幸運の星から離れて 4


 
 何日か、数えるべきなのかもしれない。空の色を見ながら、そっと吐息を零した。青い、広がるような色だ。見ていると、どうしようもない思いが胸を満たしていく。雲ひとつ無い青空、人間なら、このような空を見て何処かへ遊びに行こうと思うのだろうか。

 頬を掠め、髪をくすぐっていく風を受けながら、視線をめぐらせた。カイトとミクは、今日はおれの傍に居ない。こういったら、いつもカイトとミクがおれの傍に居るみたいだけれど、別にそんなことはないと思う。

 二人と居る時間が、ただ単に他のボーカロイドより、長いだけなのだ。──友達、という関係にあてはまるのかもしれない。もしくは、知り合い。カイトにそんなことを言ったら怒られそうだけれど。オレたちは家族だよ──そう言われるかもしれない。

 家族。友達。知り合い。考えると、よくわからなくなってきた。何故か俯きがちになってしまう視線をそのままに、おれは周りを見渡すのを止める。

 話を戻す。おれは、何日を此処で過ごしているのか、数えるべきなのかもしれない。正確な日数は知っておくにこしたことはないだろうし。幸い、おれはロボットだから人間のように物忘れなんてしない。今日から、連れて来られた日までを逆算して考えれば良いだろう。

 息を吐く。今日は一体、何月何日だ。内蔵されている体内時計を呼び起こす。日付を確認して、ここへ来た日の記憶を呼び覚ます。──検索、開──。


「なあ、お前、鏡音レンだろ」


 聞きなれない声が、耳朶を打った。検索を取り消し、下げていた視線を上げる。瞬間、息を呑んだ。
 男が立っていた。赤い瞳の色が、強くおれを射抜くように見つめてくる。鼻梁が通っており、唇は薄く、横に伸びていた。まなじりが僅かにつりあがった瞳の奥、美しい燃えるような朱色で染め上げられている。顔立ちは、簡単に言えばすっとしていた。薄味、といえば良いのかもしれない。

 視線を下ろすと、首元が目に入った。赤いマフラーが巻かれている。首はしっかりと、顔を支えるために太く、喉仏が浮き出ていた。


「──そうだけれど、アンタは?」


 動揺したことを悟られないように、視線を戻して、言葉を紡ぐ。若干、震えてしまったけれど、きっと目の前の相手はそんなことに気付いていないだろう。
 目の前の相手は、おれの言葉に、どこか人懐っこい笑みを浮かべると、腰を下ろし、目の前に座り込んだ。あぐらをかき、人差し指で頬を掻く。


「俺は、カイト改造型ボーカロイド。通称、アカイトって言う。有名だから、知ってるだろ?」
「知っている、けど……」


 まさか、見るなんてことがあるとは思っても見なかった。目の前の──アカイトは、おれの答えに気を良くしたのか、ますます笑みを深くすると、目の前で、ごつごつとした指先を振る。


「ここって、アレだろ。棄てられたボーカロイドとか、ロボットが沢山居るところで、間違ってないよな」
「……」


 何を訊いてくるのだろう。思わず言葉を無くしてしまう。周りを見ればわかるだろ──そう、吐き捨てるように言葉を紡ぐと、アカイトは、だよなー、と笑いながら言葉を口にした。
 ──なんだ、コイツ。心の中に疑問が湧きあがってくる。……此処に居るってことは、人間に棄てられてしまった、ということなのだろうけれど、改造したボーカロイドを棄てる奴なんて、居ない。

 改造にはお金がかかる。知識だって、時間だって膨大に必要だ。少しくらいの改造なら、知識をもっている人ならすると聞く。改造されたボーカロイドは、大抵、防水機能が強くなっていたり、はたまた、性格設定をいじってあったり──。けれど、目の前のアカイトは、違う。性格設定を最初からやり直し、頭蓋を入れ替え、眼球の色を変えて、やっと作られる。改造されたボーカロイドは、大体がほとんど調律無しでも上手に歌う。

 アカイトや、メイト。そいつらは、普通のボーカロイドより高額で売られる。マスターだって、何人でも登録出来、何人でも削除出来るから、中古に売っても、高く売れる。それなのに、目の前のアカイトは、どうしてこんなところに。

 普通の人間なら、高く売れるのだとしたら、中古店に持っていくだろう。オークションで売るのだって、良い。高価なものをただで棄てるやつなんて、居ない。たとえ棄てるにしても、改造ボーカロイドを作ったり、購入したりするのなら金があるのだろうし、きっちりと業者に頼んで棄てるだろう。

 色々な疑問が湧いてくるものの、それは口に出さず、胸の奥底にしまい込んだ。目の前のアカイトが、手を下ろして、おれの近くにずりずりと近寄ってくる。


「なあ、後さ、訊きたいことがあるんだけどよ。良いか?」
「……なんだよ」


 アカイトは指先でおれの胸を突付くと、笑顔を打ち消した。真摯な表情を浮かべ、真直ぐとおれを見つめてくる。無遠慮な視線だと、思った。なんとなく居心地が悪い。アカイトの薄く桜色に染まった唇が開いた。


「此処って、一年に一度、政府が棄てられたボーカロイドとロボットを回収しにくるところで、間違ってないよな」
「……」


 政府。一年に一度。頷く。すると、アカイトは表情を和らげ、そっか、と吐息を零すように言葉を紡いだ。
 ……。一体、なんなのだろう。無言になってしまった。それなのに、アカイトは何処かへ行こうとしない。おれをちらちらと見て、時折、嬉しそうに笑みを零す。堪えきれない笑み、と言えば良いのかもしれない。

 なんとなく、居心地が悪い。アカイトは質問が無いようだし、おれもアカイトに質問なんて、無い。立ち上がる。カイトとミクを探しに行こうと、歩を進めだした。

 靴の下で、草木が踏みつけられていく。その度に、気のせいかもしれないけれど、強い──どこか、生臭い匂いが鼻腔を掠める。かさかさと、足の裏で音が鳴っているように感じた。カイト、ミク、カイト──。探す。立ち止まると、後ろから驚いたような声音が聞こえた。


「急に立ち止まるなよ、危ないだろうが」
「……」


 振り向くと、アカイトが僅かによろけているのが見えた。さっき、おれの背中に衝撃があったから、ぶつかったのだろうと思う。


「何、もう質問はすんだだろ?」
「質問、まあ、質問はすんだな」


 けらけらと笑いながら、アカイトはおれの手に触れてきた。握り締められる。ボーカロイドシリーズには無い、人間のような温かさが皮膚を通して伝わってきた。
 ……ボーカロイドシリーズは、改造されない限り、温かさを持たない。おれたち、キャラクターボーカロイドシリーズは、人間のような温かさが、常時皮膚にあるけれど。

 なんにしても、なんてコイツは慣れなれしいんだろうか。睨むように見ると、アカイトが繋がった手を持ち上げた。


「なあ、友達にならないか?」
「……はあ?」


 存外、変な声が出てしまった。何を言っているのだろう、という気持ちが表情と声に滲み出てしまう。手を振ると、アカイトは先ほどよりも強く手を握り締めてきた。


「良いだろ? ここに俺、来たばっかで良くわかんねーし、仲良くしてくれよ」
「他の奴と仲良くすれば良いだろ。アカイト、お前は元はカイトなんだから、カイトと気が合うだろうし」


 そう言うと、苦笑を浮かべられた。アカイトは、僅かに逡巡させるような仕草を見せると、どこか苦いものを滲ませた声音で言葉を紡ぐ。


「レン、って呼んでも良いよな。レンは、他のレンと仲良くしたいって思うのか?」
「別に。おれ、マスターと仲良く出来ていたらそれだけで良いから」


 何を言っているのだろう、と言葉を口にした瞬間に思った。マスターと仲良く出来ていたら──なんて、アカイトが聞いたらどう思う。きっと、哀れむような視線を向けてくるのだろう。先ほど来たばかりで、おれがマスターに棄てられたわけではないと知らないなら、おれに対して思う言葉なんて、直ぐに考えつく。

 視線を下ろす。視界に、繋がれた手が入ってきた。アカイトの手は、おれの手を包み込めるくらい、大きかった。爪先が、アカイトの瞳と同じ太陽の色に塗られている。小さく、吐息を零す音が聞こえた。


「そういうんじゃなくてさー。わかるだろ? ここには俺と同じ素体タイプの奴らが一杯居るわけだ。……そういうのって、怖くねえか?」
「……怖い?」


 単語を、オウム返しに呟きながら視線を上げる。目の前の赤が揺れた。
 おれと同じ素体タイプの奴が沢山、居る。それが怖い。おれには良くわからない感情だ。改造されているから、そういった感情プログラムがおれより優秀なのかもしれない。

 何も答えられず、首を傾げる。アカイトはそんなおれに対して、溜息を一つ零すと、肩を竦めて見せた。仕草の一つ一つに格好がつくのは、アカイトがカイトと同じ、美しい顔立ちをしているからなのかもしれない。ただ、何処か、スパイスを入れたような辛さを持った美貌だとは思うけれど。

 じっと、カイトとは違うつり目がちの瞳に見つめられると、きっと、どうしようもないくらいにのぼせてしまうのかもしれない。おれには良くわからないけれど。


「お前……自分が一杯居るんだぞ! 自分が!」
「自分じゃないから。あんただってボーカロイドなら、わかるだろ? あいつは素体番号VC-K200098675765のKAITOだし、あっちのKAITOは──」


 そういうんじゃなくて、と目の前の表情が困ったように歪む。アカイトはしばらく、何かを言いたそうにおれを見つめた後、肩を落とした。何か変なことを言ったのだろうか。素体番号を口にしたあたりが、駄目だったのかもしれない。なんにしても、おれと他の鏡音レンは素体番号が違うから、全てに置いて違う、ということを言いたかったのだ。

 素体番号が同じだったら、と問われても、違うところを見出すことは出来る。それはマスターと暮らす上で培った癖であったり、仕草であったり。他の鏡音レンは、おれと同じマスターと共に暮らしたことは無い。それぞれに、それぞれのマスターが居る。それだけで、違うと言えるだろう。

 アカイトが、おれから手のひらを離し、自身の頭を乱暴に掻いた。理屈っぽ、マスターかよ、という言葉がアカイトの唇から漏れる。
 マスター、かよ? 意味がわからない。どういう意味かを問おうと思ったけれど、別に訊かなくても良いことなのだと、吐息と共に地面へ落とした。

 僅かに逡巡するようなアカイトを見ていると、背中に高い声が響いてきた。視線を向けると、ミクが走り寄って来るのが見える。おれの横に並ぶように立ち、ミクは嬉しそうに笑った。


「何をしているんですか? 楽しそうですねっ」


 ……どこらへんが楽しそうに見えたのか、是非とも教えてもらいたいと思う。苦笑を浮かべる。それと同時に、目の前から僅かな機械音が聞こえてきた。見ると、アカイトがおれに向けていた視線をミクへと向けている。唇が小さく動き、何事かを紡ぎだす。瞳から発せられる、強い視線がミクの身体を遠慮なくうごめく。

 唇から漏れるのは、機械音声に近かった。何を言っているのだろうか、と耳を済まそうとすると同時に、アカイトの瞳がおれへと向かってくる。何事かと、疑惑に満ちた視線を返すと、ふいと視線が逸らされた。


「ええと、初音ミク、か」
「そうです。あなたは?」


 ミクが余りにも無邪気に笑って問い掛けるからか、アカイトまでもが嬉しそうに笑みを浮かべ、手を差し伸べた。ごつごつと筋張った手の平に、ミクの柔らかそうな手の平が滑り込む。


「アカイト。改造されたカイトの、亜種。有名なはずなんだけどなー」
「そうなんですか? ごめんなさい、全然知りませんでした」


 最後のセリフはいらないんじゃないのか。本気で。初対面から全然知りませんでした、って、いや、初対面だから普通は全然知らないだろうけれどさ……。思わず、困ったように笑ってしまう。視線をやると、アカイトも困ったように笑みを浮かべているのが見えた。まあ、そりゃそうだよな──。

 少しして、ミクが、アカイトから手を離し、次いでおれと視線を合わせてきた。どこか幼さを残した表情で、彼女は笑う。


「レンさん、アカイトさんと仲良しなんですか?」
「──は?」
「遠目で見る限り、手を繋いでいましたし。アカイトさん、ここに来て、一直線にレンさんの所に向かったし」


 いつから見ていたのだろう。というか、見ていたのなら直ぐに傍に寄ってきて欲しかった。手を繋いだのはアカイトが強引にやってきたことだし、一直線に向かってきたのは、まあ、多分、その時、アカイトの近くにカイト以外のボーカロイドがおれしか居なかったからなのだろうと思う。アカイトはカイトと接触するのがいやなようだし。

 否定するような言葉を、口にしようとする。が、誰かの腕が肩を抱くように伸びてきたので、悲鳴に言葉が打ち消されてしまった。


「なあなあ、ミク──って呼んで良いよな? まあ、聞いてくれよ! 俺がどれだけ仲良くしようって言っても、レン、拒否ばかりしてくるんだ。酷いよなー」


 肩に手を回してきたのは、もちろん、アカイトだった。おれよりも随分と高い身長がおれの身体に寄りかかってきたので、たたらを踏んでしまう。倒れそうになると、アカイトによって引っ張られ、バランスを取ることが出来た。……なんだ。なんなんだ、こいつ。睨むように視線を向けるのと、ミクの剣呑な声が響くのは、同時だった。


「レンさん、酷いじゃないですか!」
「な……、ちが、なんでだよ! おれ、酷く無いし、勝手にこいつが──」
「せっかく、せっかく仲良くしようって言ってらっしゃるんですよ! それをむげに断るなんて……っ」


 そんなことを言われても。へ、と唖然としたような声音が口から漏れるのを、感じた。
 ──なんとなく。視線をアカイトへと向ける。瞳が交わると、アカイトは嬉しそうに笑みを浮かべた。どこか、取っ付きやすい笑顔だ。そんな笑顔を浮かべるくせして、やっていることは、この数分会話を交わしただけでも分かるくらいに、無茶苦茶だ。

 なんでそこまでして、おれと仲良くなりたいのだろうか。よくわからない。ただ、こういう無茶苦茶な奴とは、あんまり仲良くしたくはない。顔をしかめ、視線を下ろす。ミクがレンさん、とおれの名前を鋭く呼んだ。
 ミクと視線を合わせると、唇を尖らせた表情が目に入った。


「……別に、ワタシが強制することじゃ、無いんですけれどね」


 それはそうだと思う。ミクは目蓋を伏せると、スカートを軽く握った。しわが寄る。それを見ていると、やっぱり、マスターのことを思い出してしまう。
 泣きはしないだろう。けれど、確実にミクは今、悲しんでいる。

 ──ミクと、マスターの在りし日の姿が、だぶった。知らず、額にしわが寄るのがわかる。
 おれのマスターはミクではない。ミクも、おれのマスターではない。そんなこと、わかっている。けれど──。

 マスターは、こんな風に他のボーカロイドを拒否しているおれを見たら、どう思うのだろう。悲しく思うのだろうか。マスターのことだから、困ったように笑うのかもしれない。もしくは、悲しそうに表情をゆがませるのかもしれない。

 風が再度吹き、おれの髪を揺らしていく。視界をちらちらと遮るようになびくそれに、若干ながらも苛立ちを覚えつつ、息を吐いた。

 ──おれは、マスターを困らせたくないし、悲しませたくもない。アカイトと視線を合わせ、強引に手のひらを握った。アカイトは驚いたような表情を浮かべ、けれど直ぐに喜色で表情を彩ると、手のひらにぎゅっと力を込めてきた。


「おれは、鏡音レン。キャラクターボーカロイドシリーズ02、素体タイプβ。品番は長いから省略、あんたのことはアカイトって呼ぶから。おれのことはどうとでも呼んで良いよ」
「じゃあ、レンって呼ぶから。おれは今さっき言ったとおり。カイト改造型ボーカロイド、アカイト。よろしく」


 アカイトがおれの肩に回していた手を離し、ついと視線を逸らした。向かう先はミクだろう。


「ミクも、よろしく」


 手が差し出される。ミクは一瞬だけ、驚いたような表情を浮かべた後、その手をもう一度、握った。


「改めまして、初音ミクです。キャラクターボーカロイドシリーズ01。品番は長いので言いません。アカイトさんって呼ばせていただきますね」


 柔らかな微笑がミクの表情を彩る。口唇をそっと上げ、目を細め──。ミクは、そうです、と何かを思いついたかのような、どこか誇らしげな笑みを浮かべた。

 ……なんとなく、ミクの考えていることがわかるような、わからないような。ミクはおれと視線を合わせると、踵を返して歩き出した。アカイトの手はミク、ひいてはおれと繋がっているので、おれとアカイトもミクに引っ張られて進むことになる。

 なんだか、端から見たら変なことをしている、と思われるのかもしれない。けれど、どうせおれたちのことを注意深く見ている奴らなんて居ないだろうから、別段恥ずかしさは感じなかった。

 ミクが歩いていった先には、メイコとカイトが居た。それを視界に収めたのか、目の前のアカイトが身体を震わせ、カイト、と忌々しげに呟くのが聞こえた。
 その声はミクにも届いていただろうと思う。けれど、彼女は全く意にも関した様子も見せず、二人へと近づいていった。


「カイトさん、メイコさん!」
「やあ、ミクちゃん、レンくん──と、オレ?」


 傍につくと同時に、メイコが驚いたような声を上げた。彼女は手のひらでアカイトの肩を触り、どこか弾んだ調子で、言葉を紡ぐ。


「アカイト──ね! すごいじゃない、初めて見たわ」
「アカイト……って、ああ、オレの改造型かあ!」


 こんな姿をしていたんだ。嬉しそうに笑い、カイトがアカイトに手を差し伸べる。邪魔だろうと思って、おれはアカイトから手を離した。たやすく離れたそれに対して、何の感情も湧かない。

 アカイトは、差し延ばされた手を苦虫を噛み潰すような表情を浮かべ、けれど直ぐに、小さな声で、まあカイトだし、俺はアカイトだし──と、囁くように言葉を口にし、手を絡めた。大人の、どこか筋張った手のひらが重なり合う。早々にそれらは離れ、次いでメイコの細く長い指先が、アカイトの手のひらと重なった。


「あたしはメイコ。ボーカロイドシリーズの01。品番は省略。よろしくね」
「ああ。よろしく。カイト改造型ボーカロイド、アカイト、名前は好きなように」


 鋭く、尖った刃先のような瞳が和らぐ。メイコはそれに、嬉しそうに頷くと、アカイトから手を離した。
 カイトが、嬉しそうに笑みを浮かべてアカイトの名前を呼ぶ。おれが視線を向けると、カイトはおれと視線を合わせて、柔らかく笑った。どこか優しげな、見ている人の気持ちを和らげるような──そんな笑みだった。

 視線を外さずにいると、カイトの唇が動き、おれの名前を紡ぎだす。それに呼応するように首をかしげると、カイトは笑みを打ち消し、どこか真剣な表情を浮かべ、いつもより低い声を出した。


「オレとレンくん、ミクちゃんにメイコ姉さんは家族だろう」


 問い掛けるような調子をもって紡がれた言葉に、頷く。……頷いてから、何を頷いているのだろう、と思った。ミクが嬉しそうに「そうですね!」と言うのが聞こえる。誰かが溜息のようなものを落とす声が聞こえた。きっと、メイコだろう。
 カイトは、おれから視線を外すと、もう一度アカイトの名前を呼んだ。


「アカイトは、オレの兄にあたるのかな。それとも弟かな」


 ……真剣な声と表情で紡がれた言葉は、驚くほどに馬鹿らしかった。はあ? と、思わず大きな声を出してしまう。何を訊いているのだろうか。カイトは、一体、何を。
 ふいに、風が吹いた。カイトとアカイトのマフラーが揺れる。アカイトの横にいるせいで、おれはアカイトのマフラーがなびくのを直に受け止めてしまった。布地で作られたマフラーが、おれの頬を、ひいては顔を、柔らかく掠める。くすぐったいので手で掴んだ。

 取りあえず、おれは何を言うべきなのだろうか。アカイトって、亜種なんだから、親戚とかそういう部類に入れれば良いんじゃないの、と言うべきなのか、はたまたカイト改造型なんだから、カイトの子どもとして扱えば良いんじゃないの、と言うべきなのだろうか。
 というかむしろ家族とか馬鹿らしいしそういうの強制するのは止めろよ、と言うべきなのだろうか。

 良くわからなくなってきた。取りあえず、心の中に渦巻く思いを大きな息と共に肩へと落とす。カイトは変わらずアカイトを見ていた。アカイトはきっと変な表情を浮かべているだろうと思い、仰ぐように表情を見る。笑って居なかった。アカイトは小さく吐息を零すと、自身のマフラーを持ち、目蓋を伏せる。


「……勝手に、カイトが決めれば良いだろ。っていうか、家族って何だよ」
「ん? ああ、だってほら、オレ達は全員、ボーカロイドなんだよ。同じ会社から発売された。それって、人間で言う、家族みたいなものじゃないか」
「……ふうん」


 どこか納得しきっていない様子で頷き、アカイトは視線を落とした。表情を仰ぐように眺めていたおれと瞳が重なりあう。なんとなく気まずくて直ぐに逸らしてしまった。

 どうしてか、わずかな重い沈黙が場を包む。メイコは明らかにどうしていいかわからない、という表情を浮かべていたし、カイトはどうしてかにこやかに笑って居たし。誰かこの事態を収拾してくれれば良いのに、と溜息が落ちた。


「じゃあ、俺はお前らのお隣さんっつーことで」


 無言を落としたアカイトが、若干の間を空けて、弾むような声音を出した。無言の壁が切り裂かれる。ミクが不満そうにえー、と声を漏らすのが聞こえた。カイトもえー、と声を漏らすのが聞こえた。ミクは良いにしてもカイトが何故、不満そうな声を出すのかがわからない。彼はアカイトとカイトの関係を、家族という位置付けできっちりと決めたかったのだろうか。ほんの少しだけ考えても良くわからないので、そのままにしておいた。

 アカイトが、笑う。


「お前らは全員、同じ会社から作られた。でも、俺は会社から作られて、その後にマスターに改造されたからな。だからお隣さん」


 親が違うって言えば良いのか? ──そう言って、アカイトは笑った。メイコが頷き、それもそうね、と苦笑を浮かべて答える。
 アカイトの笑みは、どこか寂しげで、でも何処か誇らしげだった。



続く


2008/8/22

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