あなたへ歌う 07 (いとしいひとよ、手をあててね) 三人で歌った後、何故だか急に気恥ずかしくなった。 歌うのは、まあ、好きと言っても過言ではない部類にあると思う。けれど、やっぱり人前で歌うのは恥ずかしいもので。「じゃ、じゃあ、今日はここまでで良いかな」と言いながら、はパソコンに向き直る。データを保存してからパソコンの電源を消さんとスタートボタンを押しメニューを開いた。とたん、リンが「待って下さい、マスター!」と慌てたように、のマウスを持つ手を掴んできた。 「んえ。どうしたの」 そう言葉を口に出すと、う、え、とかリンは俯き、頬を赤らめる。どうしたのだろう。疑問を口には出さず、リンの答えを待つ。彼女は、下に向けていた顔を上げ、「マスター」と、はっきりとした声でを呼んだ。 「その、充電をしたい、です」 「充電……?」 リンの言葉を、半ば呆然と呟く。充電、ってなんだ。どういう意味、と問いかける。すると彼女は手を所在無さ気に胸の前で動かしながら、「わたしたち、七日に一度は充電をしないといけないんです」と言いにくそうに言葉を発した。 「そうなの?」 「はい。ええと、説明書に書かれていると思うんですけれど」 そう言って、リンはちらり視線をどこかへやる。それをたどると、机の上に置いてある説明書に行き着いた。リンはその場まで歩を進め、冊子を手に取る。ページをぱらぱらと開き、ある場所でめくるのを止めるとに手渡してきた。 目を通す。そこには、ボーカロイドの充電について、と書かれていた。 『ボーカロイドたちには二次電池を使っております。内蔵されている二次電池は、一回の充電で七日程度、動くことのできる容量となっております。充電は付属のケーブルをパソコンにつけることで行われます』 それで終わり。短い。もしかして次のページにも何かしら書いてあるのかな、なんて思いページをめくろうとすると、リンが自身の手をの手に重ねてきて、それを止めた。見ると、「いいですか」と言葉を発せられる。良い、っていうか良いも何も充電をしなくちゃ動くことが出来ないのだったら、するほかないだろう。良いよ、と声に出しかけてとどまる。付属のケーブルってなんだ、という疑問にいきついたからだ。それに、リンは七日も動いていないような。 疑問に首を傾げながら、リンに確認するように言葉を発する。 「リン、付属のケーブルって、それに──」 「これです、マスター」 いつのまに。黒いケーブルをどこからか取り出したのであろう、レンがに手を差し出しながら言った。その手の上には、黒いケーブル。たぶん、これが付属のケーブルなのだろう。 冊子を閉じ、適当な場所に置いてから手にとって見る。普通のコードみたいだけれど、たぶん、何かが違うのだろう。誰に聞くでもなく、どこにつけるの、と呟く。するとレンが「──USBケーブルと同じ場所に」と短く答えを返してくれた。 ふうん……。でも、これだったら、二人同時に充電とか、できないよね。そこらへんはどうするのだろう。二人同時に充電不足になったりしたら。 頭の中でそんなことを考えつつ、「じゃあ、リン、つけるね」と言い首の裏のふくらみを取る。そのあと、ケーブルを差し込んだ。とたん、リンの瞳が昏くなる。 「──充電モードになりました」 「へ」 リンの柔らかな、女の子らしい声が無機質なものにかわる。ん……どうしたものか。首を傾げていると、レンが「マスター、俺がさしますね」と言い、の手からケーブルを取ってパソコンに繋いだ。パソコンが何かを読み込むような音を発したあと、パッと画面が黒くなる。あ、え……え、なに。何事。瞬間、焦る。 その焦りを感じ取ったのか、はたまた、ただ説明しようとしたのか、レンが言葉を発した。 「パソコンは、おれたちが充電している間、スリープモードになります」 「あ、そうなんだ……」 「リンはたぶん、明日の朝まで充電しなければならないかと思われます」 「へえ……」 そうなのか。……明日の朝までリンはこのまま、かあ……。ということは。 「今日はレンと、ある意味二人きりなんだね」 「……二人、きり、ですか」 「うん」 肯定するように頷く。すると、レンは僅かに瞳を揺らし、「ですが」とリンにちらりと視線を向ける。そうして言葉を続けた。 「リンも居ます」 「んー、そういう意味じゃなくて……。まあいっか」 「……? そうですか」 レンが納得しきれない様子で首を傾げる。んー、なんていうか、意味としては違うものの、わかっていないのならしょうがない。レンの頭に軽く手を置き、「それじゃあ、はご飯作るから」と言い、台所へと入る。その後ろをレンがとことこと、ついてきた。 「……レン?」 名前を呼ぶ。すると彼は瞬間、驚いたように体を竦ませ、「お手伝い、したい、です」と僅かに声を震わせ、言った。 「お手伝い……」 「リンが前やっていました。おれも、やりたいです。手伝わせて、ください」 それ自体は嬉しいし、助かる。けれどお手伝いかあ……。なんていうか、ある意味危なっかしい気がする。レンのことだから無いだろうけれど、手を切っちゃったりとかしたら大変だ。実際、この前のお手伝いの時、リンは手を切りかけた。その例があるからか、あんまり簡単に答えを返すことが出来ない。 がなかなか返事をしないからか、レンは俯き、小さな声で言葉を紡いだ。 「だめ、ですか……」 「え。あ、えーっと……、そんなことはないよ。手伝ってくれると嬉しいし、助かるし」 レンが顔を上げ、瞳を揺らしてを見る。 こんな風に見られたら……うん。じゃあ、手伝ってもらおうかな、と声を出す。すると途端に彼は嬉しそうに──と言っても、そこまで変わりはないけれど──頬を紅潮させ、「わかりました」と言った。 「んじゃあ、野菜を洗ってもらおうかな。あ、水とかって、大丈夫?」 「大丈夫です。防水加工は施されているので」 「そっか」 疑問に思ったことを口にすると、よどみなく返される言葉。それを微かに心地よく感じつつ、少し考えて「じゃあ、これ、お願いできるかな」と野菜を何個か手渡した。今日はサラダでも作ろう。 レンは一度、頷くと、水道の蛇口をひねり、水を噴出させた。そこに手をひたすように入れ、野菜をごしごしとこする。それを半ば無意識的に見ていると、彼はいぶかしげな視線を向けてきた。 「マスター、どうかしましたか」 「ん……あ、ごめん」 「いえ、……マスター、これで良いですか」 「え、あ、うん」 レンに野菜を手渡される。ひんやりとした感触が伝わった。あ、やばい。冷水のままだ。温水にしてない。直ぐに温水になるようにする。これで、しばらくすると温水が出てくるようになるだろう。 まな板の上にレンから渡された野菜を置き、切っていく。んー。手伝ってくれる人が居るっていうのは、本当に助かるなあ。……なんてしみじみと考えていた時、レンが「マスター」とを呼んだ。 ん、と返事をする。彼は怪訝そうな様子で、に野菜を手渡した。そのあと、水道の蛇口をもう一度捻り、水を止める。 「マスター、水が温水に……」 「うん」 「何で……」 「寒いから」 レンが納得いかない様子で首を傾げる。そりゃあそうですよね。前に言っていたもんね、温度は感じるけれど別に寒い、とか暑い、とかは思わないって。でもさ、うん、が気になる。 レンが「おれは──」と言葉を続けた。 「前にも言ったように、温度の差は感じ取りますが、別に暑い、や寒い、なんて思いません。温水にするためには、ガスを使うわけですから、お金が」 「レン」 名前を呼ぶ。すると彼は言葉を止めた。 手に持っていた包丁を置き、彼の手を取る。ほのかに温かい。たしか、体温は固定されているんだっけ。 「レンのこと、普通の人みたいに扱っちゃうの、嫌かな」 「……おれはボーカロイドです。人ではありません」 「、レンのこと普通の人だと思っちゃうやー」 爪にはオレンジ色のマニキュアが塗られている。彼の髪の色と同じだ。 「言ったよね。昨日」 「……」 、しつこいんだよ。そう言って笑うと、レンは顔を俯かせた。そっと手を離す。困らせてしまったかな。ごめんね、と心の中で謝罪しつつ、は野菜を切るのを再開した。ちがう、しようとした、っていうのが表現としては合っているのかもしれない。 レンが、の手を取ってそれを阻んだ。野菜に向けていた視線を、彼に向ける。 「レン?」 「おれ、は、──」 何かを言おうとしている。けれど、適切な言葉が見つからないのか、彼はもどかしげに顔をしかめ、「おれは」と言う言葉を繰り返す。 「ん?」 「…………何でも……ありま、せん……」 ともすれば消えてしまいそうな、そんな小さな声で続け、彼は口を閉じる。そのあと、ゆるやかに顔を下に向けた。 うーん。そこで切られると、正直、気になる。でも、訊いたとしても、きっと彼は答えられないのだろう。今さっき、言葉を探しあてられず口を閉ざしたように。 手がすっと離される。それを少々名残惜しく感じつつ、「そっか」と言葉を発し、は野菜を切り始めた。 とんとん、と言う規則的な音が響く。レンは俯いた顔をあげず、何の言葉も発しない。それにほんの少しだけ苦笑をこぼし、は言葉を発した。 「レンの手、綺麗だね」 「──え」 「爪の色とか、マニキュアだよね。似合ってる」 「……あ、爪は、リンが」 してくれました、とレンは言葉を続ける。そうなのか。だとしたらリンすごく上手なんだなあ。ムラなく綺麗に塗るのって難しいし。 もしてもらいたいなあリンやってくれないかな、なんてポツリと呟く。すると、服に張力を感じた。視線をめぐらせると、レンの手が控えめにの服を引っ張っているのが見えた。 「どうしたの?」 「塗るときは」 かすかに掠れていた。声が。レンは顔を上げ、頬を僅かに紅潮させながら、言葉を続ける。 「おれにやらせてくれますか」 思いもよらない言葉に、文字通り言葉を無くす。え。それは、どういう。 レンはちょっとだけ力を強めての服を再度引っ張った。 「へ、下手かもしれません、けれど──」 おれが、マスターに塗りたいです。 そう言葉をつづけて、レンは服から手を離した。 そこまでマニキュア塗りたいのか。の手に。どうしてだ。心の中で首を傾げつつ、それでもなぜか感じる嬉しさに頬をほころばせつつ、「うん、じゃあレンにお願いしようかな」と言葉を返す。するとレンは、の笑みに答えるように花のつぼみが開くような、優しげな微笑を浮かべた。 「──ありがとうございます。絶対、絶対に、上手にします」 「あはは。うん、ありがとう」 そう言って、レンの頭を撫でる。彼は頬を紅潮させたまま、「いつ」と言葉を続けた。 「いつ、しますか」 「え。あ、……そうだなあ、いつでも良いよ、レンが暇な時に」 そう言うと、間髪入れずに「じゃあ、今日──」と、レンが言う。今日、ですか……。なんというせっかちさん。 明日じゃダメなの、と問いかけそうになって、しかしそれを喉のあたりで押しとどめる。せっかく彼が提案してくれたのだ。それを無碍にすることはしたくない。 「じゃあ、よろしく頼むね」 「はい」 僅かに声が弾んでいたように感じたのは、気のせいかもしれない。 そのあと、夕御飯を作り、食べ終えた。 そうして布団を敷き、さあ寝る準備万端、と言った所でソファーに座り込み、「じゃあ、レン、今、良いかな」と言う。するとレンはダンボール──来たときから部屋の隅に置いてある──に体を突っ込み、オレンジ色のマニキュアを取り出して、足早に近寄って来た。の横に座り、マニキュアのふたを開ける。 そのあと、おずおずとの手を取り、塗り始めた。 なんていうか、やっぱり慣れていないからなのか、ところどころはみ出している。皮膚に。両手の爪に全部塗ってもらって、乾くまでの時間を待つ。 はやく乾かないかな、なんてひらひらと手を振っていると、小さく、「すみません……」と呟くのが聞こえた。見ると、レンが顔を俯かせている。 それに苦笑をもらしつつ、「そんな、気にすること無いよ」と言葉を返す。彼は恐る恐ると言った様子で顔を上げ、と視線を交わせた。 「レン、ありがとう」 「……マスター」 嬉しいし、レンが頑張ってくれたんだから、それだけで幸せだよ。そう続けると、レンは「マスター」ともう一度呟き、言葉を続けた。 「おれ、もっと練習しますね」 マニキュアの練習……どうやるのだろう、という事は言わずに笑みを浮かべる。乾いただろうか。爪を見つめる。光を反射して、わずかに光るそれはとても綺麗だ。レン、と彼の名前を呼び、手を取る。そのあと、手の平を重ね合わせた。 「お揃いだね」 爪の色。──言葉には出さずとも、彼は意味を感じ取ってはいるだろう。レンは小さく息を吐くと、「……はい、お揃いです」と微かに微笑んだ。 色がお揃いと言ったらリンともお揃いだ。明日、彼女はの爪を見て、なんというのだろうか。 きっと、「マスターの爪の色、わたしと同じですね!」と言う──だろう。嬉しそうに、とても嬉しそうに。安易に想像できる。小さく笑みをこぼすと、レンが重ねた手を絡めてきた。 「おれ、──多分、嬉しい、です」 多分、と言うのは、彼がまだその感情のことをよく分かっていないから来る言葉なのだろう。彼は柔らかな色の唇を動かし、言葉を発した。 「マスターと居ると、嬉しいです」 断言。レンは瞳をあげ、を見つめた。その瞳に、尋ねるような色がある。はふと、笑みをこぼし、レンと絡めた手に力を入れ、答えた。 「も、レンと居ると嬉しいな」 そう言うと、彼は「お揃いですね」と言ってもう片方の手でそっとの胸に触れた。ちょうど、心臓があるところを、彼は軽く指先で押し、嬉しそうに笑う。 何がお揃いなのだろうか。軽く首を傾げると、レンはの手と絡めた自身のそれを離し、彼の胸のあたりに当てた。 「おれと、マスターの──気持ち、が」 はにかむように頬を染める。それに多少、何故か胸が痛くなるのを感じつつ、はレンがしているように、彼の胸に手を当てて、笑った。 「そうだね、お揃いだ」 彼の胸からは、鼓動の音はしなかった。けれども、優しい温かさが服を通して、じんわりとの手に沁み込んできた。 →続く リーダークライスop24 2008/03/21 |