あなたへ歌う 03
(歌う子供)


 それにしても、どうすればいいのだろう。
 二人へ交互に視線を送る。リンは、直ぐそれに気づき、にっこりと満面に笑みを浮かべた。が、レンはと言うと、リンとは対照的に首をかしげるだけだ。まるで、何故視線を向けてくるのか、と暗に言っているような──たぶん、その通りなのだろうけれど。

 溜息を吐きそうになって、それを喉で押しとどめる。──どうすればいいのか、なんて決まっている。ひとつしかない。
 歌を、歌わせたら良いのだ。

 けれど、正直、は調教……調律、っていうのが全くわからない。DTM? なにそれ、おいしいの? という人間なのだ。平たく言えば、全くの初心者。
 こんなが、はたしてリンやレン達を上手に歌わせることができるのやら。
 DTMとかについては、いろいろなサイトが初心者の為に講座を開いていたりするし、ボーカロイドの使い方だって、多くのサイトが使い方を書いている。

 それらのサイトを見れば、でも少しは歌わせることが出来たのだと思う。ただ、普通のボーカロイドが、届いてさえいれば。
 目の前に居る二人は、明らかに普通のボーカロイドじゃない。ソフトウェアじゃない。

 だとしたら、サイトに書かれている調律の仕方は、全く役に立たないということだ。

 ……頭を抱えたくなる。正直、生の──と言っても、生と言っていいのかはわからないけれど──リンレンに出会えた嬉しさはあるけれど、……普通の方が、良かった……。

 はは、と苦笑を漏らす。するとリンがの手を軽く引っ張り、「マスター!」なんて、嬉しそうな声を出した。


「マスター、どんな曲、歌わせてくれますか?」


 ……逃げても良いかな。


「きょ、きょきょ曲……ですか……」
「そうです。あ、もしかして今から書くんですか? お手伝いします!」


 初っ端からオリジナル曲を書けというのか。初心者に。


「わたしはロックとかも好きです、でもマスターが作ってくれるのなら、なんでも良いです!」


 ギターとか全然ひけませんすみません。
 ……何も返せず、はは、そうだね、あははと言う言葉ばかりを繰り返していると、レンが「マスター」と声をかけてきた。助け舟とばかりにはレンの方へと顔を向ける。深い碧と視線が交わる。


「マスターは初心者ですか」


 僅かに疑問を含んだ声。それに大袈裟に首を縦に振る。そうです、初心者です! だから曲を書くとか、そういうの全然出来ません!
 レンは小さく息を吸うと、言葉を続けた。


「なら、童謡から始めたら良いと思われます」
「童謡?」
「わらべ唄です。その他にもかっこうやドレミの歌等、小学生が習うような曲でも良いと思われます」


 つまりはかえるの歌とか、そういうものか。
 それなら、多分……出来るような……でもやり方がわからないのだけれど。
 ひきつったような笑みを浮かべつつ、「ああ、うん……」と返すと、レンはちらりと説明書に目をやって、それを取った。
 そして、ぱらぱらとページをめくり、ある場所で手を止めたかと思うとに手渡してきた。


「ここのページにおれ達の使い方が載っています」
「え、ああ、ありがとう……」
「いえ」


 礼を言うと、レンはの瞳と視線をあわせてから一言、呼吸に音を乗せたような、小さな声で呟いた。
 本を受取る。……立ったままでは何だか読みにくいよなあ、と思ってソファーに座る。と腕を組んでいたリンも、ぽすっという音をたての横に座った。
 たぶん、よく理解出来ないだろうけれど……まあ、見てみようかな。

 目を通す。
 ……通す。
 …………通すったら通す。

 ──何分か経っただろうか。は逃げ出したい気分に駆られた。正直、よくわからない。なにせよ、最初っからつまずいているのだ。な、なにこれ……口の開き具合? 知らないよ、口の開き具合とか。思考回路がショート寸前とは正にこの事だと思う。
 無理。無謀。絶対、絶対に無理。正直、説明書を投げ捨てたい気持ちに駆られる。というか想像の中では何回も投げ捨てている。

 うあー無理だー無謀だー。どうしよう、初心者がボーカロイドを買うとか、そういう時点で無謀だったのかもしれない。

 ……冊子から目を上げる。すると、リンが「マスター、わかった?」と訊いてくる。うん、全然わからない。……なんて言うわけにもいかず、あいまいに笑みを浮かべると、その意味を感じ取ったのかリンは両手を上にあげ「わたし、どれだけ遅くても良いですから!」と笑みを浮かべた。

 ……非常に申し訳ない気分になる。
 はソファーから立ち上がり、パソコンへと向かった。画面に浮かんでいるのは、さっきまで見ていた動画だ。それを閉じ、はパソコン前に設置されてある椅子に座る。

 ……当たって砕けろ、って昔の人は言ってたし……きっと大丈夫、だよ、うん。

 説明書に書いてある接続方法を見る。首の後ろ、の、コネクタらしきものに、USBケーブルを繋ぐ、と調律画面が出てくるらしい。
 USBケーブルはある。パソコンの後ろ側に繋いでから、二人を見るように振り向く。

 レンと視線が合った。彼は何かを言おうと、口を開く。けれど、それはリンの元気な声に遮られた。


「マスター、するんですか!? するんですね!」


 リンが、それはもう本当に嬉しそうに、若干スキップをしながら近寄ってくる。……可愛いなあ。かすかに笑みが浮かぶ。
 彼女の頭に軽く手を置き、レンに視線をうつした。開いていた唇は閉じられ、レンは無感情な瞳でと視線を交わせる。
 その瞳が揺らぎ、少しだけ寂しそうに見えたのはの見間違いなのかもしれない。


「うん、やるよ。けれど多分……っていうか絶対に、下手だからさ」
「そんなこと! マスターが歌わせてくれるのなら、わたしはなんでも嬉しいです!」


 どちらを先に歌わせようか、なんて思ったけれど──ここはリンにするほか、無いだろう。苦笑を浮かべながら、じゃあちょっと後ろ向いてくれるかな、と言う。リンは素直にそれに従い、はいっ! なんて元気な返事をして、後ろを向いた。

 そっと首筋に触れて、どこにふくらみがあるかを探す。──見つけた。引っ張る。接続部を見て、は慎重にUSBケーブルをさした。

 パソコンが何かを読み込み、数秒してからパッと画面に調律画面があらわれた。

 リンが横からパソコン画面を覗き見る。えへへ、と嬉しそうに声を漏らしながら。
 ……出来るだけ、頑張ろう。

 歌わせるのは、“かえるのうた”だ。多分、簡単だろう、なんて安直な発想からそれに決めた。かっこうはなんだか難しそうだし、ドレミのうたは音が早いところがある。

 一人でやるのは、きっと難しい。ここは助言を求めるべきだろう。レンの居る方へ、体ごと向ける。視線が合うと、彼は僅かに首をかしげた。


「レン、おいでー」


 名前を呼ぶとレンは歩を進め、に近付いてくる。真っすぐに背を伸ばし近づいてくる姿を綺麗だな、なんて思ってしまった。
 から一定の距離を取り、レンはぴたりと止まる。それから、小さく唇を開き、「なんですか」と語尾を上げた。


「なんていうか、ほら、一緒にやらない? っていうか助言! ヘルプミー」
「……おれがマスターに助言できることは、少ないです」
「そうなの?」
「はい。ただ、ここの値はこんな風にした方が良いとか、それぐらいです。それに、俺に訊かずとも──」


 レンの視線がから外れる。きっと、リンに向いているのだろうな、なんて思った。


「リンに訊けば良いかと思われます」


 静かな声音だった。そうなのかもしれないなあ、とは思う。けれど、うん、なんていうか……うーん。
 言葉にできない気持ちが生まれる。もやもやとするような、胸の内にわだかまりが残るような。
 レンの手を引く。彼は一瞬驚いたのか、軽く目を見開いた。


「マスター?」
「それでも良いよ」
「──おれ達は個々で設定が違います。どういう風に歌わせてくれたら、自分の一番良い声が出るのかも、プログラムされています。だから」


 おれに訊くより、リンに訊いた方が効率は良いかと思われます。
 レンはそう続け、かすかに目を伏せた。
 それはそうなのかもしれない。リンの調律についてはリンが一番分かっている、と言いたいのだろう。けれど、なんていうか……。


「色々な方向を試して歌わせるほうが楽しいよ、きっと」


 意味が分からない、と言うようにレンはをじっと見つめる。


「……だから、ほらほら、こっちに座ってさ、一緒にやろうよ」


 少しだけ詰め、は椅子にレンが座れるスペースを作る。レンは一瞬、戸惑うような様子を見せ、「……わかりました」と言い、おずおずと腰を下ろす。
 はそれを見届けてから、リンの調律画面に向かった。

 レンに色々と教えてもらいながら、どうにかして音と言葉を入力していく。一音ずつ、一音ずつ。

 少しずつ、それにどういう風にやれば良いのかを逐一レンに訊くためか、かなり時間がかかっている。だから、だろうか。リンが時折、待ちくたびれたように小さく歌を口にする。入力している、かえるのうたを、だ。
 なんというリアルタイム。
 が音の入力を間違えるとリンも間違える。歌詞を間違えると、歌詞を間違える。……これは、なんていうか、嬉しいし、楽しい。

 かすかに笑う。するとリンはの方を向き、小さく笑みを浮かべた。形容するなら、花が咲いたような明るい笑顔。

 入力が完全に終わったのは、一、二時間か経った後だった。正直、ここまで集中力を保った自分を褒めたい。かかりすぎ、と思うけれど……時間は、慣れると短縮されていくだろう。多分。きっと。

 リンが嬉しさを抑えきれない様子で、に視線を向ける。


「ねえ、マスター、もう歌っても良い?」


 もちろん。首を頷かせると、リンは嬉しそうに笑みを浮かべ、それじゃあ、と立ち上がった。
 USBケーブルを器用に外し、リンは部屋の真ん中に立った。そうして、すっと息を吸うと入力したばかりの歌を歌いだす。

 小さく淡い唇が、はっきりとした言葉を紡いでいくのは、見ていて美しく感じた。
 ──自分が入力したものを歌ってもらうというのは、なぜこんなにも嬉しいのだろう。笑みが浮かぶ。かえるのうた、だ。既存の曲。しかも、すごく簡単な曲。それなのに、どうしてか凄く嬉しい。
 これは、万が一にでもオリジナル曲を作った場合、嬉しすぎて涙目になるかもしれない。

 リンは短い曲を何度も何度も歌う。胸に手を当て、高らかに、世界中に響かせるように。
 レンが小さく「……おれも……」と呟いた。レンの方に気づかれないように視線を向けると、リンを見つめる羨望のようなものが混じった瞳が目に入った。
 彼も歌いたいのだろう。ボーカロイドだ。歌うことが総てなのだから。

 リンが口を閉じる。はにかむような笑みを浮かべ、跳ねるようにステップを踏み、に近付いてきた。そうして、「マスター、どうでした!?」と嬉しさのせいか紅潮している頬をそのままに、問う。

 彼女の頭に手を乗せ、優しく撫でる。彼女は輝くような笑みを、浮かべた。


「うん、良かったと思う。それにしてもリンの声って可愛いね。すごく素敵だよ。透きとおるような、感じって言うのかな? 綺麗だった」
「……っマスター!」


 リンがの首に腕を回し、力を込めた。えへへへへ、という声が聞こえた後、彼女は体を離し、笑みをますます深くして、言葉を続けた。


「マスターのおかげです! これからも一杯色んな曲、歌わせて下さいね!」


 ──そんなにも歌うことは、彼女にとって幸せなものなのだろうか。笑みを浮かべると、リンはえへ、と小さく笑った。
 ……それにしても、マスターのおかげ、かあ。レンにちらりと視線をやる。
 彼は何故か、呆けたように視線を部屋の真ん中に向けていた。レンの頭に軽く手を置くと、驚いたような視線をに向けてくる。


「レンのおかげだね。ありがとう」
「……そんなことは、無いです。マスターが根気よく続けたから」
「あはは、でも、ありがとう。次はレンの番だね」


 レンが一瞬だけ、びくりと体を震わせ、を見る。


「かえるの歌、だけど。良いかな」
「……はい」


 若干、嬉しそうな感じだった、と思う。性格が形成されていないからか、彼の感情の機微は本当に微々たるものだ。
 リンの首に皮膚をはめこんでから、レンの首に触れ、ふくらみを取る。その後、USBケーブルを接続した。レンの調律画面が出てくる。
 今度はリンに手伝ってもらおう。リンから体を離し、「手伝ってくれる?」と問う。彼女は笑みを浮かべ、豪快に胸を叩き「もちろんです!」と言った。

 調律にはリン同様、時間がかかった。リンと同じようにすればいいのかな、と思うのだけれど、リンは“わたしとレンは同じ調律だとすごいことになりますよ!”と言う。どこらへんがすごいことなのか聞いてみたい気もするけれど、我慢しておく。
 しょうがないので、初っ端から少しずつ音を入力、言葉を入力──その他諸々のことをやっていく。レンもリン同様、ある程度入力したらかすかに歌った。

 リンはに聞こえるような音量だったけれど、レンはともすれば聞こえないような、小さな声で歌う。それに何故だか微笑ましさを感じつつ、は音を入力していった。リンに何度も教えを乞いながら。

 入力が完全に終わったのは、リンと同じくらいの時間が経った後だった。レンが入力を止めると同時に、「マスター」とを呼ぶ。
 視線を向けると、レンは「もう、良いですか」と語尾を上げ、問いかけてくる。


「良いよ」


 そう言うと、レンはUSBケーブルを外し、部屋の真ん中へと歩を進めた。……歌う時は場の真ん中で歌え、とかそういうプログラムがあるのか、なんて思ってしまう。
 レンはと視線を合わせると、唇を動かし、歌い始めた。


 リンとは違う声音だ。男の子の声。鼻声っぽさがあまり無かったのは、リンのおかげだろう。
 レンは弾むような声で歌う。歌うことが楽しい、ということが伝わってくるようだ。何回か歌った後、瞳を揺らしを見る。
 感想が、聞きたいのだろう。たぶん。


「うん、凄いね。上手だったよ、レン! レンも良い声だね。うん、好みだなあ」


 笑う。すると、レンはふっとから視線を逸らし、小さく「……ありがとうございます」と呟いた。何か、変なことでも言ったのかと思う。アレか。良い声っていうのがダメだったのか。好みっていうのもダメだったのか。セクハラ発言に思われたのか。
 色々と懸念しつつ、は少しだけ苦笑をもらした。




続く



2008/03/10




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