きっと、嘘 04



 なんというか、ていよく交わされた気がしてならない。お風呂について。色々と考えたのだけれど、モニタ上だったら精密機械って関係ないような……、まあ、別に言っても栓なきことなので言わないけれどさ……。
 パソコンの電源をつけて、はいつものように肩肘をついてモニタを見入る。じじ、と本体が何かを読み込むような音がして、画面が映し出される。

 じりじりと、パソコンが立ち上がり、デスクトップが表示される。と同時に、レンが画面の右横から出てきた。を見とめ、微かに笑う。


「こんばんは、……
「こんばんは、レン。突然だけどさー」


 お風呂本当にないのか本気で聞きたいものの、何度も同じことを聞くのはウザがられそうなので、言葉を口の中で押しとどめる。
 そういえば、彼は着替えないと言っていた。それはどういうことなのだろう。まさか、一着をずっと着ている、なんてことはない……よね……。

 突然だけど、という言葉で話すのを止めたの名前を呼び、レンは首を傾げた。続きは、と瞳が問いかけてくる。
 小さく息を零して、は言葉を口にした。


「や、着替えないってことは、服……」
「……一着だけだけど」


 当たり前のように返された言葉に、しばし言葉を無くす。えー。マジなのか。
 汗とかかかないのか。首を捻って、その疑問をそのまま言葉にして出すと、逆にレンに首を傾げられた。
 彼の瞳が瞬き、「汗……」と、桜色の唇が言葉を紡ぐ。


「汗って……」
「運動したときとかに出てくるんだよ」
「ふうん。人間って大変だな」


 ……いやいやいや。いやいやいやいや。
 乾いた笑いが漏れそうになって、押しとどめる。人間って大変だな、って……ちょいちょい、なんかおかしくないか。


「レンも人間でしょー」


 思った言葉をそのまま口にすると、レンの表情にかげがさした。彼は何かを言わんとしたのか、唇を何度か開閉する。すこしして、彼はそっと呆れたような表情を浮かべた。肩をすくめて見せる。
 ん。何か変なこと言ったかな。
 レンの表情同様、呆れたような声音が耳をつく。


「そうだけどさ。マス、……とオレは違うだろ」
「……そっか、な」


 語尾を上げ調子に問うと、レンは大げさに溜息をついてきた。腰に手を当て、胸をはる。
 彼は大きく息を吸うと、言葉を発した。


ってさ、馬鹿だろ」
「……馬鹿とはなんですか馬鹿とは」


 なんか、最近、馬鹿馬鹿言われているような気がする。ここまで言われたら、さすがに傷つきますよレンさん。牽制するようにモニタを指先で突いた。
 レンがそっと、ろうそくの火のような儚い微笑みを浮かべる。彼はの指先が触れた位置に、自分の指先をつけると、笑った。すぐに指先が離される。

 レンは自分の手を、胸の前でもう片方で握りしめると、と視線をあわせてきた。
 綺麗な瞳だと思う。緑とも青ともつかない色がにじむ、瞳。は小さく息を吐くと、モニタから手を離した。
 それにしても、と思う。今日は何をしようかな。どうせだし、レンに希望を取ってみようか。レン、と彼の名前を呼ぶと、彼は首を傾けた。


「なに、マスター」
「あ」
「……」


 レンが顔を逸らす。そのあと、横眼でやってしまった、とでも言うようにをちらちらと伺い見る。なんだろう。可愛いなあ。にじみ出る苦笑を抑えきれずに浮かべると、彼は鼻を鳴らした。に向かいなおり、「しょ、しょうがないだろ!」と語調を荒くして言葉を放つ。


「オレ、今までマスターって呼んでいたんだから!」
「あー、そうなんだー」


 間延びした言葉を返すと、なんだよその口調、とレンは怒ったようにを指さした。……や、口調って、別に逆上させるために言ったわけじゃ……。
 頭を掻いて、ごめんごめん、と笑って言葉を発する。すると、レンは唇を尖らせて手を下ろした。


「こんな、急に変えられるわけがないだろ……」
「そっか。じゃあ、そうだね、もう別にマスターでも良いよ」
「な、あ……う……」


 呼び捨てされるのは、レンのこと好きだし嬉しいけれど、彼が戸惑うようならば別に良い。折衷案としては良策だろう。手をひらひらと横に振って言うと、彼は顔をしかめてを見た。
 眉が八の字型になっている。彼が小さく息を吐く音が耳朶をついた。と、同時に、何かを決心したような声音が届く。



「うん?」


 彼の透明な声で名前を呼ばれる。返事をすると、レンは肩を怒らせて、続けた。


っ」
「……なに、どうしたの」
……」


 はあ、と生半可な返事を返す。何度も名前を呼ばれるというのは、なんだか気恥かしい、なあ……。
 レンは小さく息を吸い込むと、何かしら決意を秘めたような視線をに向けて、言葉を力強く紡ぐ。


、って、呼ぶからな!」
「……あ、そう……です、か」
「ぜったい、呼ぶ!」


 レンが何を意気込んで、こんなにも張り切っているのかはわからないけれど、としても名前で呼ばれるのは嬉しいので、頷いておく。すると、彼は胸を張るようにして口唇のはたに笑みを乗せた。
 なんだか、微笑ましい。そっと笑みを零して、レン、と彼の名前を呼ぶ。レンが首をかしげた。続けて、何度も名前を呼ぶ。彼は律儀に返事を何度もして、が言葉を止めると、首を捻った。なんなの、と小さく言葉が紡がれる。や、別に理由はない。しいていえば、


「レンがの名前いっぱい呼んだので、お返しに」
「おかえしって……」


 呆れたように肩を落とされる。何も用がないなら、名前を呼んではいけないのか。心の中でそんなことを思いつつ、口に出すことはしない。
 それにしても、と、はニヤニヤと笑みを浮かべて肘をついた。レンがいぶかしげにを見る。


「レンの声、好きだよ」
「何度言う気……」


 そこで彼はぐっと押し黙り、頬を染めた。なんで赤面するのだろう。どうしたの、とつぶやくように言うと、彼の柔らかい色の唇が、言葉を紡ぎだした。


「……オレは、マスターの声、好きだよ……」
「そっか。ありがとう」
「お世辞じゃないからな」


 適当に返すと、レンは怒ったように言葉を発した。肩を怒らせて、唇を尖らせる。しかめられた表情に苦笑を零して、もう一度だけ感謝を述べる。すると彼は鼻を鳴らし、「……お世辞じゃ、ない」とつぶやくように零して、そっぽを向いてしまった。
 あれー。なんかもう、扱いが難しいなあ。

 は小さく息を落として、彼の姿を眺める。
 それにしても。一着かあ……。や、別に良いけれどね。あー、全く関係ないけれど、レン、動物の耳とか似合いそうだ。猫耳。犬耳。兎耳。リンだってミクだってメイコもカイトも似合うだろう。動物耳は正義!
 ……心の中でそんなことを思っていたからか、こぼれた言葉を押しとどめることは出来なかった。


「猫耳とかつけないの?」
「は、はあ!?」


 あれ。失言だったかな。でも、ショタといえば猫耳ですよね。心の中でそんなことを呟き、うんうん、と頷く。目の前には唖然とした表情のレン。彼は頬を真っ赤に染めて、口の開閉を急がしそうに繰り返していた。
 小さく、「何言って……」という言葉が紡がれる。それに呼応するように、は顔の前で手をひらひらと振った。


「猫耳。猫耳のレンきゅんが見てみたいですー」
「……」
「別に女装でも良いよ」
「……へ、」


 レンの瞳がを見据える。強い意志を備えた瞳だ。彼は体をわなわなと震わせて、指先をに突きつける。
 真っ赤な色に、顔が染まっている。彼はすっと息を吸うと、大絶叫を響かせた。


「変態! 変態変態変態ぃいいいい!」
「変態じゃありません。紳士もしくは淑女です!」
「そ、あ、うう……。……、の、変態……」


 彼の顔が俯く。あーもう。かわいいなあ。ニヤニヤしながら彼を見つめていると、あげた顔と目があった。彼は頬に手を当て、火照りを冷ますようにすると、しかめ面になった。
 をきっとねめつけ、頬をかすかに膨らませる。


「第一……猫耳なんて、無いしさ」
「え、それはあったらつけてくれるという解釈でオッケー? オッケーなの!?」
「ば、……馬鹿、つけるわけないだろ! つけるわけ、ないっ」


 えー、と残念さがにじみ出た声で抗議する。なんだよう。少しだけ期待をしてしまったじゃないですか。
 にしても猫耳……絶対可愛いよ、絶対似あうよ! 犬でも大丈夫ですよ! ちなみにそれに加え女装してくれたら嬉しいです、もっと。
 簡単に想像できる。自分の想像力に乾杯!

 しまりのない笑みを浮かべ、彼を見る。レンの火照りはまだおさまっておらず、彼は顔の近くで手を団扇のように、振っていた。


「絶対、似合うって。かわいいと思うよ」
「か、かわいい……」
「そうそう。ねー、服って増やせないの? 画像とか取り込んだら良いのかな」
「……そんなの、知らない。第一、オレは今の服が一番好きだもん。変えない」
「……そ」


 今の服が一番好き、かあ。まあ、別に強要するわけでもないので、服の話はここで終わりにしておくべき、なのかもしれない。猫耳の話も。
 小さく息を吐いて、沈黙を甘受する。
 何かを言うべき、それはわかっているものの、話題が浮かばない。の話すことは彼にとっては変態に分類されるものらしいので、頭の中でちゃんと考えてから言葉を発しないと、いつかは嫌われてしまうだろう。

 んー。何の話しよう。心の中で首をひねり、苦笑をこぼす。思い浮かばない。というより、どうしてこんな会話になったんだっけ。視線を落とし、考え込んでいると、レンの微かに震えた声が耳朶を打った。


「……は、いや、なの」


 疑問で濡れた声。視線を上げると、レンの瞳と絡み合った。彼は胸の前で手を組み、居心地が悪そうに表情をしかめながら、言葉を続ける。


「オレの……」


 言葉が呑み込まれる。ん。オレの、何だろう。続きを急かすこともできず、首を捻る。オレの。……服装、かなあ。よくはわからないものの、前後の話からして、服装の話、だろう、たぶん。
 首をかしげつつ、「ううん」と否定の言葉を口にした。


「別に、レンの今の服装も好きだよ。膝小僧とか良いですよね!」
「……変態」
「っていうかセーラー服って浪漫だと思うんですよね。おもにの」
「ろまん、……、よくわかんない」
「や、分からない方が良いと思うけどね」


 当たり障りのない会話をしつつ、ちらりと時計に視線を向ける。そろそろご飯を食べて、寝なければいけない時間帯だ。
 んじゃあ、と言って席を立ち、マウスを終了オプションへと走らせる。それに、やっぱりレンは過敏に反応して、不機嫌な表情を浮かべた。


「……なんか、早い」
「何が」


 呟かれた言葉に、疑問を漏らす。レンは唇を尖らせると、不機嫌な声音で言葉を続ける。


「時間が経つの。前は遅かったのに」
「……え。なに、口説いているの、そうなの?」
「はあ? 何言ってるんだよ、
「だって、時間が経つの早いって……」


 それはつまり。
 考えるとニヤニヤしてしまう。言葉を止めたに、レンが苛々とした表情を浮かべ、急かすように名前を呼んだ。
 はマウスに乗せた手を離し、彼の望んでいるであろう答えを口にする。


「楽しいってことでしょ。と話すの、楽しいー?」
「な、あっ……!」


 レンの頬が瞬時にして真っ赤になる。あーあー、火照りやっとおさまっていたというのに。彼は潤んだ瞳でを見つめると、何かを言おうとして、口を開き──すぐに閉じた。
 代わりに、カーソルの近くまで寄って行き、強引に終了オプションを開いて、電源を切るボタンを、押す。徐々に暗くなっていくモニタ。唖然とするをよそに、モニタの中心で彼は叫ぶように言った。


「た、たの、楽しくなんか、別にっ……全然、無いんだからな! 馬鹿! 変態!!」


 必死に言葉を紡ぐ彼。ボーカロイドというのにドモりながら言葉を発するのは、見ていてなんだか微笑ましい。
 そっと、苦笑を零す。全力否定、かあ。気恥かしさから、なのかはわからないものの、彼が本心からそう言っていないのはわかっている。けれどね、やっぱり切なくは感じてしまうわけなのですよ。


「──わかってるよ」


 笑みを浮かべながら言ったものの、かすかに、寂しさをはらんでしまった声、だったのかもしれない。レンの火照りが一瞬にして消え、代わりに戸惑いが表情を埋め尽くす。彼の口が開く。何かの言葉をかたどる前に、パソコンの電源が切れた。
 なんとなく一抹の寂しさを覚えながら、はモニタの電源を切った。


→続く



2008/05/24
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