あなたへ歌う 14


 ──今日はリンのヘアピンを買いに外出することにした。この前から考えていたのだけれど、決めた。ついでに服も買ってあげようかな、とも思う。ずっとあの服だとかわいそうだ。
 そう思い立ち、二人に提案をした。朝ごはんの時に。二人は箸を巧みに操ってご飯を口へ運ぶのを止め、同時に「え」と、唖然としたような言葉を零した。


「そ、それは……その、お、お買い物に行くってことなんですか」
「そう。リンのヘアピン、白いのしか持ってないんでしょ? やっぱ可愛いのもつけてみたいと思わない?」


 女の子だしね、と心の中で付け足す。リンは箸を揃えて机の上に置くと、きらきらと輝くような瞳でを見つめてきた。


「ま、マスター! わ、わたしっ、嬉しいです……!」


 めちゃくちゃ喜んで頂いているようだ。提案して良かった、と彼女の笑顔を見て思う。レンへと視線を移し、「レンも服か何か買おうね」と笑う。二人に一着ずつくらいなら買える余裕がある。
 レンは突然、話題を振られたことに驚いたのか、目を軽く見開いて──次の瞬間、頬を染めた。頬が柔らかな色で染まる。


「おれも、ですか」
「そう。ヘアゴムとかさ! ……可愛いのしか無いかもだけど、ね」


 そういうの変えると気分も変わってくるよ、と続けて笑う。彼は何かを言おうとしたのか口の開閉を繰り返した後、「ありがとうございます」と俯いた。
 それにどういたしまして、と返しては立ち上がった。ご飯はもうとっくに食べ終えている。食器を持って台所へと向かい、シンクに置く。後ろからリンとレンもついてきた。手に手に食器を持ち、と同様、シンクに置いた。


「ごちそーさまでしたっ! おいしかったですっ」
「そっか。良かった」


 リンが笑顔を向けてきた。彼女の笑顔は、なんだか太陽に向かって咲く向日葵を思い出させるような優しさを持っていて、思わずこっちも笑みを浮かべてしまう。リンの頭を軽く撫でて言葉を発すると、彼女は恥ずかしそうに身をくねらせた。可愛いなあ。
 そんなことを思って、頬を緩ませていると片方の手を引っ張られた。視線を向けるとレンが居た。彼は唇を静かに動かして、


「ごちそうさまでした。……おいし、かった、です」


 わずかに顔を俯かせる。恥ずかしいのだろうか。その挙動が非常に可愛いです。思わずニヨニヨと笑みを浮かべながら、「そっか、ありがと」と彼の頭にもリン同様、手を乗せ、柔らかくさする。
 その時、もう片方の手に温かさを感じた。リンがの手に自分の手を重ねている。彼女は嬉しそうに笑った後、「マスター!」と少女独特の、柔らかな声を出した。


「それで、いつ、行くんですかっ」
「ん、そうだね……、じゃあ、ちょっと休んでから行こうか」


 お腹に何か入ったままで、服飾店を練り歩くということは、きっと辛いだろう。少しでも体を休めてからの方が、良い。
 は台所からリビングへと赴き、ソファーに座った。その時、ふと思い立って自分の部屋へと歩を進める。
 白い紙と、ペン。それを右手と左手に持ち、はリビングへと戻った。リンとレンがの手へと視線を巡らせ、首を傾げる。それに多少の苦笑を漏らしつつ、再度ソファーに身を沈める。


「……歌詞を書きたいなって思って」
「か、歌詞、ですかあ」


 リンが大袈裟に驚いたような声を出し、次いでに近寄ってきた。の膝に手を乗せ、「そ、それ、それって」とドモる。


「オリジナル曲、書くってことですか……!」


 そのつもりだ。頷く。そろそろ、一曲くらい、何かを作っても良いだろうと思ったのだ。初心者だから──きっと、つたない曲になるだろうけれど、歌わせることに意味があるのだと思いたい。
 リンは途端に顔を輝かせ、の膝に乗せた手を軽く動かす。そのあと、口をもにょもにょと動かして、の隣に腰を下ろした。


「や、そ、それって、ええ、ええ!」


 身ぶり手ぶりを大仰に、リンはに詰め寄ってきた。彼女の髪が揺れるにつれ、微かな匂いが鼻をつく。──彼女の体からは、柔らかい石鹸の匂いがしていた。昨日、お風呂に入ったからだろうなあ、とぼんやり感じる。清潔感のある、良い匂いだ。
 でも、彼女の体には石鹸と言うより、果物、もしくは花の匂いの方が似合う気がする。今度、そういう香りの石鹸でも買ってみようかな。きっと、リンは喜んでくれるだろう。

 ふと意識を飛ばしていると、リンが興奮しているかのようにマスター、と叫び、の肩に手を置いてくる。掴まれた。


「──う、歌うのは、どっちが主になるんですか」


 真剣な瞳が、を見つめてくる。いつのまにやら、レンもの横に座って、その青いビー玉のような瞳をに向けていた。……ど、どっちが主になるって、そんなの決めてない。


「まだ、決めてないかな」
「……そっか、そうですよね、でも、恋の歌になるんだったら、わたし、メインボーカルをしたいです」
「恋の歌?」


 そうです、と続けてリンは頷いた。白いヘアピンが外から降り注ぐ陽射を反射して微かに光る。


「わたし、恋の歌なら、きっと歌えます! 上手に!」


 リンが拳を作り、に向かって意気込みを話す。恋の歌、かあ。確かに、リンに歌わせたらきっと優しげな声で切々とした思いを歌い上げてくれるかもしれない。
 リンに視線を合わせる。彼女は青空のような優しい青色で、を見つめていた。そうだね、


「じゃあ、リンに──」
「おれだって、歌えます、マスター」


 被さる様な声。発したのは他でもない、レンだった。リンに向けていた視線をレンに向ける。彼は眉をひそめて、口を真一文字に結んでいた。と視線が合うと、再度、同じ言葉を繰り返す。


「おれだって、歌える」
「なによう、レン。恋の歌に、わたしの声は合うし、それにマスターだって今さっき──」
「おれだって!」


 声が震えていた。レンは、はっとしたような表情を浮かべると、直ぐに俯いた。リンが首を傾げる。


「なによ、どうしたの、レン。俯いたってわからないじゃない」
「──」


 彼は細くため息のようなものを吐き、言葉を止めてしまった。彼の短パンの上には握られた拳があり、服を掴んでいるからなのか、しわが刻み込まれている。
 リンが唇を尖らせ、


「ホントに、一体……どうしたの、レン」
「……」


 レンが俯いていた視線を上げてを見る。青が揺れていた。


「……なんでも、無い」


 溜息に乗せるかのような音で呟き、彼はから視線をそらしてしまった。リンが腰に手を当て「何よう!」と怒ったような声を発する。
 まあ、それも無理はないのだろうなあ、なんて思いつつ──は小さく息を吐いた。

 歌詞は、何も思い浮かばなかった。断片的に色々な言葉が浮かんで消える。単語を羅列するだけじゃ、歌詞とは言えないから、何かしらストーリー性のあるものにしたいのだけれどなあ。
 ──テレビを少しだけ見て、はデパートへ行くための準備を始めた。

 彼らに薄手の上着を着せ、自身も春の僅かな寒さから身を守るためにカーディガンを羽織って、外へ出る。柔らかな日差しが降り注ぐと共に、とてつもないほどの強風が身を襲ってきた。髪の毛が風に舞うように踊る。おおう、せっかくセットしたのに、風の馬鹿。
 リンの白いリボンがゆらゆらと風に揺られる。彼女は顔に髪の毛が付くたびに小さく「もう!」と呟いていた。レンはというと、リンとは違い顔に髪がかかっても、そっと払って平然としていた。

 デパートに着いたのは、想像していたよりも遅い時間だった。
 此処では、雑貨も売っているし、服も売っている。最初に雑貨を回ることにした。
 デパートには多くの雑貨店があり、やリン、レンの目を楽しませた。二人はヘアピンやヘアゴムを見て回っている。

 何だかかわいらしいネックレスとかも合ったりして、リンが目を輝かせていた。かわいらしい鈴のついたヘアピンとかも合ったりして、動きにつれてちりんと涼やかな音色が鳴るようになっていた。リンはこれを痛く気に入ったようで、白いヘアピンと付け替えては体を嬉しさに躍らせていた。
 値段としても、まあまあだったのでそれを買ってあげると、彼女は両手を伸ばしてに抱きつき、


「ありがとうございます、マスター!」


 なんて、全身で嬉しさを表現してきた。かわいらしい。買ったばかりのヘアピンを彼女の従来のそれと付け替えてやると、もっと嬉しそうにしていた。凛とした音色が、彼女が動くたびに耳朶を打つ。

 レンはと言うと、やはり男の子だからなのか、リンのように何かしらの装飾がついたような物ではなく、シンプルなものを欲しがっていた。
 たくさんのヘアゴムを前に、彼は首をかしげて色々と物色している。近寄り、彼の手元を覗き見た。リンも同様に。彼女はレンの手の平に視線を向けると、小さく息を漏らし、


「可愛くないー。もっと可愛いのにしようよ」
「……」


 レンの手に持ったシンプルなヘアゴムを見て一言呟くように言い、それを取り上げる。レンはそれに対してなのか、小さく息を吐き、にちらりと視線をよこした。
 ……? その視線の意味が良くわからず、曖昧に笑みを返す。リンがどこからか持って来たのか、かわいらしい装飾が付いたヘアゴムを持ってきて、レンの手に握らせた。


「これ、きっとレンに似合うよ!」
「……マスター」


 溜息混じりの声で呼ばれる。どうかした、と声を返す。彼の手の中には、小学生の女の子がつけるような、向日葵の装飾がついたヘアゴムがあった。


「おれ、」
「マスターも可愛いの、好きでしょ?」


 レンの声を遮るようにリンが言葉を発する。かわいいの好き、うん、好きだけれど。頷くと、彼女は輝くような笑みを見せて「ほら!」とレンを小突いた。微かにたたらを踏み、レンはと視線を合わせる。


「……なら」


 これで良いです、と続けてレンはにヘアゴムを渡した。


「え、本当に?」
「マスターが、そういうのを好きなら、おれも……」


 そういうのをつけたいです、と吐息に音を乗せたような小さな声で紡がれて、は僅かに苦笑を浮かべた。……これは、仮にも外見年齢十四歳の男の子がつけるようなもの、なのだろうか。大きめに作られた向日葵の装飾は布で出来ているのか、指先が微かにつっかかるように感じる。これは、なんていうか、リンがつけるならまだしも、レンには……どうだろう。


「……こういうの、好きだけれど、レンは男の子なんだし──」


 近くを探り、装飾があまり無いヘアゴムを取る。オレンジ色のシンプルなヘアゴム。彼の髪の毛の色と同様だ。


は、こういうのも良いと思うけれど」


 リンが「えー!」と不満そうな声を上げる。……急に申し訳なく思えてくるのはどうしてだろう。
 レンがゆるやかにの持ったヘアゴムへと手を伸ばし、小さく首を傾げた。そうして、「どうしてですか」と問いかけてくる。ど、どうして、って、何故に訊いてくる。
 小さく息を吐き、は「しいていえば」と続けた。


「レンの髪の色に似ているから、かな。レンの髪の色、好きだし」


 レンの、月に似た、柔らかな色合いの髪の毛。落ち着いた感じがする。リンは、太陽のような色合いだと思う。真夏の太陽の、あの黄色。明るい感じがする。どちらも似ているようで、違う。
 いやなら良いよ、と言ってそれを戻そうとすると、レンの手が伸びてきた。の手を掴む。視線を向けると、彼は僅かに頬を赤くさせて「そ、んなことは無いです」と続けた。ゆるゆると頭を振り、と視線を交わす。


「それなら、それも、欲しいです。……良いですか」
「うん、良いよ」


 頷く。彼は小さく息を吐くと、柔らかく笑みを浮かべた。


 そのあと会計を済ませ、二人に服を見つくろい──家路を急いだのは、昼をちょっとすぎたころだった。
 行く時と違い、風は収まっていた。二人と手をつないで帰った。

 家へ帰ると、リンは真っすぐにパソコンへと向かい、ケーブルを自分の首とつなげて充電を始めた。つける前に、「マスター、すみません!」と言って。
 ああ、そっか、充電してなかったもんね、最近。なんて、得心して顔を頷かせる。そういえば、リンもそうだけれどレンも最近、あんまり充電しているところを見ていない。

 リビングへと足を運び、リンが充電しているのを見とめてからはレンに疑問を投げかけた。


「レンは大丈夫なの?」
「……充電、ですか」
「そう。最近、やっているところ見ないから」


 充電ですか、と訊く声が微かに震えていたような気がする。レンは小さく息を吐くと続けた。「いつも」


「マスターが寝てからやっています」
「そうなの?」


 知らなかった。小さく首を頷かせる。が見ていないところでやっているなら、それで良いけれど。


「そっか、そうだったんだ……」
「それにしても、マスター」


 それ以降の追及を許さないかのように、レンは話を変える。彼は手を頭の後ろに回し、ヘアゴムを取った。しゅ、と言う音がして彼の髪の毛が解かれる。
 レンはと視線を合わせると、「今日の」と続けた。


「つけてくれませんか。マスター」
「え、やっても良いの?」
「はい。やって欲しいです」


 どうやら、髪の毛を結んでも良いようだ。彼の髪の毛は非常に柔らかく美しいので、とてもうれしい。やった、と小さく声を発して、早速くしを取ってくる。レンを座らせて、その後ろに自分も座る。
 どっちのゴムで結ぼうか、と問いかけたらレンは指先でオレンジ色のゴムを指さした。それを手に取り、彼の髪を梳き始める。くしがさらさらと流れ、前の時同様、突っかかる場所が無い。
 どうにかしてまとめ、くくろうとした時、彼のうなじに目が行った。

 すっと、柔らかそうな肌が伸びている。リン同様、白い肌だ。綺麗で、人間のようで、それだからか──彼の首裏のふくらみに目が止まってしまう。
 レンは、にケーブルを挿させようとしない。どうしてか、挿すところをも見られたくないようだ。
 ──触ろうと思ったのは、好奇心以外に他ならない。指先でそれをなぞった、途端、レンの体がから離れた。

 彼は首裏を守る様に両手で包み込み、へと振り向いて、驚いたかのような色を瞳に浮かべていた。
 「……な、んで」、とかすれた声が淡い色合いの唇から漏れ出る。まとめていた髪の毛が重力に従いほどける。


「……な、んで、何を、な、にを……」
「え、あ、……え……」
「何を、するんですか、マスター」


 レンの瞳が揺れる。声も何故か引きつっていて、泣きそうだ、なんて、ぼんやり思う。


「な、んで、なんで、なんで!」


 レンが体を振り向かせて、に背中を見せない様にし、ずるずると後ずさる。──もしかしなくても、彼にとって嫌なことを行ってしまったのかもしれない。しかも、凄く嫌なことを。
 レン、と名前を呼んで彼に近付く。彼は体をビクリと震わせると俯いた。


「……な、んで……」


 そこまで嫌がることだとは思わなかった。先ほどの好奇心から触った自分を苦々しく思う。彼の肩に手をかけて、背中をさする。


「ごめん、本当にごめん、ごめんね……」
「……」


 レンが俯かせていた顔を上げる。蒼が揺れていた。


「……そこまで嫌がるとは思ってなくて……」
「あ、……いえ、すみません、おれも……声を荒げてしまって……」


 彼は首裏を抑えたまま、小さく首を振った。
 ……ああ、やばい、本当にどうしようもない。先ほどの時間に戻れるなら戻りたい。後悔先に立たずって本当に良く言う。
 小さくため息を吐くと、彼は体をわずかに震わせて、首裏を覆っていた手をゆるゆると下ろした。


「……すみません……」
「そんな、ごめんね、が悪いんだから……、レンは悪くないよ、全然」
「……おれ」


 本当にごめん、と謝るのと同時に、彼の声がかぶさってきた。彼は何か、言いにくそうに逡巡した後、言葉を続ける。


「──触られるのが、嫌です」
「……触られるの、が?」
「はい。凄く、嫌、なんです……」


 彼の声は終わりに向かうにつれ、小さくなっていった。眉をひそめ、口を閉じ、レンは肩を落とした。
 凄く嫌、かあ。何故、と問うのは──無粋、なのだろうか。心の中で小さく息を吐き、ごめん、と呟く。レンはゆるゆると首を振った。そのあと、に自ら近づいてきて、後ろを向く。


「すみません、じゃあ、お願いできますか、続き」
「え、あ……、え、うん」


 ずいぶん唐突だと思ったけれど、これはレンなりの場の雰囲気を変えようという心遣いなのかもしれない。頷いて返し、彼に近付いた。髪の毛に手を這わせると、レンが小さく息を吐く音が聞こえた。
 うなじには視線を向けないようにして、髪をくくる。少々不格好だけれど、出来た。できたよ、と言って頭を軽く撫でると、彼は「ありがとうございます」と呟いた。そうして、振り向き、


「──マスター」


 柔らかな微笑みを浮かべた。に近付き、髪の毛を一房、掴んでくる。


「……なーに?」
「前にも言ったけれど──おれ、マスターの髪の色が大好きです」


 そういって、彼は小さく息を吐き──の髪を柔らかく撫でて、そっと微笑んできた。


「マスターの髪だから、大好きです」


 ほのかに口唇のはたを上げて微笑むその姿に、微かに胸が高鳴ったのはなぜなのだろう。


続く


同じような展開が……九話に……

2008/4/12
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