きっと、嘘 20

「……レン?」


 いつものようにパソコンをつけて、やはりいつものように時間をかけてデスクトップが現れたというのに、いつまでたってもレンが現れない。ん、と首をかしげながら、彼の名前を呼ぶ。反応は無い。
 もしかして、これはかなり前に言っていた……焦らす、という行為をまたもや繰り返しているのだろうか。そう考えると、なんとなく微笑ましい。モニタを軽く指先で突き、もう一度名前を口にする。
 そのまま少し待って見るものの、レンは一向に現れなかった。


「……レン、出てきてよ」


 小さく声を漏らす。レンは出てこない。どうしたのだろう。何かあったのだろうか。不安に思うものの、確かめるすべが無いので、何をすることもできない。何度か名前を繰り返し言葉にする。
 とたん、なんとなく怖くなった。彼は言っていたはずだ、が名前を呼んだらすぐに現れる、なんて。でも、今、だったら、どうして──。もう一度名前を口にして、必死な自分に気づいた。なんでこんなにも必死に名前を呼んでいるのだろう。小さく吐息を零して、肩を落とす。なんか、おかしい。

 どうしようもないので、インターネットを開き、動画を回ることにした。レンは寝ているのかもしれないし、それでなくとも動画を見て時間をつぶしていたら、いつか出てくるだろう。そう思ったのだ。ランキングをクリック、上がっているボーカロイドの曲をクリック。動画が読み込まれ、音声が流れだす。それを耳を澄ませて聞いていたら、急に目の前にメモ帳が表示された。

 正直、すごく驚いた。メモ帳を凝視していると、文字がぽつりぽつりと現れ始める。


『おれのすがた みえていますか』


 ためらうように、遅いスピードで表示された文字に、呆然とした声音を出してしまった。
 おれの姿、見えていますか──、どういう意味なのだろう。レン、と名前を呼び掛けると、間をおいてメモ帳に文字があらわれる。


『ここにいるよ』


 どこ。心の中でそんなことを思いながら、画面上に目を走らせる。居ない。見えない。居ない、よね?
 流れる音楽が嫌に耳につく。どうしてか、イライラしているみたいだった。音楽を止め、ウィンドウを下ろす。居ない、と思う。少なくとも十センチ以上あった彼を、まさか見逃すなんてことはありえないだろう。居ない、と小さく声を零す。無言が場を包み、少しして音もなくメモ帳に文字がやはり、のろいスピードで表示される。


『みえなくなっているの』


 きっと、声が聞こえていたら語尾を上げて、問いかけるように発せられた言葉だろうと思う。うん、と頷く。
 信じられない。本当に。昨日まで見えていたのに、どうして、急に。唖然として、その上、突然のことだったからか、何も考えられない。なんで、こんな──見えなくなって、声も聞こえなくなってしまったのだろう。

 呆然としていたら、視界の端で何かが動くのが見えた。ためらうように、先ほどよりものろのろとしたスピードで、文字が表示されていく。


『おれの せい』
「……何が」


 突き放すような口調になってしまったのかもしれない。文字が止まる。レンは何かを考えているのだろうか。だとしたら、何を? 疑問に思う。考えると、すぐに答えは見つかった。どうして、見えなくなったかを、だろう。表示された文字を見る。
 ──おれの、せい。レンは自分のせいだと思っているのだろうか。そんなことは、きっと無いだろう。大きく息を吐き、動揺を心の中に抑え込みながら、は顔を振った。否定するように、何度か横に。


「そんなことは、無いと思うよ」
『でも だったら どうして』


 どうして、と訊かれても……にも答えようがない。の方が訊きたいくらいだ。さあ、とばかりに肩を竦めると、先ほどよりか格段に速いスピードで言葉が表示された。


『おれがいっぱいわがままを いったから』


 わがまま、と言うのは歌って、や、星を見に行く、お菓子を食べる──なんて、約束したことを言っているのだろうか。
 そんなことはないだろう。否定の言葉を口にする前に、文字が素早く表示されていく。


『おれがいっぱい へんなことをいったから』
『おれがへんなやくそくばっか とりつけたから』
『おれが──』


 感情を吐露するかのように、次々と表示されていく言葉に、思わず驚く。レンは、なんでこうも自虐的なのだろう。レンのせいなはずがない、と思う。確証は無い、けれど、そう思った。違うよ、ときっぱりと否定をするように言葉を口にすると、言葉が止まる。

 レン、と名前を呼ぶ。返事はもちろん、無い。彼からは、きっと、の姿は見えているのだろう、と思う。だとしたら、きっと、おかしいのはの方なのだろう。心に浮かんだ言葉をそのまま口にすると、瞬時にメモ帳に言葉が表示された。


『それはない』


 否定の言葉に、苦笑を漏らす。それはない、って。次いで、のろのろとしたスピードで、『きっと おれのせいだよ』という言葉が画面内に現れる。


「それはないよ」


 軽く笑って、先ほどのレンの言葉をそのまま口にする。きっと、彼は面食らったような表情を浮かべているに違いないだろう。すぐに想像が出来る。
 溜息を吐くかのような間を置き、もう一度言葉が表示される。


『ばか』


 二文字。簡潔に綴られた言葉に、思わず頬をひくつかせてしまう。馬鹿って。彼の姿が見えていたなら、マウスでクリックするなり、モニタを軽く突付いたり、なんなりできただろうけれど、今は何も見えないし、出来ない。苦笑を零して、酷いなあ、と言葉を漏らす。


『ばか へんたい ばか』
「ひ、酷いなあ……ホントに……」


 次々と表れる罵倒の文句に、思わず表情に苦いものを忍ばせつつ、笑う。
 でも、良かった。少しは元気になっただろう。何でも良い、レンの気持ちが浮かび上がったなら、それで良い。彼が自分を責めるようなことをしないなら、それで良い──。
 そっと吐息を零し、レン、と彼の名前を口にする。瞬間、つらつらと並びたてられていた罵倒の文句が途絶えた。


「きっと、いつか見えるようになるんじゃないかなあ」
『そうおもうの』
「思うよ。だって、今まで見えてたのに、急に見えなくなるなんておかしいじゃん」


 その見える以前は、見えなかったのだけれど、なんて言葉は心の奥底に仕舞い込む。レンは気付いたのか、気付いていないのか、多くの間を取って、小さく言葉を口の端から零すように、一言だけ言葉を綴った。


『しんじてる』


 それは、が再度、見ることが出来るようになるのを、だろうか。頷いて、小さく溜息を漏らす。


も、信じているよ」


 きっと、見えるようになるだろう。楽観的に考えておくほうが、──正直、怖くない。
 もし、もしも、このまま見えなかったとしたら、はどうすれば良いのだろう。メモ帳に表示される、レンの言葉を見ながら、会話をすれば良いのだろうか。
 別に、それでも良いとは思う。見えなくとも、会話出来るのだから、全く見えなかった昔からしたら、もうけものだろう。

 けれど、知ってしまったのだ。レンの笑顔や、拗ねた顔や、泣きそうな顔、怒った顔。喜怒哀楽によってめまぐるしく変わる彼の表情と、声を。
 だからか、メモ帳だけでは、なんとなく──物足りなかった。

 まあ、今考えても仕方の無いことだろう。考えに栓をする。思索をしている内に増えたのだろう、メモ帳に文字が追加されていた。


『じゃあ はやく どうがをみようよ』


 変わり身の早さに、なんとなく笑えて来る。そうだね、と言葉を漏らして、は閉じていたウィンドウを開く。メモ帳は小さ目のサイズに変わり、いつもレンが座っていた右横へと、ずるずると移動していく。レンが動かしているのだろうか、なんて思うと笑えてきた。それを顔に出すことはしなかったけれど──。


 それから、二人で動画を見て、──夜遅くの時間になった。電源を消そうとすると、メモ帳に素早く文字が表示される。


『いっしょに ねて』
「……レン? どうして?」


 僅かな疑問を口にすると同時に、メモ帳に言葉が表示される。


『ごめんなさい うそ』


 声を挟む間も無く、彼の言葉が次々とメモ帳に浮かんでくる。


『ごめん うそだから わすれて』
『ほんとうに うそだから』
『ごめんなさい』


 なんでこんなにも謝ってくるのだろう。別に良いよ、気にしてないよ、そう口にすると、矢継ぎ早に表示されていた言葉が止まる。
 無言。なんとなく、レンは泣いているのではないか、と思った。彼が泣いているところなんて、全然見たことは無いけれど。泣いているの、と口にしそうになって、慌てて言葉を飲み込む。

 そんなことを聞いてどうするというのだろう。例え泣いていたとしても、は慰める言葉をもたないし、頭を撫でることさえ、出来ない。
 そっと吐息を零して、次いでレン、と名前を呼ぶ。安心させるように、極力優しい声で名前を呼んだつもりだったけれど、どうなのだろう。


「明日には、きっと大丈夫だから。ね、大丈夫だよ」
『そんなこといわれなくてもわかってるよ ばか へんたい』


 ……どうして、そこで馬鹿、や、変態、という言葉に通じるのかわからないものの、少しは元気を取り戻したであろう様子が文面からにじみ出てくるのがわかる。
 モニタの表面を指先で軽く撫で、じゃあね、と言葉を口にする。呼応するように、モニタに言葉が表示された。ばいばい、と、柔らかな平仮名で紡がれた言葉は、レンの声を思い出させた。

 電源を消す。明日になったら直っているなんて保証は無い、そんなことは分かっている。けれど、きっと、大丈夫だろう、という思いが何処かにあった。きっと大丈夫、そんな思いを抱いて床についた。

 レンの姿は、次の日も、その次の日も、──ずっと、あらわれなかった。



 どうして、見えなくなったのか、なんてわかるはずもない。考えても、なんの答えも浮かんでこない。
 けれど、なぜか暇がある時はそのことばかり考えてしまうようになった。今だって、家路の最中、浮かんでくるのはそのことばかりだ。

 この数日間、レンの姿を見ることが出来ないのは、どうしてか胸を酷く痛ませた。原因はわからない。
 おかしくなっている、と思う。レンと出会って、話すようになってから、は確実に。レンが悲しんでいると彼の笑顔が見たくなったり、辛そうな顔をしていたり、本気で怒った顔をしていると、何かあったのかと心配したり。

 この気持ちは友達に対する思いにしては、少し、行き過ぎている気がする。

 だとしたら、何て言葉をつければいいのだろう。考えると簡単にわかる。けれど、どうしようもなく、その思いは認めたくないものだった。
 いつのまにか帰りついていた玄関の扉を開く。後ろ手に扉と鍵を閉め、そのままパソコンのある部屋へと直行した。電源をつけ、立ち上がりを待つ。

 モニタにデスクトップが表示された。彼の姿を捜す。見えない、居ない。溜息を落としそうになるのを胸の奥に押し込めた。数分経ち、メモ帳が勝手に表示される。いつものように言葉が流れ出す。


『おれのこと みえている』
「……ごめん、見えない」


 今日も、見えなかった。一体、いつになったらはレンの姿を直視することが出来るのだろう。小さく息を零し、けれど彼には悟られないように笑みを浮かべる。
 残念だったね、と何度目かわからない言葉を口にして、いつものようにインターネットを開こうとマウスを動──かせない。
 何かに阻まれているかのように、カーソルは動かず、その場に止まっている。レンが止めたのだと、理解するのは早かった。

 レン、と語尾を上げて問い掛けるように名前を口にすると、メモ帳にゆっくりと文字が映し出された。


『どうして みえないの』
「……どうしてだろうね。でも、いつかきっと見えるように──」
『どうして おれはそっちにいけないの』


 言葉を遮るようにして、つづられた文字に言葉を無くす。無機質な、固い文字が紡ぎだす言葉は、どうしてか胸に突き刺さってきた。


『どうして おれはぼーかろいどなの』
「……どうして、だろうね……」
『おしえてよ どうして おれはそっちにいけないんだよ』


 僅かに荒々しくなった言葉に、何を言うことも出来ない。何を、言えば良いのだろう。彼に教えれば良いのだろうか。次元が違うのだからしょうがない、第一、レンは作られた存在なのだから、とは全く違う、なんて。

 言えるわけがない。そうこうしている内にも、レンの叫ぶようにつむがれる言葉は増えていく。


『どうして どうして どうして』
『やだよ もうやだ ここからぬけだしたいよ ひとりはやだよ』
『まえみたいになるのは もっとやだ』


 怒っていると同時に、レンは泣いているのかもしれない、と思った。吐き捨てるように綴られ、感情をあらわにしたように紡がれる言葉。
 言葉を挟む間も置かずに、レンの言葉が並べ立てられていく。それを見ていることしか出来ない自分に、嫌気がさした。


『まえみたいに はなせないのは やだ』
『おれのこえをきいてよ おれのすがたをみてよ おれのこと みて』
『こんなの やだ やだ やだ いやだ う』


 う? と疑問に思って、彼の二の句を待つ。


『うあ やだ やだよお う うあ うう やだあ』


 泣いているのだ、と思った。うあ、と言う言葉は彼の嗚咽なのだろう、きっと。文字にすると、なんだか間が抜けていて、笑えて来るような文字列だ。けれど、笑いは浮かんで来ない。それどころか、どうしようもなく悲しくなってきた。
 慰めたい。レンの笑顔が見たい。けれど、慰めることも出来なくて、笑顔を見ることも、ましてや怒っている姿、泣いている姿も見えない。

 メモ帳が彼の堪えるような嗚咽で埋め尽くされる。
 ──無意識の内に、マウスを動かしていた。適当なところを見つくろって、ドラッグをする。そんなことを繰り返している内に、レンの嗚咽の言葉が次第におさまっていき、わずかな間を置いて、呆れたような言葉がメモ帳へと表示された。


『なにやってんの』
「……な、撫で撫で……」
『おれ そんなとこに いないんだけど』


 ……じゃあは数分間、何も無い所でドラッグを繰り返していたんですね。マウスから手を離し、小さく嘆息を漏らす。それから、はモニタをぼんやりと見つめた。レンの姿は依然として、見えない。
 なんとなく苦しくなってきて、それと同時に言葉が、口を突いて溢れてくる。


「笑って」
『むり』


 簡潔に返された言葉に、なんだか逆に笑いを零してしまう。無理って。拗ねたように言う彼の表情が目に見えるようだ。


「見えていないと、不便だね、やっぱ」


 彼の返事も聞かずに、言葉を続ける。


「レンの声も聞きたいし、はやく見えるようになりたいなあ」


 前に、見えなくなっても普通に暮らせるだろう、消えていたとしてもそれは前と同じようになるだけだから大丈夫だ、なんて思っていたのが嘘みたいだ。
 会いたいし、見たいし、話したい。片肘をついて、手の甲に顔を乗せるようにする。視線はキーボード、机、足、と順順に下げていく。数分して、顔を前に向ける。メモ帳に新たな言葉が表示されているのが、見えた。


『あいたい』


 あいたい。──会い、たい? が首を傾げると同時に、言葉の続きがゆるやかなスピードを保って表示されていく。


『しゃべりたい いっぱい しゃべりたい おれのこえで ちゃんとことばをはなすから』
『だから はやく おれをみて』


 ためらうような間を置き、言葉が続く。


『しんじてる』


 信じている、という言葉を何となく重く感じた。けれど、それを表情に出すことは出来ない。レンを、不安にさせることなんて、出来ない。心の中で嘆息を漏らす。それから手の甲で、ノックするようにモニタを軽く叩き、笑って見せた。
 見えないけれど、レンもきっと笑っているだろう、と思った。


→続くー

2008/07/28 inserted by FC2 system