きっと、嘘 23


 パソコンの電源ボタンを、人差し指で押す。少しして、何かを読み込む音が静寂な部屋に響いた。
 ──ぱ、とモニタの電源がつく。完全にパソコンが読み込みを終えてから、レンが出てきた。いつものように、右横から。

 それを見て、無意識に安堵の溜息を落とす。レンはと視線を合わせると、困ったように笑った。


「溜息。どうかしたの」
「ん。いや……」


 言葉を止めると、レンが近づいてきて、拳をモニタへと軽く打ちつけた。音は聞こえないものの、多分、硬質で軽い音が響いているのだと思う。視線を合わせると、軽く首を傾げられる。続きは、と言外に問い掛けているのだろう。

 それに軽く笑みを零して、は口を開いた。


「や、今日も見えているなあ、と」


 ちょっと、変なことを言ったのかもしれない。レンは拳を離すと、そのまま手のひらを腰にあてた。気位の高そうな表情を浮かべ、小さく鼻を鳴らす。


「当然だろっ」


 当然だろって言い切るあなたが凄いです。心の中でそんなことを思いつつ、マウスを動かしてレンの頭を撫でた。彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたけれど、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべ、くすぐったそうな声を出した。


「そうだよねー、ごめんごめん」
「そ、そうだよ、もう、本当に……」


 そこまで言って、レンは口をつぐむ。彼は瞳を逡巡させるように動かし、それから小さく息を吐いた。マスターの馬鹿、とやはり小さな声で紡ぐのが耳朶を打つ。

 ──パソコンを最近、つけるたびに怖くなる。レンは見えるのだろうか、見えないのだろうか、なんて不安で胸が一杯になるのだ。
 正直、おかしいと思う。馬鹿みたいだとも、思う。見えなくなっても良いと言っていたというのに、自分の心の変わりように、なんだか笑えて来たりもする。

 レンの姿を見ると、安心する。それと同時に、なんともいえない気持ちが胸の奥に降り積もっていくのを感じる。
 きっと、全部、おかしいことなのだろう。

 そんなことを考えて、出かけた溜息を胸の奥に蓄積させる。笑みを浮かべる。


「馬鹿って酷いなあ……」
「酷くないよ。本当のことだもん」


 そうかなー、と軽く笑って流し、レンの頭を撫でていたマウスを離す。小さな声が彼の唇から漏れ、次いで揺れた瞳がに向かってきた。
 どうかしたのだろうか。ん、と語尾を上げ調子に言葉を発すると、レンの視線が逸れる。彼は口唇を開いたり閉じたりを繰り返し、頬を染めた。口元に指先を当て、困ったような表情を浮かべてを見る。

 少しして、僅かに震えた声音がスピーカーからじんわりと零れてきた。


「も、もっと、してくれない、の?」
「してほしいの?」


 ほんの少し驚きながら、問い掛けるように言葉を返す。レンは眉根を寄せ、を睨むように見つめた。酷いよ、という言葉が彼の口から漏れる。
 酷い、って……何が酷いというのだろう。疑問が首をもたげてくるものの、それを口には出さない。苦笑を零して、そうかな、と言葉を口にする。

 とたん、レンは居心地悪そうに表情を歪め、唇にあてていた指先を離し、そのままネクタイをいじりはじめた。指先で撫で、弄ぶように引っ張ったりしている。


「そ、そうだよ、酷いよ、変態っ」
「うん。どういたしまして」
「話繋がってないじゃんっ! オレのこと馬鹿にしているのかよっ」


 馬鹿にしているつもりはないのだけれどなあ。軽く笑い、ごめんごめん、と謝罪を口にする。レンはの言葉に軽く鼻を鳴らすと、そっぽをむいてしまった。あれ、怒らせてしまったかな。

 怒らせてばかりだ。苦笑を零して、レンー、と間延びした名前を呼ぶ。レンがじろりとねめつけるような視線を送ってきた。それを甘んじて受けながら、レン、ともう一度名前を呼ぶ。

 レンの唇が小さく動き、ごにょごにょとくぐもった言葉を紡ぎ出す。聞こえなかった。


「なにー?」
「……な、名前ばっか呼びすぎ……」


 レンがこちらを向いてくれないから名前を呼んでいるのだけれどなー。そんなことを思いつつも、マウスを動かし、インターネットを開く。そのまま、動画投稿サイトへと直行した。
 レンが小さくため息を吐き、の名前を呆れたような感情をまぜて呼ぶ。彼はそのまま、モニタの右端へと移動すると、に背を向けて座り込んだ。

 ボーカロイドの曲を探し、クリックする。パソコンが動画を読み込み、しばらくしてから曲が流れだした。
 それを頬杖をついて聞く。耳に心地良いメロディと、弾むような歌詞。聞く限り、女の子が誰かに対して恋心を持っているもの、みたいだった。綴られるのは恋をする際の柔らかく、暖かな感情ばかりだ。

 それはPV風の動画となっていて、ボーカロイドと共に顔が隠れた男の人が出演している──いわゆる、オレオレ動画、となっていた。
 動画を流れる、「これはオレ」「残念俺だ」「いつのまに撮られていたんだ…」というコメント。それになんとなく笑いを零してしまう。

 その笑い声に気づいたのだろうか、レンがいぶかしげな表情を浮かべてこちらを振り向いた。


「どうか、したの」


 わずかにためらうような間を置いて紡がれた言葉と同時に、曲が終わる。オススメ動画が表示されるのをぼんやりと見ながら、レンへと視線を落とした。彼は体ごと、こちらに振り返り、首を傾げる。膝を抱えた──体育座りをしながら、彼はもう一度、問いを投げかけてきた。


「どうかしたわけ」
「……ん、いや、なんというかオレオレ動画になってたなあって」
「おれおれ、どうが?」


 オウム返しをするように、レンは舌足らずに言葉を言い切り、怪訝そうな色を表情に浮かべた。どういう意味かわからないのだろう。
 そうだよ、と頷く。すると、レンは一瞬、瞳の色を揺らし、逡巡するように周りを見渡した。少しの間を置いて、困ったような表情を浮かべる。


「どういう意味?」
「そのままの意味。さっきの動画、男の人が出てきていたじゃんか」


 レンはこっくりとうなずき、小さな声で先を催促するように、「……それで」と語尾を上げて問いかけるように言葉を発した。
 それを見ながら、どうやって説明したものかと考える。んー、と語尾を伸ばして声を出し、それから苦笑を浮かべた。


「こう、その男の人を自分と置き換えてコメントする、っていうのかな……」
「……ふうん」


 多分、良くわかっていないのだろう。鼻から抜けるように呟かれた言葉に、続ける言葉を無くす。
 レンは膝と胸の間に出来た隙間に、わずかに顔を埋めると、くぐもった声でもう一度、ふうん、と囁くように零す。

 ……沈黙が回りを包む。どうしようもないので、オススメ動画を見ることにした。スクロールを動かし、目にとまったものをクリックする。画面が移り変わり、パソコンが動画の読み込みを開始する。

 それを見るともなく見ていると、レンの声がスピーカーから響いてきた。


「……オレの動画とかにも、そういうの、あるの?」
「あるよ。いっぱい。これはあたし! とか、これは私! とか、むしろ俺、とか」
は、そういうコメント、つけたこと、……ある?」


 ……何でそんなことを聞くのだろう。困惑を表情に乗せながらも、笑う。レンがわずかに埋めていた顔を上げ、険の混じった視線でを射抜くように見詰めてきた。
 動画が始まる。視線を動画へと向けると、レンの鋭い声が耳朶を突いてきた。


「答えてよっ」


 怒気をあらわにしたような声に、多少ならずとも驚いた。何か怒ることでもあったのだろうか。レン、と語尾を上げ調子に名前を呼ぶと、彼は気まずそうにから視線を逸らした。
 レンの唇が動き、囁くように先ほど紡がれた言葉が繰り返される。声音が震えているように聞こえたのは、の気のせいなのだろうか。

 ……と、言われても、書いた……こと。あるような無いような、曖昧な記憶しかない。ただ、こう訊いてくるってことは、きっと、彼の望む答えは肯定するようなもの、なのだろう。たぶん、書いたこと……ある、かなあ、あるよね、多分。


「──あるんじゃないかなあ」


 そう言うと、レンはとたんに嬉しそうな表情を浮かべた。口唇の端に笑みを乗せ、恥ずかしそうに片方の手の甲を頬へと当てた。
 ……なんでそんな嬉しそうなのかはわからないものの、彼の望む答えを返せたようで、良かった。


「そっか、そうなんだ。……そっか……」


 なぜか、自分に言い含めるように何度もレンは「そっか」と言葉を口にし、嬉しそうな笑い声を零す。
 まあ、なんにしてもレンの怒りは収まったようだ。それに安堵しながら、動画へと集中しようとする、ものの、レンが絶え間なく嬉しそうに笑い声を零すので、そのたびにそれが気になって集中が途切れてしまう。

 動画を止め、レン、と僅かに怨嗟を込めて名前を呼ぶ。レンは肩をびくりと震わせると、けれど嬉しそうに笑みを浮かべた。


「ごめ、なんか、オレ、おかしいみたい」
「や、おかしいことはないだろうけれどさ……、何がそこまで嬉しいの?」
「……え……?」


 問いかけるような言葉を口にすると、レンの表情に困惑の色がさした。彼は笑うのをやめると、立ち上がり、へと近づいてきた。モニタに手のひらをつけ、首を傾げる。


「どうしてわかんないわけ?」
「え、え?」


 どうしてわかんないわけ、と言われても、困る。
 え、がレンの望む答えを言ったのが、そんなに嬉しかったのだろうか。よくわからない、本当に。それとも、がレンの動画で「これは!」というコメントをつけたりすることに対して嬉しさを感じたのだろうか。
 前者はありえるとして、後者はありえないだろう。

 どうしようもないので、あいまいに笑みを浮かべると、レンに険のこもった声音で名前を呼ばれた。
 レンはどうしてか、泣きそうな表情を浮かべていた。掌に力を込めているのだろうか、モニタにくっついた指先が、じりじりと動く。


「わかってるくせに、知らないふりばっかして……」


 え。いや。本気でわからないんですけれど。そう言おうとするものの、今言ったら確実にレンの逆鱗に触れそうな気がするので、言葉を喉の奥でとどめる。
 レンは声を上ずらせての名前を呼ぶと、背中を向けた。どこか──右上へと歩き出し、手のひらでウィンドウの右上端を叩く。ウィンドウが閉じてしまった。

 ……え? な、なに。何が起こっているのだろう。唖然としてしまう。レンは、そんなに構う様子も見せず、そのまま身体を翻してモニタの中央まで寄ってくると、腕を組んだ。


「……レン? あの……」
「い、今から、前言ってた、話、するから!」


 前言っていた、話。へ、と声を出すと、レンはじれったそうにモニタを軽く叩き、語調を荒くして言葉を紡ぐ。


「この前、言っていただろ! ……そ、そのっ、訊きたいことが、あるって、言ったじゃん……」
「ん、あ、うん。そうだったね」


 軽く笑いを零すと、レンがじろりと睨みつけるようにを見つめてきた。
 ……忘れていたことは悪いものの、そこまで睨みつけられるようなことも、無いような。苦笑を零すと、レンの唇からため息が漏れた。

 その後、レンはの名前を呼び、逡巡するように視線を巡らせる。彼の頬が徐々に赤くなっていき、口唇から漏れる吐息に震えが走ったものがまじる。


、あの、すごく変なこと訊くけどっ、本当、あきれるようなこと、訊くけど……、呆れないって、約束して」
「……ん」


 指先をモニタにくっつける。レンは、わずかに驚いた色で表情を染め、けれどそれをすぐに打ち消し、はにかむように笑った。


「うん……」


 頷くと同時に、レンは指先をくっつけてきた。彼はくすぐったそうな笑い声を零し、指先をモニタから離す。それを見てから、も指先を離した。

 指先にはじんわりとした熱が灯っている。モニタの熱だ。けれど、どうしてか、それが愛おしいものに思えた。モニタにくっつけた指先を見つめ、片方の手の指先で、つま先をなぞる。ガラスに触れたときのような手触りが、皮膚を通して伝わってきた。

 小さくため息を零し、は視線をレンへと戻した。彼は頬の熱を取り去るように、手の甲を頬に押し当てていた。の視線に気づくと、手のひらを顔から離した。
 呼吸を繰り返し、しばらくしてから、彼は意を決したような言葉を紡いだ。


「オレって、の──」


 震えた声、上ずってもいた。緊張しているのだろうか。
 レンは困ったような笑みを浮かべ、口を閉ざした。続きを言うのをためらうように、小さな吐息を漏らす。

 続きを急かすことも出来ず、レンの言葉を待つ。彼の頬は先ほどより赤くなっていた。


の、どんな、存在?」


 どんな、存在? どういう意味なのだろう。小さく声を漏らすと、レンはから顔を逸らし──そうになって、けれどすぐに視線をと合わせ、早口に言葉を紡いだ。


はオレのこと、──好き?」


ノーマルエンドへ
グッドエンドへ


2008/08/13

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