蓋を開き、悲しげな表情を浮かべる。次いで、小さく息を吐くと、二人同様、朗々とした歌声を響かせ始めた。空を縫って大気を揺らすのは、レンが初めてマスターから貰った曲。

 カイトとメイコが二人同時に肩をすくめて見せる。それからメイコはマスターへと視線を移し、濡れたマスターをそっと撫でると、艶やかな声で言葉を紡ぎ始めた。
 何にも揺らぐことの無い旋律。メイコが貰った初めての曲。

 カイトはミク同様、周りを見渡す。それから四人を見て苦笑を零すと、次いで温かな色を瞳へとにじませた。
 すっと息を吸い、彼は耳に心地よい優しい声で音を言葉に乗せる。
 彼だけの、柔和な音と歌詞。カイトが初めて貰った曲だった。

 テンポも違えば歌詞も違う、音程も違う。他人から見れば不協和音、という言葉しか浮かんで来ないようなぐちゃぐちゃなメロディ達。けれどそれでも、彼らは彼らの初めての音を唄う。空へと向かって、マスターへと向かって。
 心配しないで、大丈夫だよ、悲しくなんてない、平気だよ──そうマスターへと、告げるように。

 最初に唄い終わったのはミクだった。彼女は何故か湧き上がってくる悲しみを押しとどめ、満面の笑みを浮かべる。それから、小さく息を吐いて、マスターへ届くように大きく叫ぶように言葉を発した。


「お久しぶりです、マスター!」


 マスターへ、──マスターの苗字が刻み込まれた墓石へと向かい、彼女は精一杯の笑みを浮かべた。


(終わり)

【ニコニコ動画】【初音みくのオリジナル曲】 墓参り」、「【ニコニコ動画】【初音ミク】 サイハテ 【アニメ風PV・オリジナル曲】」を聞いて感動して書いたお話です。
原曲の作曲者様方に最大の敬意をはらって。

2008/06/15

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