あなたへ歌う 05
 (心を潜めよう)


 あの後ご飯を食べ、さあ寝ようかと言う時。レンやリンたちはどうやって寝るのだろう、という疑問がふと頭をかすめた。
 少しの間考え込み、布団で寝るだろうなあ、という結論に達した。ので、お客様用の布団を敷こうとしたら、レンに止められた。
 いわく、「おれ達はスリープモードになるので、そう言ったものは必要ありません」とのこと。
 正直、スリープモードになるからと必要無い、ということがわからない。彼らは寝転がらずに座って寝るのだろうか。首をかしげつつ、「そうなの?」と訊くと、「はい」と一言、返される。

 んー……でもなあ……。「……敷いたら寝る?」と問うと、「マスターが命令するなら」と返された。……またもや命令ですか、と言いそうになるのを抑え、「……じゃあ、布団で寝てください。お願い」と言う。するとレンは怪訝な色を瞳に宿らせ「お願い、ですか」と問うてきた。
頷いて返す。「ほら、座って寝たら体痛くなるし……布団あったほうが断然良いと思うんだけれど。寒いし」なんて、弁解のように言葉を発しながら。またもや断られるだろうか、なんて思いがよぎるものの、それなら別にそれでも良いという気持ちがある。

 レンは逡巡するように瞳をから地面へ動かし、小さく「……わかりました」と言い、早口に「寝ます、布団で」と続ける。
 正直、「いらないです」という台詞が来るだろうなあ、と言う思いがあったので拍子抜けした。
微妙に最初から決めつけをしていた自分を恥ずかしく思いつつ、「ありがと」と言い、笑う。レンはそんなと視線を合わせ、一瞬瞳を揺らし、すぐにうつむいて「はい」と言った。

 その様子を見届けてから、はリンに視線を移す。リンはとレンから離れた場所に居て、瞳を閉じながら何度も今日、入力した歌を口ずさんでいた。微笑ましいなあ。リン、と名前を呼ぶ。すると彼女は瞼を開き、「マスター!」と、笑って近寄って来た。
 それに多少頬を緩ませつつ、リンはどうする、布団で寝る? と問うと、彼女はすぐに返事を言った。「マスターと一緒に眠りたいです!」

 ということは敷く布団は二つで良いのか。どのように敷こうかと考えていたらリンがレンの手を引っ張り、「マスター、レンもマスターと一緒が良いって!」と言った。
 レンへ視線を向けると、彼はふいとから視線を逸らした。頬が少しだけ赤い。彼は小さく、「おれは……」ともごもごと口を動かす。
 それに微笑ましさを感じつつ、「うん、良いよ。じゃあ、ちょっと待っててね」と言い、二人の頭を優しく撫でてから布団を敷く。そのあと、三人でを真ん中にして仲良く寝たわけ、だ。


 そうして、朝。つまり、今だ。ゆるやかに意識を浮上させ、目をぱちりと開ける。あくびを一つこぼし、目をこする。眠い。まだ眠い。こすったからなのか、目にたまった涙を拭い、布団から出ようとする。が、なぜか体が動かない。だれかに抱きつかれているようだ。見ると、リンがの体に絡みついていた。
 ……。思わず呆然としてしまうのも無理はないと思いたい。唖然として見つめていると、リンがぱちりと目蓋を開き、を見つめた。一瞬後、ふっと顔を嬉しそうにして「マスター、おはよう」と言葉を弾ませる。


「おはよう、リン」


 起きたばかりのためか、上手く舌が回らない。聞き取りにくかっただろうなあ、とぼんやり考える。


「えへ。マスターあったかい」


 リンはそう言うと、の体をぎゅっと力を込めて抱きしめる。ふと触れた手から、ほのかに伝わるのは熱だ。リンの体は、かすかに温かかった。


「リンもあったかいね」


 彼女の頬に手を当てる。するとリンはの手の上に自身の手を重ね、はにかむように笑った。そのあと、から体を離し布団から出る。どうしたのだろう、と疑問を表情に出すと、リンは軽くウィンクをして、「マスター、朝ですから、起きましょう!」との手を取り引っ張った。上半身を起こされる。
 朝、そうですね、朝ですもんね。でもリン、はまだ眠っていたいです。微かに頬をひきつらせつつ、「ねーむらーせてー」と言う。その途中で欠伸が出そうになったけれど、なんとかして押し殺した。


「だーめ」


 リンはそう言うと、から布団をはぎとった。なんという子。季節はまだまだ春に遠く及ばない時期だと言うのに。肌に感じる寒さに身を震わせる。


「寒い……」


 小さく呟く。異変に気づいたのかレンがぱちりと目を覚まし、上半身を起き上がらせ周りを見渡す。そのあと、と視線を合わせ「マスター、おはようございます」と静かな声で言った。
 おはよう、と言葉を返す。再度目をこすり、何とかして意識を覚醒させようとする。レンが「マスター」と言葉を続けた。


「今日は、何をするんですか」
「え……」


 今日、って、予定を聞いているのだろうか。別に決めていない。うーん、と小さく唸る。
 ──昨日は曲の調律をした。二人は歌うのが好きなようだし、今日も調律をするべきなのだろう。けれど、正直、昨日パソコンに向かいすぎたせいか、頭が少しだけ痛い。できれば、違うことをしたいのだけれど。
 ……ボーカロイドは確か、経験を通して性格と感情を形成していくんだよね。だったら、今日はどこかへ遊びにでも行こうかな。
 思いついたまま、「じゃあ、公園に行こうか」と口に出す。レンが「公園」とオウム返しに言葉を発する。


「そう、公園。どう、きっと楽しいと思うよ。リンはそれで良い?」
「わたしはマスターがすることなら何でも良いです!」
「レンは?」
「それで良いと思います」


 それなら、決まりだね。そう言って、はさっそく立ち上がって準備をはじめた。
 服を決め、自分の部屋で着替える。……さすがに、二人の目の前で着替えられるほど、羞恥心が無いわけではない。
 まだまだ寒い季節なので、多少着込む。着替えながら、二人の服がないことに気づいた。どうしよう。リンはかろうじてあるにしても、レンは……。これは、先に服を買いに行くほうがいいのかもしれないなあ、なんて思いが過ぎった。
 着替えが終わり、部屋を出る。二人にはリビングで待っていてもらっているので、リビングへと足を進めた。

 二人はソファーに座り、が着替え終わるのを待っていたようで、姿を現すと同時に立ちあがった。


「マスター、終わったの?」


 リンが軽快に駆け寄ってくる。うん、と頷いて見せると手をぐいぐいと引っ張られた。


「じゃあ、じゃあ、早く公園に行きましょう」
「ちょ、え、ちょっと待って! ストップ!」


 リンがぴたりと足を止め、どうしてですか、と言うように首を傾げる。いやいやいや、あのさ!


「寒いから! 外寒いから! コート着なされ」


 若干、口調がおかしくなったのは気にしないでおきたい。
 リンがますます困惑したように首をかしげ「え? だって、家の中は暖かいですよ」と、意味がわからない、というような声を出す。


「外と家の温度は違うよ、うん。だから、ちょっと、リン」
「でも大丈夫ですよ! ね、レン」


 リンがレンに呼びかける。それに応じるように、レンが足を動かし、に近付いてきた。やはり、一定の距離を保ってぴたりと止まる。そのあと、リンを一瞥し、を見る。


「マスター、おれ達は冷たさや温かさは感じ取ります」


 そこで一呼吸おく。リンがレンの言葉をつづけるかのように、言葉を発した。


「でもね、寒い! とか、暑い! とかは平気なんです!」
「……?」


 思わず首を傾げる。ということは何か。外気温がどれだけ寒くても暑くても平気、ということなのだろうか。


「一応、温度は感じ取るけれど、わたしたちの体温はどんな状況下でも一定に保たれているので、そういうの、平気にできているんです」
「そうなんだ」


 ふうん、と一言漏らすと、リンが「だから、早く行きましょう!」と言葉を続けた。うーん、でも、その姿は見ていて寒いんだよ……が。自分本位の考え方で正直申し訳ないが、二人の恰好は夏ならまだしも、寒い季節だと、見ているこっちが寒い。
 まあでも、そう口に出すのはやっぱり自己中心的だよなあ、なんて思う。二人は寒くないと言っているのだし、そのままで外に出せば良いじゃん、とは思うものの……うーん。

 リンが手を引っ張る。焦らされているのがもどかしいのか、声を震わせて「マスタぁ、早くう」と言う。


「……んー……」
「マスター、早く早く、わたし、早く公園へ行きたいですっ」
「……あのさ、お願いです」
「へ」


 リンが間抜けな声を出す。


「コートを、着てくれないかな」


 言葉尻が小さくなったのは、やっぱり多少、申し訳なく感じているからだ。二人は必要ないと言っているのに、頼むとか……昨日のレンへのご飯のこともあるし、心の中で“ウザイマスター”と思われているかもしれない。……そういう感情は無いって書いてあったけれども。
 リンが「マスター……お願い、ですか」とぽつりと零すように言葉を発した。
 そのあと、そっとの手を掴んでいる自身のそれを離し、「お願いなら」と言う。


「わたし、コート着ます」
「ありがとう、リン」
「マスターのお願いなんだから、レンも着るでしょ」
「……マスターが言うなら」


 じゃあ、お願いしますね! 嬉しそうにリンは微笑みを浮かべる。
 それにちょっとした安堵を感じつつ、じゃあ取ってくるね、とコートのある場所まで走った。

 コートを漁りながら、小さく頭の片隅で考える。
 二人は機械だと言う。けれど、にはその実感が無い。まだ出会って二日目なのもあるし、触れると二人は温かいのだ。皮膚の感触も、人間のそれと全く同様だ。だから──。

 二人分のコートを取り、二人の元へと戻る。それを手渡すと二人はそれをはおい、前のボタンを留めていく。が、何やら不器用なようで、なかなか上手く出来ていない。リンは多少苦戦しながらもすべてを留めることが出来た様子だけれど、レンは一個ずつずれている。
 小さく苦笑をもらしたら、レンに見つめられた。どうにかしてくれ、とその瞳が訴えている。


「レン、やってあげるね」


 レンが留めたボタンを外し、つけなおしていく。レンはの手先に視線を注ぎ、小さく息を吐く。全部つけてあげると、かすかに吐く息に乗せて、「ありがとうございます」と言う声が聞こえてきた。
 どういたしまして、と頭を撫でた。するとレンは頬を少しだけ赤くし、コートを右手で少々持ち上げる。口元が、ほんの少し隠れた。恥ずかしいのだろうか、なんて思う。


「マスター、じゃあ、早く行こうよ」


 リンがの片手を取り、引っ張る。それに多少の微笑ましさを感じつつ、もう片方の手をレンに伸ばした。レンが小さく困惑を映した瞳でを見る。


「手、握ろう。ね」
「手……ですか……」
「そう。はぐれることはないと思うけれど、念のために」


 そう言うと、レンはおずおずと片手を差し出してきた。掴む。温かさが、皮膚を通して伝わってきた。笑みを浮かべると、彼は少しだけ、──見間違いかもしれないけれど──微笑んだ。
 笑った、と思った時にはその笑みはろうそくの炎のようにすっと消えてしまったけれど。レンがわずかに、手に力を込めたのがわかった。




 そうして公園へついた。朝早く、だからだろうか。人は居ない。
つくと同時にリンは入り口から少し遠くにあるブランコへと猛然とダッシュし、乗った。そのあと、「マスター、はやく!」と大声を出す。
 ……今気づいたけれど、外でマスターって呼ばれるの、すごく恥ずかしい。
 かすかに火照る頬をリンとつないでいた方の手で押さえる。なかなか動こうとしないにしびれを切らしたのか、リンがもう一度大きな声で「マスター!」と叫んだ。おおおう人が居なくて本気で良かった!


「リン、ちょっと待って、って……」


 リンに届くか届かないか、その程度の音量でそう言い、足早に近寄ろうとした、が。片方の手が逆の方向へぐいと引っ張られた。思わず踏み出した足を止める。誰が引っ張ったか。そんなのは当然、彼しかいない。


「レン? どうしたの」
「……いえ、なんでもありません」


 名前を呼ぶと、顔を逸らされた。……何やら多少、うん、多少、悲しい。
 レン、ともう一度名前を呼ぶと「なんでも、ないです」と俯きがちに言われた。どうしたのだろう。この子は。
 遠くからリンがを呼ぶ。ちょっと待っていてください、リン。お願いします。

 レンがどこかへと視線をやる。追うようにして視線の先を見ると、そこにはブランコがあった。これはアレか。ブランコに乗りたいのだろうか。


「──レン、レンも一緒にブランコ乗る? 、押すよ」
「…………あ」


 レンが小さく、声を漏らす。何かに迷っているような、そんな声を。そうして、何度か小さく声を発した後、小さく頷いた。なら、とレンの手を軽く引っ張る。彼は先ほどを引っ張った時とは比べようがないくらいに、簡単に動いた。
 ……もしかして、ブランコじゃ無かったのだろうか。心の中で首をかしげる。だとしたら、何を──。


 そうこう考えているうちにブランコまでついた。ちなみにブランコは二つあり、そのうちの一つにリンが腰かけている。錆びついた鎖を手に持ち、これまた色褪せた板の上で、リンは「マスター遅い!」と怒っているかのように頬を膨らませる。
 ごめんごめん、と言いながらはリンの後ろに回った。流石に二人同時にブランコを押すことは出来ない。レンから手を離し、レン、と彼の名前を呼んだ。


「ごめん、少しだけ待っていてくれるかな。あっちに座っていてくれる?」
「……はい」


 ごめんね、と続ける。それにレンは頭を振り、「いえ、大丈夫ですから」と続け、あっち──リンの横のブランコに腰をかけた。
 リンの背中を押す。ブランコがゆるやかに動き始めた。戻ってくるたびに押す。力をかけすぎないように、優しく。リンが歓声のようなものをあげ、嬉しそうに笑う。
 幾度かそれを繰り返していたら、彼女は途中から自分で足こぎを始めた。もうの手は必要ないだろう。そっとリンの後ろから離れ、レンの後ろへと移動する。


「レンも今から押すね」
「はい」


 そっと優しく力を込める。すると彼の乗っているブランコはいとも簡単に動き始めた。
 ふと、押しながらはレンに対して疑問を口にする。


「レン、あのさ──さっきは、何か言いたかったのかな」
「……いえ、何も」
「そう? レンがを引っ張るのはなんていうか、こう、……うーん、なんて言えば良いのかな」
「引きとめたことに対しては、申し訳なく思っています。すみません」


 レンが足でブランコの揺らぎを止め、を見る。あれ、もう良いのだろうか。


「おれは……。……もう少し、マスターと話をしたかっただけです」
「そうなの?」


 ブランコから降りて、彼はに近付いてきた。そうして、そっとの手を取る。伏せられた瞳が、僅かに上げられる。海の底のように深い青が覗く。


「マスター」


 そっと吐息とともに吐き出された言葉が、かすかに震えていた。んー……、どうしたのだろう。微妙に気まずくなるのはだけか。


「どうしたの?」
「おれ、マスターといっぱい話をしたいし、いっぱい触れ合いたいです」


 だから、と彼は言葉を続けた。小さく手に力が込められる。


「いろいろ、教えて下さい。マスターのこと」
「そんなこと。良いよ」


 そう言うと、彼は微かに頬を緩め、今度は見間違うことはないくらいに、綺麗に笑った。良かった、とその小さな桜色の唇から小さな声が漏らされる。
 ──あ、でも。


「そのかわりさ」
「?」


 レンが首をかしげる。


「変なこと言ったりしても許してくれると嬉しいなあ」
「変なこと、ですか」
「そう。あ、あと、ちょっとしつこい所とかもあるから……ごめんね」


 レンは逐一、の頼みに頷いて返す。これで良いかな……あ、でも、最後に。


「仲良くしてね、レン」


 の言葉にレンはほんの少し目を見開く。そうして着せたとき同様、コートを片手で僅かに持ち上げ、「……はい」と呟く。頬をほんの少し赤くしながら。
 それから、彼はの手と自身の手を絡ませ、きゅっと握った。恥ずかしいのだろうか。それとも……。なんにしても可愛い。小さく気付かれないように笑みを浮かべると同時に、リンの声が響いた。


「あー、レンばっかりずるい!」


 いつのまにやらブランコから降りたリンがレンを指さし、信じられない、という表情を浮かべていた。その後、の空いている方の手を取り、「もうっ」と憤慨っぽく言葉を小さく漏らし、に笑みを向けた。


「マスター、次はあれに乗りましょう!」
「え、あ、あれ?」


 リンが手を引っ張る。それによって、はその場からたたらを踏む。こけかけたけれど、何とかして体制を整えた。あ、危ないから……! 注意をしようとリンを見る。彼女は嬉しそうに笑みを浮かべていた。桜色に色づいた唇を小さく開き、「マスター」と優しい、柔らかな声でを呼ぶ。それを見ると、何やら注意をしようとしていた気持ちが消え行く。
 ふう、と気付かれないように溜息をつきつつ、困ったように笑みを浮かべた。


「しょうがないなあ」


 ふと口に出した言葉に嬉しさが滲んでいたのはしょうがないと思う。


続く





2008/3/15
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