マスターのご両親に、変なところに連れて行かれた。山奥の山奥、僅かに平らになったところ。山の斜面がそこで途切れていて、平地となっていた。おれ以外のボーカロイドやロボットが沢山、そこにあった。
 それを、視線を回して見ていると、マスターのご両親に、「此処にずっと居るんだよ」と言われた。命令ですか、と問い掛けたら、首を振られた。何も言わずに居ると、マスターのご両親は何処かへと行ってしまった。

 おれはそれから、ずっとそこに居る。


幸運の星から離れて


 棄てられたのだと、理解したのは早かった。どうやら、おれの棄てられた場所は、要らなくなったボーカロイドやロボットを棄てるのに適した、辺鄙な村の、これまた辺鄙な山奥だったのだ。
 ボーカロイドやロボットを棄てるのには、お金がかかる。ひとえに、手間がかかるのだ。メモリを消去し、身体を解体し、全てを溶かす。リサイクルすることは、出来るのだろうけれど、やらないらしい。おれにはよく分からない。

 ここには、おれ以外に棄てられたボーカロイドやロボットが沢山ある。全て、マスターやマスターの友人、恋人、両親によって連れてこられ、打ち棄てられたらしい。
 ミク、リン、レン、カイト、メイコ。流行の廃れと共に打ち棄てられ、そのまま──ずっと、ここにあるのだ。

 ここは平地で、視界を埋め尽くすほどのボーカロイドやロボットが暮らしている。といっても、暮らしている、という言い方はおかしいのかもしれない。正確には、待っているのだ。迎えが来るのを。──マスターが、迎えに来てくれるのを。

 だからといって、ずっと待てるはずもない。雨風に晒され、ましてや山だ、色々な野生動物に襲われ、風化し、朽ち果てていくのも多い、らしい。
 らしいというのは、おれがそういったロボットたちに、実際に会ったことがないのだ。平地に積み重なるようにそういった風化のせいで動けなくなり、さびついて倒れているロボットを除けば、野生動物に襲われ、ぼろぼろになったものを見たことが無い。山を探索すれば、そういったばらばらになったものも見つかるのかもしれない。でも、おれは言われた。此処にずっと居るんだよ、と。動くわけにはいかない。

 今日だって、マスターのご両親が去っていった方向をじっと見つめている。
 誰もやってこない。時折、茂みが動いて誰かが現れたかと思えば、ロボットを棄てにきた人間が出てくる。今日はまだ来ていないけれど、どうせまた来るのだろう。

 こんな風にロボットが集まっている場所を、政府が見逃すわけが無い。おれを含め、何百体と居るのだ、ここには。だからか、見たことは無いものの、一年に一度程度、人間がやってきて、朽ち果てたロボットたちを拾って帰るらしい。行き着く先は焼却炉──何百度にも熱せられた場所で、どろどろに溶かされるのだ。

 もちろん、その間、おれたちのような──稼動するロボットは、隠れる。捕まったら、焼却炉に投棄される。高温に熱せられた場所で、意識のあるまま溶かされ、実質的に殺されるのだ。マスターに会うためにも、捕まるわけにはいかない。

 マスター、と口内で呟く。山の上から吹いてきた風が、おれの髪を揺らした。ネクタイが風に踊り、柔らかい曲線を描き出す。
 マスターは、とても泣き虫だった。ことあるごとに泣いていて、そんなマスターを慰めるのは、いつだっておれの役割で。
 頭を撫でて、背中を優しく叩くと、マスターは嬉しそうに笑った。しゃくりを必死に押しとどめ、おれに向かって笑って見せる。それを見ていると、いつだっておれは幸せになった。

 甘い言葉、マスターに絶対に忠実なおれ。酷い現実、思い通りにならない周囲。どっちに縋るかなんて、一目瞭然だ。マスターは次第に内にこもった性格になり、とうとう、学校──学生、おれと同い年か、おれより年上くらいの年齢だった──に行くのを、止めてしまった。簡単に言うと、引きこもりになったのだ。

 そんなマスターを、ご両親が放っておくわけがない。おれが棄てられたのはマスターのせいでもあり、おれのせいでもあるのだろう、と思う。

 おれと話して、笑って、抱きしめて。マスターとおれは、それ以上のことはしなかった。マスターは望んでいなかったと思うし、おれもそういったことをするのは嫌だった。するのなら、と考えたことはある。直ぐに打ち消した。マスターが望む限り、おれはマスターに対して優しく、忠実でいなければならない。

 マスターは、どうしているのだろう。泣いては、居ないだろうか。
 考えたって、答えは見つからない。どうしようもないのだ。確かめる術も持っていないおれは、何をしたって、どうしようもない。

 小さく息を吐くと同時に、肩に軽い衝撃があたった。視線を斜め後ろに向けると、真っ青なマフラーが目に入った。身体を向ける。
 男が立っていた。見上げると、柔和な表情を浮かべた顔があり、首元に優しく絡み付けたマフラーが見える。襟を立てたような、よくわからない服で身を包んだ男の人の目は、青い。おれも青いけれど、それよりも、もっと深く、柔らかな広がりを見せる瞳の色だった。利発そうにそれが動き、おれと視線を合わせる。笑うと、目じりに皺が寄った。


「──レン、どうかしたのかい」
「マスターが来ないかどうか、待っていた」


 問いをかけるような声に、率直に言葉を返す。目の前の男、──ボーカロイドシリーズ02、男声、KAITOは喉から零れ落ちるような笑い声を零し、おれの肩から手を離した。そっか、と小さく呟く声が聞こえる。


「じゃあ、オレも此処に居ようかな」
「……」


 無言になる。それを肯定の証と取ったのか、カイトはその場に腰を下ろした。よいしょ、と小さな声を漏らす様に、なんだか呆れの感情が湧いてくる。
 おれは立っているので、必然的に座ったカイトの方が、背が低くなる。カイトはおれを見上げると、指先で手を引っ張ってきた。座れ、ということなのだろう。小さく溜息を零して、その場に座り込む。かすかに笑う声が耳朶を打った。

 この、──カイトのマスターは、女の人だった。二十代前半程度だろうか。泣きながらカイトをここに置いていった。おれが置いていかれ、ものの数分としないうちにカイトがやってきたから、驚いた思い出がある。カイトは泣き崩れ、地面に膝をつける女の人の肩を撫でながら、優しく笑って居た。

 おれには、二人の関係性はよくわからない。ただ、そんな風に泣き崩れるカイトのマスターを見ながら、自身のマスターのことを呆然と頭の片隅で感じただけだった。
 それから、カイトのマスターは帰り、カイトはおれに向けていた背中を翻して、振り向いた。風に揺れ、首もとのマフラーが、なびいていた。

 カイトは、おれと視線を合わせると、すぐさま嬉しそうに寄ってきて、おれの手を強引にとって、握手をした。初めまして、レンくん。オレはボーカロイドシリーズ02のKAITO、カイトだよ。君のお兄さんにあたるんだ──。
 だからどうした、と思った。言わなかったけれど。カイトはそのまま話しつづけた。夜が来て、朝になって、又夜が来ても、おれの手を離さずに話しつづけた。

 話は、カイトの品種番号の説明から入り、ボーカロイドシリーズ01、MEIKOの話に移り、ミク、そしておれとリンの話になった。話すネタが尽きないのか、カイトはおれやリンの声質の違い、歌の伸びの違い、そういったことを嬉々として話して、一息ついて、泣いた。

 おれの手を握ったまま、カイトは急に嗚咽を漏らしはじめたのだ。さっきまで笑って居たのに、と正直、焦った。なんで急にこんな、とも思って回りを見渡した。誰もおれたちを見ている奴なんて、居なかった。皆、思い思いの場所に座り、じっと、やはり思い思いの方向を眺めている。

 振り払ってやろうか、と思った。けれど、それは余りに酷いだろうと思い直した。握られた手をそっと外し、精一杯に手を伸ばして、マスターにするように頭を撫でて、背中を叩いた。カイトは、驚いたような表情を浮かべておれを見てきた。それが何だか居心地悪くて、おれは踵を返してその場を去った。
 すぐに、追いかけるような足音が響いてきた。土を精一杯に踏む、ぐ、ぐ、という音だ。振り返ると、あのカイトが笑って居た。ありがとう、レンくん。ますます笑みを深くしてそういったカイトは、おれに深深と頭を下げてきた。

 それから、おれとカイトは行動を良く共にしている。

 カイトとおれの話は、大体、マスターに対する思いの深さとか、そういったものばかりだった。マスターはこういうことが癖で、オレの調律にも癖があって──。頷くと、カイトは嬉しそうに笑い声を零して、レンくんは、と問い掛けてくる。
 おれがマスターの話をすると、カイトはいつだって親身になって聞いてくれた。そういうのは心地いいし、カイトは他のカイト──ひいては、他のボーカロイドにも好かれている。そんなカイトが、どうしてカイトはマスターに棄てられたのだろう、という考えばかりが頭の中にあった。


「レンくん」
「……」


 そんなことを考えていると、耳朶を優しく撫でるような声が響いた。視線を向けると、カイトが笑っている。す、っと骨ばった指先が何かを指差すべく、伸ばされた。その先に視線を向けると、遠くの方に、人間と──ボーカロイドが立っていた。初音ミク。それと、人間──二十代の男が立っている。
 男は何かしらを口にしていた。ミクのツインテールの髪の毛が、柔らかく彼女の挙動にそって揺れる。頷いているのだと、思った。


「あの子は、キャラクターボーカロイドシリーズ01、初音ミクだね」
「そうだね」


 弾むような口調に、違和感を覚えた。軽く睨むようにしてカイトへ視線を向ける。カイトは、口唇の端にほんのりと喜色を滲ませていた。


「あの子は、マスターが又、迎えに来てくれると良いのにね」
「……」


 何かを諦めるような口調に、吐息を零して返した。

 ここに、ボーカロイドやロボットを棄てて、それから数年後に、また迎えに来る人間がいる。おれがここに居る数年間にも、そういうことは多々あった。
 人間が名前を呼ぶ。レン、リン、カイト、メイコ、ミク──。マスターの声を、忘れるボーカロイドなんて、居ない。例えどんな状況であったとしても、立ち上がり、マスターの元へと向かう。走って、抱きつき、泣き叫ぶ。マスターも泣いて、それから、二人──もしくは三人、四人、多いときは六人で帰っていく。

 おれたちには人を憎む感情は、無い。単純なもので、マスターが迎えに来てさえくれれば、前同様、ずっとマスターのそばに居て、マスターのためだけに歌い、笑い、マスターだけを愛することが出来る。
 マスターの前には、どんな友情関係も風にさらわれる砂塵のようなものだ。先ほどまで話していたボーカロイドやロボットのことなんてお構いなしに、彼らはマスターに抱きつく。そして、振り返らずに去っていく。

 そういうものだと思う。けれど──。
 横に座るカイトに目をやる。カイトはミクと人間を指差していた手を下ろし、地面に埋まったクローバーを指先で突付いていた。四葉はどこかな、と歌うように言う声が聞こえる。

 おれが、マスターに迎えに来てもらったときは、振り返ってやろう。
 きっと、カイトもマスターが迎えに来たとき、おれのことを振り返ってくれるだろうから。

 指先でカイト同様、クローバーを突付く。カイトが、「お」と小さな声を上げるのが、聞こえた。


「四葉のクローバー探し対決、しようか」
「……別にいいけど、絶対におれが勝つよ」
「それはどうかなー。聞いて驚いてくれるかな、オレ、今までに三つも四葉を見つけているんだ」


 じゃあ、見せてよ。そう言って、四葉を探すべく下げていた視線を上げた。カイトも視線を上げ、おれを見る。青と、藍。カイトの瞳の色は本当に綺麗で、どこか海の凪を思い出させた。全てを包み込むような瞳に、世の女性は心を奪われるのだろうか。
 カイトの瞳が細まった。無いよ、と薄い唇が言葉を吐き出す。


「無いって。なんで」
「全部、近くにいた子にあげちゃったんだ」


 何であげるのだろう。もって置けば良いのに。首を傾げると、カイトが薄く笑うのが聞こえた。視線が下がる。指先へと向かっているのだろうと思った。


「──希望、信仰、愛情、幸福」


 歌うように、カイトの唇から言葉が漏れる。何を言い出すのだろう、と思う。と同時に、泣くような声──めちゃくちゃでかい──が耳朶を打った。カイトの指先が動く。ぷちり、と繊維のちぎれるような音がした。
 カイトの指先がおれの目の前で弧を描くように動いた。緑色の、──四つ葉のクローバーが、揺れる。


「オレの勝ち、で良いかな」
「……次は絶対に勝つ」
「それはどうかなあ」


 なにせオレは四葉のクローバー探しの達人だからね──。かすかな笑い声を含めたそれに、むっとした表情を浮かべてしまう。クローバー探しの達人って、たかだか四枚程度見つけたくらいで、いい気にならないで欲しい。
 口には出さない。出したら、おれが子どものように嫉妬しているのを、カイトはわかってしまうだろうから。

 カイトは立ち上がると、四葉のクローバーを包むように持った。胸元に当て、目蓋を伏せる。
 疑問で胸が一杯になるものの、どうしようもないのでおれも立ち上がる。泣くような、咽ぶような大声はまだ聞こえていて、視線をめぐらせると、先ほど人間とミクが居た場所に、ミクだけしか居ないことに気付いた。ミクは腰が抜けたようにその場に座り込み、──きっと、泣いている。大声で。

 先ほどから聞こえる、この声はミクのものなのだろう。カイトが目蓋をゆっくりと開き、歩を進めだした。長い足が、しっかりと地面を刻んで行く。なんとなく、おれもついていかなければ、と思った。並ぶように歩くと、カイトが横で笑った。
 カイトの行く先は、分かる。きっと、あのミクのところなのだろう。

 ……やっぱりというか、なんというか。カイトはミクの所にやってきていた。ミクはおれたちに構わず大声で泣き叫ぶ。それを見ていると、なんだか痛々しくなった。視線を逸らす。
 ミク、設定年齢は十六。おれより二歳年上だ。そのくせして、泣いて。大人のくせして、泣いて。なんとなく、彼女の高い、癪に障るような泣き声に苛立ちが募る。

 カイトが、泣きすぎてミクが変な声を出し始めた頃、声をかけた。


「初めまして、オレはボーカロイドシリーズ02、KAITOっていうんだ。君は、初音ミクちゃんだよね」
「ふえっ、うぅっ……」


 声をかけられたのに驚いたのか、ミクの泣き声が一時中断される。といっても、息を吸い込む際に漏れるような吐息は引きつっていて、咳き込んだりしていたけれど。ミクは、顔を覆うようにしていた手を恐る恐る下げ、カイトとおれを順に見た。長い睫毛の色が、緑色だということに気付く。それに縁取られた瞳の色は、おれの瞳の色より淡く、どことなく春の新芽を思い出させるような緑色で濡れていた。

 唇が、淡い色合いに染まっている。固く引き結んだそれからは、時折、耐え切れずに嗚咽が漏れていた。鼻は筆でちょんと書いたようなもので、小さかった。アンバランスな顔だと思う。けれど、そのアンバランスさからは、独特の可愛らしさが感じられた。
 濡れた瞳を見ていると、マスターのことを思い出す。マスターは泣いているのだろうか、と不安になってきて、何故か勢い良く動き出す胸元をぎゅっと握った。

 早く会いに来て欲しい。迎えに来て、欲しい。そう思うのは、きっと、おかしいのだろうと思う。


「だ、誰ですかっ……」
「……KAITO、カイトだよ。こっちは君と同じ、キャラクターボーカロイドシリーズ02の鏡音レン。知っているかな」
「し、知りませんん……っ」


 知らない、という言葉にカイトがそっか、と小さな声を漏らした。どことなく、優しい響きを持ったそれに、目の前のミクが僅かながらも肩から力を抜くのがわかった。
 知らないって。何を言っているのだろう。知っているに決まっているだろうに。あんなに大々的に宣伝されていたのだ、おれとリン。それにカイトも、メイコも。嘘を吐け、と考えて、おびえるミクを見、嘘じゃないのか? と思った。

 ボーカロイドを、監禁するマスターが居る、と聞いたことがある。
 テレビも何も無い部屋にボーカロイドを閉じ込め、調律の時だけ、呼び出す。もしくは、──欲求不満を解消するときだけ、呼び出す。
 どちらにしても、それを行った後、又直ぐにボーカロイドを部屋の中に閉じ込めるのだ。ボーカロイドは逃げない。不満も漏らさない。マスターが絶対の存在だからだ。

 そんな風なボーカロイドはどこかおかしくて、垢が抜けきっていない、といわれている。人間で言えば不思議ちゃん、というらしい。
 別段、ボーカロイドはそのようなことを辛いとは思わない。逆に、マスターに愛されていると思って妄信的に尽くすものも居るらしい。

 ボーカロイドの人権を訴える人も居る。そういったボーカロイドをかわいそうと思う人も居る。けれど、それを行われているボーカロイド自身は、全く苦にも思わない。辛くも無い。それが普通だからだ。行為を強要されても──というより、セクサロイドの機能もついているので、強要なんてことは無いだろうけれど──、壊れることはない。

 人を痛めつけることに性的興奮を持つマスターも居るのだろう。此処には時折、足や目を無くしたボーカロイドたちが連れてこられることがある。そういったボーカロイドは、大体、直ぐにどこかへと行ってしまう。平地から外へ出たことはおれには無いからわからないけれど、平地の外は山の斜面が急だったりするので、転んだり、切り立った崖から落ちて壊れてしまったり──平地から出て行ったボーカロイドは、大体は帰ってこない。

 目の前のミクに意識を戻す。このミクも、そうなのかもしれない。──マスターに、監禁まがいのことをされて、育ったのかもしれない。


「──ミクちゃん、突然で悪いけれど、オレは、……オレとレンくんは兄弟なんだ」


 いきなり何を言い出すのかと、横に立つカイトへ視線を向ける。カイトはすっと手のひらを伸ばすと、ミクの頭を優しく撫でた。


「だから、ミクちゃんも、オレのきょうだいなんだよ」
「わ、わわ訳がわかりませんっ、も、もおう、どこかへ行って下さいぃい」


 波打つような音声だった。きっと、カイトの突然の言葉に引いているのだろう。おれだって、多少ならずともカイトから間を置いてしまった。
 きょうだい、だなんて、突然初対面に言われても嬉しいはずがない。ミクはカイトの手をぺちりと叩くと、表情を歪めた。


「わ、ワタシは泣きたいんですうぅっ」
「きょうだいだから、ミクちゃんが泣いているとオレまで悲しくなるよ。それに、泣かなくても、良いんじゃないかな」


 ミクがカイトの手をつねる。ボーカロイドに痛覚は無いと、彼女は知っているはずなのに、意味も無い抵抗を繰り返していた。
 なんとなく居心地が悪くなって、周囲を見渡す。誰一人として、こちらを注視しているものは居なかった。そうこうしている間に、またボーカロイドが連れてこられたのだろう。もしくはロボットなのかもしれない。見渡すと、全体の数が増えているのに気付いた。


「きっと、ミクちゃんのマスターは迎えに来てくれるよ。だから、泣くことは無いんじゃないかな」


 無責任なことを──。周囲にめぐらせていた視線を戻し、カイトを睨むように見る。カイトはおれの視線に気付くと、苦笑を浮かべた。ちょっと待って、と唇が音もなく動く。
 カイトはそのまま手のひらをミクから離すと、手のひらを取った。手のひらを向けさせ、もう片方の手のひらが、その上に置かれる。カイトがミクの手のひらから自身のそれを離した時、皮膚の上に緑色の物体──四つ葉のクローバーが乗っていた。

 ミクが、変な声を出す。おそらくは、何かとクローバーを見まちがえたのだろう。カイトの、柔らかな声が響いた。


「マスターに、何て言われたのかな」
「……こ、ここ、ここに、居てねって……」
「それは、命令? それとも、お願いかな」


 ミクの唇が閉じられる。逡巡するように若草色の瞳が動き、ついで、お願いだった、と小さな声が響いた。カイトの笑みが深くなる。


「だったら、大丈夫だよ。迎えに来てくれるさ」


 何が大丈夫。何が迎えに来てくれる。心の中でそう思うものの、口には出さない。それを否定することは、ひいてはおれの願いも否定することになるからだ。
 迎えに来てくれるかな。心の中で呟く。直ぐに答えは返ってきた。
 ──迎えに来てくれるよ。優しく、言い聞かせるようなおれの声音だった。頷く。迎えに来てくれるのだ、きっと。

 マスターが迎えに来たら、泣くだろうか、と思う。──きっと、泣くだろうな、と思った。おれも、マスターも、きっと泣く。マスターはぐしゃぐしゃに表情を歪めて、でもきっと笑って言うのだ。レン、迎えに来たよ、と。
 そうしたら、おれは何て返そう。待ちくたびれたよ。もう来ないかと思ったじゃん。それと、きっと、マスターの頭を撫でて、背中を叩いて、言うのだ。

 でも、マスターのことを好きだから、許してあげるよ。──なんて。

 実際のところ、どうなるのかなんてわからないのに、カイトの言葉を聞くことによって、そんな想像が頭を掠めた。もう、何年も経っているというのに、おれは希望を捨てきることが、出来ないみたいだ。


「本当……ですか……」


 たっぷりとした間を取って、高らかな声が響いた。意識を戻し、ミクを見る。彼女は、スカートの裾を皺になりそうなくらい、強く握りながら、言葉を続ける。


「マスター、迎えに来てくれますか……?」
「きっと、ね」


 単純なのだと、ミクの表情に浮かぶ笑みを見て思った。ミクはきっと、監禁まがいのことをされていたボーカロイドなのだろうと、同時に確信した。カイトから貰った四葉のクローバーを抱きしめるようにして持ち、ミクは目蓋を伏せた。マスター、と淡い唇が濡れた言葉を紡ぎだす。
 カイトが笑いを浮かべ、その場に座り込んだ。レンくん、と名前を呼ばれる。溜息を零して、カイトとミクに近寄り、座り込む。


「じゃあ、改めて自己紹介! オレはカイト、マスターは女の人で、色々な歌を教えてくれたんだ。ミクちゃんのことは、テレビのコマーシャルで知っていたよ。可愛い声の子だなあ、ってさ。年齢、というか、発売された順で言うと、オレがミクちゃんより早いから、お兄ちゃんって呼んでくれても良いよ。っていうか、呼んで欲しいなあ。あ、強制じゃないからね。レンくんみたいにカイト、って呼んでも良いし。カイりん、カイピー、カイちん、バカイ……これは駄目、そうだなあ、カイトを文字って、まあ、オレだとわかるような呼び方ならなんでもしてくれて良いよ──」


 矢継ぎ早に繰り出される言葉に、ミクが目を丸くする。カイトがにっこりと笑みを浮かべて、オレの肩を小突いた。身体が揺れる。小さく息を吐いて、ミクと視線を合わせた。


「鏡音レン。キャラクターボーカロイドシリーズ02、素体タイプβ。品番は長いから省略、発売された順で言うと、初音ミクより遅いから、弟って存在になるのかな。ミク──、ミクって呼ぶから。ミクのことは、カイト同様、コマーシャルで知ってた。ああ、おれの名前、別にどんな風に呼んでも良いからさ」


 笑う。ミクは一瞬、面食らった表情を浮かべると、呼応するように微笑んだ。肩の力が随分と抜けたのだろう。知らない人を目の前にしていた緊張が、どこかへと飛んでいったのかも知れない。歌姫の名に恥じない、柔らかく、けれどもしっかりとした声が響く。


「ワタシ、は、初音ミク、です……。品番、は、長いので言いませんね。あの、名前は別にどう呼んでも良いですけれど、苗字は呼ばないで下さい」
「どうしてかな。訊いてもいいかい」
「マスター、が」


 苗字で呼んでくれていたから、と言葉を零して、ミクは笑った。──つまりは、彼女にとって苗字は聖域なのだろう。誰にも侵されたくない、唯一侵していいのはマスターだけ、という。
 そんなことを言うメイコやカイトが居なくて良かった、と思った。彼らには苗字が無い。当然、マスターはメイコ、カイト、と名前を呼ぶだろう。名前を呼ぶな、といわれたらなんと言えば良いのだろう。


「わかった。じゃあ、オレはミクちゃん、レンはミク、で良いのかな」
「はい。……ええと、カイトさん、レンさん、よろしくお願いします……」


 カイトが嬉しそうに笑う。オレも、ミクに不安を与えないように笑った。視界の隅に、ボーカロイドが沢山居る。リン、レン、ミク、カイト、メイコ。
 日に日に増えて、それと同じくらい、日に日に減っていく、ロボット達。明日もまた、ここにはロボットがやってくるだろう、とミクをぼんやりと視界に収めながら、思った。


続く

2008/8/18
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