あなたへ歌う 04
(気まぐれ)


 あの後も色々な童謡を入力して歌わせていたら、いつのまにか夜になっていたことに気付かなかった。ふと窓の外に視線を向けた時、夕暮れに空が染まっていた時、正直非常に驚いた。ボーカロイド恐るべし。
 一つのことに集中すると周りが見えなくなる、というのは直した方が良いくせなのかもしれないなあ、と頭を掻きながらは途中のデータを保存して席を立った。リンとレンが不思議そうな表情でを見てくる。


「マスター? もう止めちゃうの?」
「あ、うん。そろそろ夜だし、ご飯とか、それにお風呂とかもあるし」
「ご飯……、お風呂……」
「そう」


 リンが怪訝な表情で問うのに答えを返す。すると、彼女は一瞬、ぽかんとしたような表情を浮かべ、の発した言葉をオウム返しに呟いた。……何か変なことでも言ったかな、と不安になる。
 わずかに疑問を抱きつつ、台所に向かう。

 今日の献立を何にしようか、ということを考えなければならない。昨日は何を食べたっけ……。おぼろげにしか思いだせない。自分の記憶力が非常に不安だ。そういえば記憶力って手先が器用な人はあんまり悪くならないんだっけ、何か手先を使うこととかすれば良いのだろうか。

 うーん、と言葉には出さず頭の中で唸る。何を考えているんだ、。夕飯の献立を考えろよ。記憶力とか、また今度で良いじゃん……。
 まあ、何かしら冷蔵庫を見て決めよう。冷蔵庫の方に体を向ける際、レンの姿が目に入った。足を止める。彼は、の後ろに立っていた。無表情でを見つめている。一瞬だけ、驚いた。
 ……レンさん。もう少しさ、気配とかさ! 出そうぜ!

 抜き打ちの驚きで、胸を大きく鳴らしつつ、「レン」と名前を呼んだ。彼はと視線を合わせ、「なんですか」と語尾を上げる。
 特に呼びかけたのに意味はない。強いて言えば、少しだけ怒るようなニュアンスを混ぜた。けれど彼はそれを感じ取らず、に問いをかける。
 そういえば、負の感情はわからない、って書いてあったっけ……。

 レンが首をかしげる。「マスター?」とを呼ぶ。


「用は何ですか」
「用……」


 無い。強いて言えば驚かさないでね、と言ったところだろうか。でもきっと言ってもレンは理解しないだろうなあ、と思う。
 ごめん、なんでもないよ、と言いかけてふと頭の片隅に疑問が過ぎる。そういえば、ボーカロイドはご飯とか食べるのだろうか、なんて考えた。どうなのだろう、わからない。レンと視線を合わせ、名前を呼ぶ。彼は「なんですか」と語尾を上げた。


「ご飯、食べるー?」
「……ご飯……」


 レンがかすかに瞳を揺らがせる。と視線を合わせるために多少上に向かせた顔を俯かせ、「……ご飯」ともう一度呟いた後、ゆるやかに顔をあげた。ともう一度視線を交わす。


「食べません」
「え、あ、そう……なんだー」
「マスターが命令されるなら、食べます」
「め、命令で、ですか」


 はは、と苦味の混じった笑みを浮かべる。食べないのか。だとしたらどうやって燃料補給するんだ。充電でもするのだろうか、と思う。その疑問を口に出そうとしたが、リンが台所に表れ、に抱きついてきた為、発することはできなかった。彼女はを見て、「マスター、ご飯っておいしいの?」と語尾を上げて問う。
 ご飯っておいしいの、かあ。


「や、おいしいよ」
「そうなの? わたし食べて見たいなあ!」


 とても楽しそうに言葉を発するリンを見たら、つられて嬉しくなってしまう。リンの肩に手を回し、笑みを浮かべた。


「じゃあ、食べようか」


 瞳をきらきらと輝かせ、リンは「やったあ!」と歓喜の声をあげた。その様子に、ますます笑みを深くしながら、レンの方を向く。
 そうして、確認するように問いを投げかけた。


「レンは? どうする?」
「──おれは、良いです」
「良いの?」
「おれ達には──」


 そこでレンはためらうような様子を見せた。どうしたのだろう、と訝しげな視線を向ける。彼は小さく息を吐いた後、言葉を続けた。声に、少しの困惑を乗せて。


「おれには、味覚がありませんから」


 そう言ってレンは軽く目を伏せた。おれ達、からおれ、に変えたことには何かしら意味があるのかなあ、なんて頭の片隅で考える。答えはどれだけ考えても見つからないので、すぐに考えることは止めた。
 それにしても、おれには、と言う言い方だとリンにはあるみたいに感じるのだけれど、その解釈で良いのだろうか。リンに視線を向ける。彼女は視線があったとたん、にこりと笑みを浮かべた。詮索──は、しないほうが良いのかな。
 の疑問を感じ取ったのか、リンが口を開く。


「その、マスター、あのね」


 言いにくそうに、リンは言葉を続ける。僅かに頬を染め、ちらちらとこちらを伺うような瞳でを見ながら。


「わ、わたしにも味覚は無いけれど……、その、食べてみたいの」


 何を言うにも、というか何を言ったら良いのかわからずに口を閉ざしていると、リンが「だ、だめ?」と若干、声を震わせてに問う。だめなことは無い。


「ううん、良いよ」


 そう言うと、リンはぱあっと表情を明るくして「マスター」と、感極まった声を出す。
 この子は本当に感情の表現が激しいなあ、と僅かに思う。だからか、レンの静けさがとても際立つ。レンの名前を呼ぶと、彼は小さく返事をして、近寄ってきた。前よりも若干距離が縮まる。


「レンは静かな性格だね」
「……嫌ですか」


 レンが首をかしげる。もしかしなくても不躾な質問だったかもしれない。あわてて否定をする。


「え。そんなことは無いよ」
「おれは、マスターとの触れ合いを通して性格を形成していきます」


 だから、とレンは言葉を続けた。


「我慢してください。……気に障ったのなら、申し訳ございません」
「えっ、あ、そういうのじゃ……ええと」


 どうしようもない誤解を招いている気がする。気に障るなんて、そんなことはない。むしろ、の言った言葉がレンを傷つけたのでは、と不安に思うくらいだ。
 頭を軽く下げて、「ごめんね」と言うと、不思議そうな表情を浮かべられた。


「……ちょっと、不躾なこと言ったよね、ごめん」
「そんなことはありません」


 静かな声だった。平たんな声。なんていうか、それにどうしようもなく申し訳なくなって、レンの頭に手を伸ばした。レンは身じろぎもせず、の手に視線をやってから、目を伏せた。レンの頭に手を置き、軽く撫でる。彼はに怪訝そうな瞳を向けて、そっと自身の手をの手に重ねた。
 かすかに温かさが伝わる。レンはの手を軽くさすった後、手をおろし、頬をゆるやかに紅潮させた。
 ……どうしてそこで紅潮、とか思うものの口には出さない。レンがにターコイズブルーの瞳を向け、口を開いた。


「マスターは温かいですね。おれとは違う」
「え──」
「マスター、マスター、マスター!」


 声に何か、感情のようなものをにじませて、レンはに言う。レンも温かいじゃん、そう考えて言葉に出そうとすると同時に、リンがの服の裾を引っ張った。視線を向ける。頬を膨らませていた。
 腰に手を当てて、いかにも“今、わたしは怒っています!”というよう。リンは「レンとばっかお話しないで、わたしのことも見てください!」と言って唇を尖らせる。

 それに小さく苦笑をもらし、はレンの頭から手を離した。レンが一瞬、小さく「あ」と言う声を出す。どうしたのだろう。「どうしたの」と優しく問いかけると、彼は軽く顔をそむけ、「なんでも、ありません」と呟いた。そして、そのまま台所から出ていく。どうしたのだろう、とその背中に視線を向けるが、彼はそのままどこかへと行った。
 疑問は止め処なく浮かんでくる、けれど、今は。

 リンがの服を引っ張る。先ほどよりも、強く、だ。
 視線を向けると、「マスター、一緒につーくりーましょっ」とリズミカルに言葉を紡いだ。……今は、夕飯を作ることを優先しなければならないらしい。



 その後お米をといだり、おかずを作ったり、風呂に入ったりして──時間はもう遅くなってしまった。机の上にご飯を並べつつ、時計から視線を逸らした。
 ……夕飯と言うには少々遅い時間。まあ、仕度をしはじめたのが遅かったのだからしょうがない。
 机の上に並び終えたご飯を前に、リンは目をきらきらと輝かせた。レンはパソコンの横に座ってこっちを見ている。どうやら、あの後、彼はパソコンの傍でじっと座っていたらしい。
 とリンの分のご飯を並べ終えてから、レン、と名前を呼ぶ。彼は立ち上がり、近くまであるいて来た。


「なんですか、マスター」
「いや、なんていうか用は無いんだけれどね」


 リンがいただきまあす、と舌足らずに言いきってご飯に口をつける。咀嚼し、飲み込む。一瞬後、「おいしいです、……よね」と笑った。
 微妙に語尾を上げ調子、同意を求めるような言い方だったのは、彼女にも味覚が無いからだろう。
 レンはそんなリンを一瞥し、またに視線を合わせた。


「用が無いなら──」
「食べませんか! ともに!」
「……マスター?」


 なんだろう。呆れた物言いに聞こえた。実質、彼は呆れているのかもしれない。おれは味覚が無いと言ったのに、という表情をしている。
 レンは小さく息を吐くと、「マスター、おれには」と言葉を続けた。


「いやいやいや、でもね、ほら、やっぱ楽しいことは分け合いたい主義なんですよ、は!」
「……」


 遮るように言葉を発する。すると、怪訝な表情を浮かべられた。これはどうしよう、もしかしなくてもはウザイのではなかろうか、なんて思う。
 いや、でもさ、リンとが二人でご飯食べる中、レンだけパソコンの横にぽつねんと座っているのって、正直……だめだろう。何がだめなのかは良くわからないけれど。
 小さなお世話、大きなお節介、という言葉があるけれど、彼はにそう思っているかもしれない。大きなお節介だと。


「命令ですか」


 意気消沈している時に、レンの声が耳朶を打った。め、命令……。そういうのでは無いんだけれどなあ、と苦笑を浮かべる。


「え。やー、違うよー。レンが嫌ならそれで良いし……、命令じゃ、無いよ、うん」
「……」


 レンが考えるような仕草を見せる。そうして、と視線を合わせ、小さく「食費の」と呟いた。


「ん?」
「……無駄になります、おれ達は食べてもそれをエネルギーに返還することが出来ません、消化することもないので、食べたものは絶対に出さなければならない」


 微妙に早口だった。驚く。食費の無駄、かあ……。それはそうなのかもしれない、けれど……、……中々にキツイことを言うなあ、と思う。レンは顔を俯かせ、言葉を続けた。


「だから、マスターの命令で無いというのなら、おれはいりません」


 はっきりと告げられた否定の意思。それに唖然とし、何の返事も返さなかったからなのか、レンが所在無さげにに視線を向け、「……怒っていますか」と問う。
 そんなことはない。首を振る。


「すみません」


 レンが頭を下げた。そんなことはしなくても良いのに。慌てて「大丈夫だよ、気にしないで!」と手を目の前で振る。それなのにレンは顔を上げない。おおおう、そんな風に謝られたら困っちゃうよ、本気で。
 どうしようか、なんて考える。レンは、あれか、申し訳なく思っているのか、そうなのか。どうなの、良くわからない。どれだけ考えても疑問の答えは出ない。


「レン、良いよ、本当に。自分の意見を言ってくれた方が嬉しいし」


 レンがおそるおそると言った様子で顔を上げる。なんだか親に怒られた子供のようだ、と思った。ふっと笑みを浮かべ、はレンの頭を乱雑に撫でる。


「それに、食費の──お金の心配してくれたんでしょ? だから、良いよ。ありがとうね」


 そっと手を離す。なんだか、頭を撫でてばかりだなあ、と思う。まあ、でも、良いか。レンもリンも嫌がっていないようだし。
 レンはが離した手の乗っていた部分に自分の手を乗せ、そのあと、「……マスター」と言った。ため息に音を乗せるような、小さな声で。
 ん? と返事をすると、レンはともすれば聞こえなくなるような小さな声で、「……すみません」と呟いた。
 そこまで気にしなくても良いのに。


「マスター、ごちそーさまでしたっ」


 再度、慰めようとレンの頭に伸ばした手が止まる。視線を向ける。リンがご飯を食べ終わったようだ。リンはと目が合うと、「えへ、マスター、おいしかったです」と笑った。ほっぺにご飯が付いている。なんというベタな……。笑いが浮かぶのを抑えきれない。


「あはは、リン、ついてるよ」
「ええ!? ど、どこですかっ」


 ここだよ。
 そう言ってはリンのほっぺに手をやり、ご飯粒を取った。リンが「も、もーう、マスター、わたし、ひとりで出来るのに!」と頬を赤くさせた。かわいいなあ。
 そろそろ、も手つかずのご飯を食べなくては、いけない。レンに「気にしないで良いからね」ともう一度、念を押すように言ってからはご飯に手をつけ始めた。



続く


ひとりで出来るもん! が書いていて頭をよぎりました。


2008/3/13
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