あなたへ歌う 16
(愛は惜しみなく奪う)


 今日は用事があって、朝から家をあけることになった。リンとレン、二人に留守番をしてもらうよう頼んだのが朝のこと。今はもう夕方だ。天気予報はくもりのち雨だったので、傘を持って出て行ったのだけれど、どうやら外れたようで、雨の気配なんて全くしない。家路を急ぎながら、はこの前のことを考えていた。
 違う。レンの発した言葉だ。何が違うのだろう。心の中で首を傾げる。
 違う──、何が、と直ぐに問い掛ければ良かった。小さく溜息を吐く。まあ、今日帰ったときに訊けば良いか。
 今は帰路を急ぐほか無い。先ほどよりも足早に、は家を目指した。

 自分の家の前についたのは直ぐだった。鍵を差込み、ドアノブに手をかける。開いた。
 ただいま、と言うと同時に「おかえりなさい!」と言う声が聞こえてきた。レンがかけてくる。彼はの前に立つと、「リンは今、ご飯作ってます」と続けた。え、ご飯?

 な、ななな、何でー! 心の中で絶叫し、靴を脱いですぐに台所へと向かう。思い浮かぶのは前のお菓子作りの時の様子だ。レンの転ぶ姿。忘れることは出来ない。
 ──リンが、転んだら。考えたくも無い。レンの時のように怖い思いをするのはごめんだ。


「リン!」
「なんですか、マスター」


 声を荒げて名前を呼び、台所に入る。リンは何か、みそ汁のようなものの味見をしていた。お玉に口をつけ、啜る。その姿にほっとしたと同時に、微かな怒りが湧いてきた。何をしてるの、と声を荒げそうになって慌てて押さえ込む。リンが火を止め、に近寄ってきた。


「今日は遅いって言ってましたよね。だから、作ったんです! ご飯」
「……そ、っか」
「はい! マスター、喜んでくれますか」


 無垢な笑顔を浮かべられると、怒りが萎縮してしまう。小さく息を吐くと、「……うん、ありがとう、嬉しいよ」と続けた。彼女の頭を撫でる。リンは微かに笑い声を零すと、「良かったです」とはにかんだ。
 次いで、背中を引っ張られた。見なくてもわかる。レンだ。振り向くと、彼は若干不服そうな表情を浮かべていた。


「……あ、ああ、ごめん、レン、お出迎えありがとう」
「……はい」


 彼の望む言葉を言えたのだろう。レンは小さく笑うと、


「おれ、ます、たーの、」


 途切れるように言葉を続けて、レンはさっと顔を青ざめさせた。ぎこちなく顔を上げ、小さく呟いた。


「みな、いでくださ……い……」


 瞳から光が無くなり、の服を掴んだまま、彼は停止した。ん、え、何。呆然として、何が起こったのか良く分からなくて、は口を開閉させた。み、見ないで? 小さく声を漏らすと同時に、リンが近寄ってきて、「ああ、レン」と細く息を吐いた。


「充電、無くなっちゃったんですね」
「……充電?」
「そうです、レン、最近全然充電してなかったから」


 え、と小さな声が漏れる。だって、この前、彼は言っていた。マスターの寝ているときに充電をしていると。そうじゃないの、と小さく問い掛けるとリンは首を傾げた。


「ううん、違います。多分、──ここ最近ずっと、レンは充電してませんでした」


 何で、とがくぜんとした声が出たのはしょうがないだろう。


 ──彼を何とかしてパソコン近くまで持っていくのは大変な作業だった。仮にも十四歳の男の子なのだから、重い。……機械なのだから関係ないだろう、とは思うものの。リンにも手伝って貰って引きずるようにして持っていく。その後、彼の首裏のふくらみを取ってケーブルを挿し込む。
 ──レンは此処を触られるのを嫌がっていたのを思い出し、申し訳ない気分になったけれど。
 パソコンのモニタが音を立て黒い画面に変わり、レンの唇から無機質な声が流れた。

 その後、リンと二人でご飯を運び、食べ始めた。彼女はとても料理が上手で、みそ汁なんてとても美味しかった。「台所にあったもの、使っちゃってごめんなさい」、と、彼女は心配そうな声音で言った。怒られるかな、なんて思っているのだろうか。
 怒りはしない。けれど、


「嬉しいけれど、今度からはと一緒に作ろうね。危ないから」
「あ、は、はい!」


 リンは頬を紅潮させて頷く。その後、嬉しそうに言葉を弾ませて「マスターとお料理っ」と笑った。語尾に音符でもついてそうなぐらいのリズミカルな声だった。
 それに笑みを零しながら、は疑問を問い掛ける。


「──ねえ、レンってどうして充電しなかったんだろう」
「さあ。わたしには、良く……」


 わからない、かあ。リンは微かに眉尻を下げ、「すみません」と頭を垂れた。いや、全然、気にしないけれど──。これは、レンに訊くしか他ならないらしい。は一つ、決意を携えながらご飯を食べ終えた。

 布団を敷き、リンを布団にもぐりこませて、自身ももぐりこむ。彼女は小さく笑って、に抱きついてきた。一々、可愛らしい。自身も彼女に手を回しながら、小さく問いを投げかける。


「あのさ、質問しても良いかな」
「はい。何ですか?」
「……充電って、いつ終わるかな」
「ええと、そうですね、レンは予備のバッテリーも充電しなきゃいけないから……明日の、朝、多分九時くらいには終わるんじゃないでしょうか」
「そっか。ありがとう」


 明日の九時。心の中で呟いて、は眠りに落ちていった。

 次の日、いつもよりちょっと早い時間に起き、は服を着替えた。外では横殴りの雨が降っていて、窓に叩きつけるような音が響いている。
 が起きた後、リンもすぐに起き出してきた。レンが起きるまで、はソファーに体を沈めてリンと歌詞を書いていた。

 少しずつ、少しずつ歌詞を書き──はふとレンへと視線をやる。ちょうど、充電が終わったのだろう。レンの口から「充電が完了しました」という言葉が漏れる。同時に、瞳に光が戻ってきて──彼は、目を覚ました。周りを見渡し、自分の首に恐る恐る手をやって、顔を青くさせた。
 歌詞を書いた紙を近くに置き、はソファーに沈めていた体を上げて、彼に近づく。レンはを見止めると、顔をしかめた。


「──なんで、充電しなかったの?」


 座っている彼と視線を合わせるため、も座り込む。レンはから視線を逸らすと、「なんで」と呟くように言った。


「なんで、充電したんですか……」


 悲痛な声だった。震えていて、どうしてかこっちまで胸が締め付けられるような、そんな声。思わず言葉を無くす。


「充電なんて、したくなかったのに」


 彼は言葉を続けて、と視線を合わせた。瞳が悲しみに彩られている。リンが「レン、起きたんだ」と言って近寄ってきた。


「なんで、おれ……」


 そこまで言って、レンはに手を伸ばしてきた。彼はの服を掴むと、すごい勢いで引っ張ってきた。体がレンへ倒れこむ。耳元で、掠れた声が聞こえた。


「人間じゃ、ないんですか」


 レンに体を押される。思わず尻持ちをつく。彼は立ち上がると、どこかへと駆けていった。ドアの開く音がしたから、きっと外へ出て行ってしまったのだろう。って、外──? 体制を立て直して、は窓の外へと視線を向かわせる。横殴りの雨は一層酷くなっている。ちょ、レン、どうして外に。立ち上がり、レンの後を追うように玄関へと向かう。リンが「マスター?」と驚いたような声を出すのが聞こえた。


「──リン、ごめん、留守番よろしく!」


 傘を一本引っつかむと、は外へと飛び出した。

 横殴りの雨は傘を差していても服を濡らす。これじゃ、レンは、今ごろ凄い濡れているのでは、と思いながらは歩を進めた。
 何処に居るのだろう。何処に行ってしまったのだろう。色々な憶測が頭の中でめぐる。
 あまり人気が無い道を歩いていく。朝だからなのか、それとも雨が降っているからなのか、よくわからないものの、人気が少なくて良かったと思う。

 まずは交番に向かうべき、なのだろうか。でも、でも──。
 迷う。……探し回って、見つからなかったら交番へ行こう。

 視界は悪い。雨がざあざあと降っていて、傘に当たる衝撃が酷い。周りを必死で探すものの、全然見つからない。公園へ行き、街中を捜し回り、それでも見つからない。

 ──なんだか、泣き出したくなった。どうして彼は逃げてしまったのだろう。それに、『どうしておれは、人間じゃないんですか』という言葉も気になる。レンは、一体、何を考えているのだろう。
 そんなことを考えていたら、視界が滲んできた。拳で涙を拭う。

 公園を捜した。街中も捜した。色々と回った。けれど、見つからない。
 家に帰っているのでは、という思いが過ぎるものの、それを頭を振って振り払う。もう一度、捜してみよう。小さく息を吐く。微かに震えていたのは、多分、どうしようもなく悲しかった、からだろう。

 公園。リンとレンと一緒に来た公園だ。居るならここにいると思ったのだけれど、居ない。雨でぬかるんだ土を早足に歩いて捜す。見つからない。公園の中心で息を吐いた。どうして見つからないの、という思いが強くなってきて、地団駄を踏みたくなる。次に向かうのは、街中だ。

 街中。此処にはデパートとかなら来たことがある。中に入り、レンの姿を必死で探すものの見つからない。外に出て、街中を練り歩く。満月色の髪、というのはかなりチャームポイントで、見つかりやすそうなものの、全く見つからなかった。

 次は帰路だ。見つからない。往復を繰り返し歩いたからか、足がもうパンパンに腫れている。痛い。どこかで休みたい。けれど、それをすることは出来ない。まずは、レンを見つけないといけないのだ。
 もう一度だけ、公園へと行く事に決めた。

 公園。ヘロヘロになった足で踏み入る。ブランコの近くに、人影が居るのを見つけた。優しい色の黄色、それに黒のセーラー服、短パン──、間違いなく、


「レン!」


 叫んで近寄る。レンがに気付いて、逃げようとする。ああ、やばい、もっと早く走りたいのに走れない。何時間も歩いて走ってを繰り返したのだから、しょうがないと言ったらしょうがない気がする。は足をもつれさせてしまった。


「う、そっ」


 小さく声を漏らして、こけた。雨で濡れた地面に顔から突っ込む。びしゃ、という音がした。持っていた傘から手を離し、呆然とした気分で顔を上げる。顔についた泥を拭いたいものの、手も泥にまみれていて、どうしようもない。


「……何で……」


 嫌な日だ。最悪の日だ。泣きそうになる。というか、涙が零れ始めた。頬を熱いものが伝うのがわかる。涙は止まらず、目から溢れつづける。──手の甲でそれをどうにかして拭いたいものの、どうしようもない。
 なにこれ、なんのギャグですか、と問い掛けたくなる。息が詰まって、呼吸が上手く出来ない。どうしようもなく熱いものが喉に込み上げてきて、声を出すこともままならない。小さく息を漏らすと、同時に喘ぐような声が出た。


「……も、いやだ……」


 風で飛ばされたのか、傘は何処かへと転がってしまっていた。雨は容赦なくの体に落ちてきて、服がずぶぬれになる。どうしようもない気持ち悪さがある。冷たい風も吹いていて、の体温を下げていく。レンもどこかへと行ってしまったようだ。上手く動かない体をどうにかして立たせ、は一歩を踏み出す。ぐしゃり、と言う泥を踏む音が耳朶を打った。


「──帰ろ……」


 もう、無理。もう、頑張ったのだから、良いじゃん。もう、レンなんて放っておけば──と言う気持ちがある。雨のおかげか、泥が少し落ちた手の平で、は頬の泥を拭った。よいしょ、と小さく声を出して、震える足を叱咤し、立ち上がる。雨が降っている公園に来る人は全く居ない。公園でよかった、と思う。涙が溢れ出てくる瞳を擦る。手についていた泥が入ってしまったのか、すごく痛い。止めようとしたのに、逆に涙がもっと溢れてきた。


「……く、っう……」


 顔を覆う。自分が嫌になってきた。どうしようもなく悲しくて、切なくて──いやだった。涙が頬を伝って落ちる。声を漏らさないようにしているものの、どうしても出てしまう。

 途端、というかその時、雨が止んだ。急激に止んだから、何があったのかと思ったら、「マスター」と囁かれて、は誰かに抱きしめられた。誰か、じゃない、レンに、だ。

 彼の温かな体温がにじわりと伝わってくる。彼の手が腰に回されているのを感じる。


「……すみません……」


 すみませんじゃないし、第一、なんで逃げたの、と訊きたいことが頭を回る。言葉には出来なかった。


「……すみません、すみません、すみません」


 彼はが泣き止むまで、ずっとその言葉を繰り返していた。
 多少、しゃくりが収まったのは、遠くで聞こえる雨音の勢いが弱くなった頃、だろうか。レンの腕から逃げようと身を捩る。すると彼は力をますます込めてきた。


「……なんで、逃げたの?」


 ぽつりと口をついた言葉は、本心から訊きたいことだった。レンはかすかに息を吐くと、掠れた声で呟いた。


「……前に、言いましたよね、おれ、マスターに近づきたいって」


 静かに紡がれる言葉に意識を集中させる。


「──おれ、マスターと同じになりたかったんです、多分」


 そうしたら、と続ける声は震えていた。


「マスターはおれのこと、好きになってくれますよね」


 今だって充分に好きだ。そう言うと、レンは「違う」と呟いた。


「マスターの好きは、おれの好きじゃない」


 それはいったい、どういう意味、なのだろうか。泣いたことによって落ち着いた頭で考える。……好きが好きじゃない、なんて、意味がわからない。レンはの肩口に顔を埋めると、くぐもった声で呟いた。


「マスターの好きじゃ、無いんです……」


 洟をすするような音が耳朶を打つ。レンは掠れた声で何度も「その好きじゃない」と呟く。彼は顔を微かに動かすと、の耳元にだけ届くような声量で続けた。


「おれは、マスターがリンと喋っていると、嫌だ。マスターがリンを先に調律するのだって、嫌だ。おれの分身なのに、おれより表情豊かで、マスターに好かれてるリンを見るのは、嫌なんです」
「それ、は……」
「マスターがおれと違うのも嫌だ。マスターが笑うのを見ると苦しくなるから嫌だ、マスターが嫌です、マスターなんて、嫌いだっ」


 はっきりと紡がれた嫌いと言う言葉に、少なからずも悲しくなる。そっか、と小さく声を漏らすと、レンは頭を服に擦りつけるように左右に振った。


「ちが、違う……嫌いじゃない、本当は好きです、けれど、嫌いです……」


 意味がわからない。


「嘘、嘘だ、嫌いなんて、嘘、です、嫌いじゃないのに……」


 彼はから体を離した。振り向く。彼は傘を片手に持って、ゆるゆると頭を振っていた。雨が止んだと思ったのは、彼が傘をの上に差してくれていたからなのだと、今更気付く。
 レンが顔を上げる。に近づいてきて、そっと手を取った。自身の胸にの手を押し当て、薄く笑う。


「聞こえませんよね」


 レンがの手から自身のそれを離し、の胸辺りに押し当てる。


「マスターには聞こえるのに」


 途端、見間違いかも知れないけれど、彼の瞳から一筋の光が落ちた。涙だと気付くのは、それが頬を伝い顎に落ちた時、だ。
 それでせきが切れたのか、レンはぼろぼろと瞳から涙を溢れ出す。彼が瞬きをするたび、新しい雫が生まれ、落ちていく。


「マスター、どうして、ですか」


 ──彼が頭を振る。涙がレンの服に痕を残した。
 彼は小さくしゃくりをあげて、言葉を続ける。


「おれはボーカロイドで、人間じゃなくて、マスターは人間で」


 そう言うと、レンは顔を上げた。涙で顔がぐしゃぐしゃになっている。とめどなく伝うそれは、柔らかく光を反射して、頬をすべり落ちた。


「おれ、怖いんです……」


 何が、と小さく呟く。レンは涙を拭うと、呟くように続けた。「──おれが、機械ということが」


「マスターのこと、好きです、でも、この感情は最初から用意されていたものなんじゃないかって、思っちゃうんです」


 レンはふるふると頭を振り、「おれはプログラムで作られたから」と悲しそうな表情を浮かべる。


「マスターを好きになるのは、プログラムされた感情で……。今だって、おれがマスターを想う気持ちは偽りだったら、って考えたら、どうしようもなく怖くて、──嫌だ──」


 マスターのこと、好きです、好きなのに、好きになるほど怖くなる。そう呟いて彼はにすがりついてきた。傘が落ちて、地面を転がる。雨から守られていた体が、再び晒される。
 レンはの肩を勢いよく揺すって、「マスター、おれの気持は嘘じゃないですよね」と声を荒げた。空気が震えて、彼の声が雨の間をぬって届く。

 彼の気持ち。つまりは彼の感情だ。それを否定することも、肯定することもには出来ない。よくわからないし、彼は──、……機械、なのだから、を好いている気持は完全にプログラムされたものだろう。本当のことを言うのは簡単だ。たった一言、「その気持ちは嘘だよ。プログラムされたものだよ」と言えば良いだけ。けれど。

 レンの瞳が真っすぐにを射抜く。蒼い、海の底のような色がゆらゆらと揺れている。彼の体はには想像も出来ない、『何か』で出来ていて、内にあるものは臓腑じゃなく、コードだろう。基盤、それに何かしらメモリとかも入っているかもしれない。頑丈に出来た体は、それらを守るためにある。よくわからないけれど、彼には感情もあって、心もある。人間と何が違うのだろう。


「マスター、おれの、おれの気持ちは……」


 レンの気持ちを否定したら、彼はどれだけ傷つくのだろうか。今でさえ、壊れそうなのだ。服を掴む手ががくがくと震えていて、声は掠れている。
 言えない。言えるわけがない。

 何も答えずにいると、彼は顔をぐしゃぐしゃに歪め、


「駄目です、おれ、訊いておいて──否定されたくないと思ってる」


 早口に呟いた。雨足がだんだんと弱まる。レンはずぶぬれになっていて、皮膚に彼の体を覆う服がくっついている。描き出すラインは美しく、息を呑むはかなさを孕んでいた。彼の顎を伝い、涙か雨かわからないものが地面へと落ちていく。
 眉をひそめ、レンは頭を振る。柔らかな黄金色が、どんよりとした雰囲気の場に不釣り合いだと思った。


「おれの気持ちを、否定しないでください……マスター……」


 否定されたら、嫌です。そう続けて、彼は僅かに頬を緩ませた。無理な笑みを浮かべる。


「──そうしたら、おれ、……嘘だと、思われても良いです」
「……え……」


 言葉を漏らす。レンは笑い声を漏らし、「駄目です、おれ」と悲しそうな笑みを浮かべた。


「マスターを困らせたくないのに、困らせてばかり居る。本来持つはずの無い感情も持っているし、おれ、壊れている」
「壊れてない」


 声を荒げたのは、半ば無意識的だった。の服を掴む手がびくりと震え、レンの声に震えが混じる。
 手を伸ばし、肩を優しく掴んで、そのまま引っ張る。レンの体がに倒れるようにしだれかかってきた。力を込めて抱きしめると、彼の体が震えた。
 細い肩。十四歳にしては低い身長だ。人間なら、これから伸びるということを想定してわくわくしたり、どきどきしたり、希望に胸を震わせることが出来るだろう。けれど、レンには出来ない。ずっと、いつまでも──この姿のままだ。


「レン」
「マス、タ……」


 彼は若干、鼻にかかったような声を出した。の背中に手を回して、ぎゅっと力を込め、握ってくる。


「マスター、好きです……好きなんです」


 柔らかな声が耳朶を打つ。レンはの肩に顔をうずめて、ゆるゆると頭を振る。


「いつまでも、ずっと、ずっと──好き、です」


 きっと、と彼は続けて肩から顔を離した。悲しそうに笑い、続ける。


「マスターが困るなら──嘘だと思って、良いから……否定しないで、忘れないでください」


 何を返すことも、出来なかった。言葉が出てこない。ゆるゆると頷くと、彼は微笑みを浮かべた。その頬を、また一粒、光を反射して雫が伝った。


続く


「愛は惜しみなく与う」が元。
人を愛するということは、相手のすべてを奪って自己のものにしようとすることである。
2008/04/13

2008/4/18 改訂しました

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