あなたへ歌う 11 (愛は惜しみなく与う) 「──はあー、キュンキュンするなあ」 パソコン画面の前、椅子に座りモニターを見つめる。画面に映っているのは、一つのボーカロイドのオリジナル曲。すごい。本気で。オケは綺麗だし、なんていうか、ボーカロイドの特性が良く出ているというか。こう、イキイキと歌っているというか。……これが神曲というやつですか……! イヤフォンで聴いていると、如実にそれを感じられる。耳ざわりの無い音。何十回でもリピートして聴けそうな曲だ。 ちなみに歌われているのは恋の歌。女の子視点なのだろうか、恋する人に向けた思いが切々と紡がれている。うん、キュンキュンする。良いなあ、これはマイリスト直行だ! 聴き惚れていて何もできなかった手を動かし、マウスをすっとマイリスト登録のボタンまで持っていく。カーソルを合わせ、クリック──。 途端、肩をつつかれた。イヤフォンを外して振り向くとレンが立っていた。 「あれ、テレビはもう良いの?」 「はい。──マスター」 ちらりとテレビの前に視線を向ける。リンが座っていた。画面に映るドラマを熱心に見つめている。彼女はどうやら、恋愛ドラマが好きなようだ。前にテレビでドラマを見てからと言うもの、恋愛が関係するようなものは大体見ている。ただ、ドロドロとした関係のようなものは好きではないらしい。 レンの視線がから外れ、画面に注がれる。 「これは……」 「ボカロのオリジナル曲だよ。すごく上手なんだよねー」 そう言うとレンは「そうですか……」と呟くように言った。視線は画面に注がれたままだ。聞きたいのだろうか。 外したイヤフォンをレンに渡す。彼は僅かに首を傾げ、「マスター、これは?」と語尾を上げて問いかけてきた。 「聞きたくない?」 「……あ、聞きたいです」 彼は片方の手でヘッドセットを取った。隠されていた耳が見える。彼はイヤフォンをおずおずと耳に差し込んだ。イスを詰め、こっちに座りなよ、と言うと、彼はやっぱり、おずおずとの横に座ってきた。 動画を最初まで戻し、もう一度再生をする。 耳に響くのは優しい歌声と、切ない恋の歌詞だ。レンはそれをじっと聞いていたが、何か疑問に思うことがあったのか、小さく声を漏らした。 「マスター」 「ん?」 「好きっていうのと愛するっていうのは何が違うんですか」 「え……」 なんという質問。というか急にどうしたんですか、としか思いようがない。 す、好きと愛するの違いって……え、なに? なに、いや、が訊きたいくらいだ。 「た、多分……」 頭を掻く。レンが首を傾げた。 「愛するのは好きよりも、こう、好きになった時に使う言葉っていうか……」 「好きよりも好き?」 彼は眉をしかめた。意味がわからないのかもしれない。もわからない。自分でも何が言いたいのだろうと思う。 どうしようもないので、レンの頭に軽く手を置き、「ま、まあ、いつかわかるよ、きっと」と答えを返す。彼は答えに納得がいっていない様だったけれど、頷いた。 「あ、ねえ、レン、レンのオリジナル曲聴こうか」 「……おれの?」 「そう。いろいろ上げられているんだよー、その中で、の好きな曲をピックアップですよピックアップ」 「マスターの、好きな曲、ですか」 そうそう、と相槌を打ってから、は自身のマイリストを開いた。鏡音レンのオリジナルで一番好きな曲にカーソルを合わせ、クリックする。ぱっと画面が変わり、動画が読み込まれる。ちょっと待つと、歌が再生され始めた。 レンの声が耳朶を打つ。この人のレンはいわゆる神調教をされていて、人間の声にしか聞こえない。ブレスが入る位置、声の出る具合、全てが素晴らしい。曲調も流れるような美しさを持っていて、の大好きな曲だ。 正直、何度も聞いたので、そらで歌えるくらいに歌詞を暗記している。小さく唇を開いてかすかに歌う。あー、良いなあ、本当に。レンが不思議そうな声音で、「マスター?」とを呼ぶ。 ああ、やばい、恥ずかしい。困ったような笑みを浮かべた。 「や、好きなんだよね、この曲……本当に。すごく」 「……そうなんですか」 そっと呟くようにレンは相槌を打ち、耳に手をやる。イヤフォンの位置でも直しているのだろうか。 「おれは……、いえ、おれも、好きかもしれません、この曲」 「あ、本当?」 自分の好きな曲を好きといってもらえるのは嬉しい。ゆるやかに頬を緩ませると、レンがモニターに向けていた視線をに向けてきた。 彼は僅かに頬を赤くさせ、恥ずかしそうに頬を掻くと、口を開いた。 「マスターの好きなものは好きになりたいです。他にも、マスターの好きな曲を聞かせて下さい」 「え……」 それでは右に倣えという精神と同じじゃあ、と言いかけそうになった。いや、でも、レンがの好きなものを好きと言ってくれて嬉しいし……。うーん……。 なんだか考えてしまう。そこまで深く考えなくても良いかもしれないけれど。 曲が終わる。は「じゃあ、さ」と言い、マイリストからまたレンのオリジナル曲をクリックし、開いた。読みこむ。なにやら重い。もしかしたら接続できませんでした、みたいな感じになるのか。 「──レン、今から色々聞かせてあげるね」 「はい」 どうやら接続できたらしい。いくつかのコメントとともに曲が流れだす。 「こういう曲、作りたいよねー」 「……おれは」 美しい旋律が優しく耳朶を打つ。僅かに苦笑を浮かべながらもそう言うと、レンは何故か声を強調するかのように大きくし、言葉を紡いだ。 「マスターだけの曲を歌いたいです」 「え、それは……」 「マスターが作る、マスターだけの曲を歌いたいです」 そこまで言ってレンは言葉を区切り、小さく息を吐いた。「マスターにしか」 「マスターだけにしか、作れない曲があるはずです。それを、歌わせて下さい」 そうは言われても、オリジナルのオケを作るのはDTMの知識が必要だし、難しい。第一、にしか作れない曲なんてあるのか、とも思う。 曲が終わる。 「マスターは、どのようなオリジナル曲を書くつもりなんですか」 「え、お、オリジナル!?」 なんだか、話が飛躍しすぎていませんか。 レンはのオリジナル曲を歌いたいのだろうか。ま、まあ、ボーカロイドだから普通と言ったら普通のことだろう。「かえるのうた」と、それと「旅立ちの日に」を歌っただけなのだ。もっと歌いたい、できればオリジナルを、なんて思うのは当然のことなのかもしれない。 だから、だからこそ、なんだか歯がゆくなる。全然、オリジナルを作ることが出来ない自分に。旋律なんて、浮かんでこない。歌詞なんてもってのほかだ。 「……ま、まだ、オリジナルは難しい……です……」 若干、声が小さくなってしまった。……この二人は、もっと知識のある人のところに行った方が良かったのではないか、と思う。 苦笑が浮かんでくる。 「ごめんね、ホント、初心者でさ。がんばって作るけれど……」 もっと、たとえば知識がたくさんある人のところに行けば良かったかもね、なんて小さく呟く。すると彼は細く息を吐くと、 「マスター」 手をそっと重ねてきた。 「おれは、マスターだけのボーカロイドです。最初に言いました。他の誰かのものになるなんてことは考えられません」 そう言って、彼は僅かに瞳を伏せた。言葉を続ける。 「おれの言葉がマスターの気分を悪くさせたら、すみません。ただ、おれはマスターの作った曲を歌いたい、ということだけを知っていて下さい」 「……え、あ、ああ、うん」 レンの真っすぐな瞳がを射抜く。そこまで言われたら、というか、ちょっと弱気になっていたな、。元気にならなければ。重ねてきた手にそっともう片方の手を乗せる。レンがわずかに息を漏らした。 「ありがと、レン」 レンになんと言うか、慰めてもらうのは気恥ずかしい。何をしているの、自分と言う気持ちが強い。 それなのに、何故だろう。やる気が湧いてきた。 ──よっし、それじゃあ、頑張らなければ! DTM関連の本を買ってきたりとかしてさ! 二人にきっと、のオリジナル曲を歌わせる。 重ねた手をそっと離し、イヤフォンを外して椅子から降りる。レンが驚いたような視線を向けてきた。 「マスター?」 「んじゃあ、ちょっと本屋さん行ってくる!」 服はちゃんとしたものを着ているし、あとは財布を入れたカバンを持っていくだけだ。テレビを見ていたリンがの声に気づき、「マスター、本屋さんへ行くの?」と立ち上がりテレビの電源を消した。とてとてと白いリボンを揺らし、に近付いてくる。それから、そっとの手に自身の手を絡ませて、「わたしも、行きます!」と笑った。 レンはどうする、と声に出そうとして、しかしそれは口内で留まった。彼は頬を僅かに赤らめて、のもう片方の手に自身の手を絡ませる。そうして、「おれも、行きます」と言った。 本屋では二人にDTM関連の資料を漁るのを手伝ってもらった。彼らはどうやら、自身──ボーカロイドの知識とDTMなどの知識は半端なく詰め込まれているようで、初心者に適する本や雑誌を見つけてきては「これが良いですよ!」や「これはわかりやすいと思います」と言う。 これは助かる。……二人に聞けば早かったんじゃ……、と思ったのは秘密として。 そういった専門書はやはり高くて、予想外の出費になってしまった。これは……食費がキリキリになっちゃうぜ……! カップラーメン生活の幕開けかもしれない。もしくはキャベツ、もやしだろうか。 ──そうして、手に荷物を持ちながら帰ったのは、夕方くらい、だろうか。 家へ帰るとさっそく本に目を通した。二人が横から色々と教えてくれるので、非常に解りやすかった。大体のことはわかったけれど、正直、曲をつくるのは無理、っていうか難しい感じがする。 主旋律だけでも考えてから作った方が良いのだろうか。よく、わからない。 まあ、DTMソフトはいつかオケを作るため買うにしても、それまではずっと二人が選んでくれた本と雑誌を読み返すべきだろう。頭の中で旋律を考えるのも良いのかもしれない。……上手く行く保障はないけれども。 ──そういえば、ふと思い出した。ボーカロイドの説明書をじっくり読んでいない。 読んだのは最初の諸注意、それに数ページだけだ。これは、もっとちゃんと読むべきなのかもしれない。そしたら、これから歌わせる時、もっと上手にできるかもしれない。独特の、リンとレンの歌声を作りだせるかもしれない。 夕飯を食べ終えて、布団を敷いてからはボーカロイドの説明書を取ってきた。表紙をめくり、目次を確認する。──と、興味深いページを見つけた。 「ボーカロイドの寿命」、そう書かれている。何故だか、急にやましくなって二人が今何をしているかチラリと見る。レンとリンは今日のニュースに夢中のようだ。 ページ数を確認し、開く。 それを開くまではボーカロイドって言うくらいなのだから、命は無限にあるだろう、と思っていた。 『ボーカロイドの寿命 ボーカロイドたちには二次電池を使用しています。二次電池は充電を繰り返すたびに自然放電の量が増えていきます。充電も日にちを要するようになり、動いている時間も少なくなります。 ボーカロイドの寿命は長くて二十年です。乱雑に扱えば十五年、十年、と言ったように減って行きます。 スペックに異様な負荷がかかると、エネルギーは膨大に消費されていきます。これもまた、寿命がすり減る原因となります。 どうか、最期までボーカロイドたちと共に色々なものを創造していってください。機能が停止したボーカロイドについては弊社にお送り下さると処分いたします』 に、二十年って、人間の平均寿命より格段に短いじゃん……。え、嘘……では、無いんだよね……。 呆然としてしまう。背筋に冷たい汗が伝う。二十年……。縮まるって……、スペックに異様な負荷、って具体的にどのようなものだ。 小さく息を吐く。なんだか苦しい。──二十年、は、長いよ。うん、まだまだあるじゃん。それなのにどうしてか、死の宣告をされたようだ。もう一度息を吐く。すると、二人分の声で、「マスター、どうしたの」と言うのが聞こえた。 ──思わず、説明書を勢いよく閉じてしまう。乾いた音が部屋に響いた。二人……リンとレンはそんなの行動に驚いたようで、目を軽く見開いている。 場をはぐらかすように曖昧な笑みを浮かべた。 「あ、え、な、何もないよ。それにしても、もう遅いから寝ようか」 「? はーい」 「……」 テレビの電源を消し、リンは布団へもそもそと体を滑り込ませた。それに対し、レンは近寄ってきて、の手を取った。 上目づかいに首を傾げる。彼の桜色の唇が言葉をかたどった。 「本当に、何も無い、ですか」 「……や、……うん、何にも無いよ。ただ、ね」 リンとレンの寿命の短さに驚いただけ、と言う言葉は口には出さない。出せない。いや、出したくないのかもしれない。 レンはそっと手を伸ばしての頬を触った。彼の指先が頬に余韻を持たせるかのように淡い温かさを残す。 「マスターは言いました」 ……なにを? と思ってしまったのは内緒だ。彼はの頬を軽く抓ると、唇に手を持っていた。なぞる様に指先を這わせる。 「何かあったらきちんと言ってね、って」 「あー、ああ、うん」 彼はの唇に這わせていた指先を自身の唇に持って行き、「だから」と続けた。 「マスターも、おれに、何かあったら言って下さいね」 「え、あ、……うん」 彼は唇に触れた手で拳を作り、眉尻をかすかに下げる。瞳を伏せた。美しい月のように色づいた睫毛の隙間から、暗い深海のような色の瞳が覗く。レンの瞳の色は本当に綺麗で、引き込まれるような美しさを持っている。 「言ってくれたら……、その、嬉しいです」 拳がゆるゆると彼の胸辺りに落ちていく。しわを作るような強さで、彼は服を握った。 「そうじゃないと、おれ──」 瞬間、レンの瞳に色が無くなる。が、直ぐにそれは色を取り戻し、彼はおかしそうに首を傾げた。 お、驚いたんですけれど……。色が、光が、一瞬で無くなって一瞬で生まれる様子は恐怖にも近い感情をに抱かせた。 「……おれ、……おれ、は……」 彼の服をつかむ手に力がはいったのだろうか。服に深くしわがきざまれる。 「……お、れ、たぶ、ん……?」 苦しそうな声だ。彼は何度もおれ、と言う言葉を繰り返す。──瞬間、頭に『スペックに異様な負荷』と言う言葉が浮かんだ。今、現在、それに陥っているのかも知れない。 反射的に彼の手を取る。レンが身をすくませた。 「マスター?」 「レンの気持ち、すごく嬉しいよ。ありがとう。このことについては又ちゃんと話すから、待っていてくれないかな」 服を握っていた手がゆるやかに力を無くす。彼はそうですか、と小さく呟くと首を傾げた。何か疑問に思うことでもあったのだろうか。レン、と言葉を紡ぐ。 レンは微かに俯かせていた視線を上げ、と視線を交わす。ほのかに瞳が揺れた。 「おれ、──おかしいかもしれません」 「……どこが?」 「なんだか、変な……変な感じがして、おかしいです。今のも、なんだかおかしかったです」 そこまで続けて、レンは言葉を詰まらせた。言いにくそうに、一コマ置いてから続ける。 「おれ、壊れているかもしれません──」 「へ」 変な声を出してしまう。壊れているって、……どういう意味で。よく理解が出来ない。レンがおずおずとが彼の手に重ねた手に自身のもう片方のそれをそっと触れさせる。 「もし、もし、壊れていたら」 かすかに声が揺らいでいた。 「マスターはおれを、返品、しますか」 今にも泣きそうな声だと思った。けれど、ボーカロイドは泣かないらしいので、そんなことは無いだろう。 彼の頭に軽く手を乗せる。 「そんなこと、しないよ」 レンが揺らぐ瞳でを一心に見つめ、微かに溜息をもらした。 その後、良かったです、と呟きから手を離して早々に布団にもぐりこむ。……なんていうか、切り替えが早いなあ。 僅かに苦笑を漏らして、も布団にもぐりこんだ。 ──二十年。長いじゃん。二十年も二人と共にいられるわけだ。それって、きっと、とても幸せなことだ。 だったら、大切にしなくてはならない。寿命が尽きてしまっても、良かったと思えるように。 は瞼を閉じた。 →続く 新約聖書「コリント人への第二の手紙」から 愛は惜しみなく与う 真の愛は、自分の持つすべてのものを相手に与えても惜しいものではない。 2008/03/31 |