きっと、嘘 10 「今日は夜空綺麗だよー」 「……で?」 いつものようにパソコンをつけ、片肘をつきながら言葉を漏らす。するとレンがデスクトップ中央に立ったまま肩をすくませ、それがどうかしたの、とでも言うような声音で呟いた。で? って……ひどい。 「別にそれがどうしたってわけでもないけれど、ちょっと、うん、報告」 苦笑を浮かべて返すと、レンが一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた。しかし、彼はそれをすぐに打ち消して、微笑みを浮かべると座り込み、首をかしげた。 「どんな色、夜空って」 淡い色合いの唇から紡ぎだされたのは、問いかけだった。色、そうだなあ、色……。黒としか答えようがない。一通り考えてみるものの、それ以外に適切な形容を表す言葉が見つからない。 少しだけ間をおき、は言葉を発した。 「黒色だよ」 「黒。で、黒のどこが綺麗なわけ」 至極不思議そうに問いかけられた。そうだよねえ、それだけじゃわけわからないよね。心の中で苦笑を零す。それから手のひらをひらひらと振って、口を開いた。 「黒だけじゃないんだよ。星が見えるから」 「星? それって、どういうの」 ど、どういうのって……。何と答えれば良いのだろう。思わず頬を引くつかせてしまう。レンはそんなの様子を見てか、困ったように眉尻を下げ、「オレ、変なことを訊いた?」と恐る恐る問いかけてきた。いや、別に変なことではないけれど……。星、星の形容……。難しいなあ……。色くらいなら形容できるものの、形とかになると上手に言うことが出来ない。んー、と小さく唸ってから、せめて色だけでも伝えようかなー、という結論を導き出す。 だとしたら、色。黄色、と答えれば良いのだろうか。そう考えて、そのまま口にする。すると、レンは軽く眉をひそめて、小さくため息を吐いた。肩をすくめて、やれやれとでも言ったように首を振る。それから、不機嫌そうな声音で言葉を紡いだ。 「そういう、黄色とかじゃなくてさ……身近なものに例えてよ」 「身近なものに?」 「そう。あるだろ、黄色のもの。オレにもわかるようなもので例えてくれよな」 黄色のもの。と言えばすぐに思いつくのはバナナとか、そういう系統の色だろうか。でも、あれはなんだか違うような。考えるような仕草を取る。黄色……身近なもので黄色、かあ……。んー。 少しだけ考えて、はレンへと視線を向ける。目に飛び込んでくるのは、やはり、彼の髪の色だ。 満月のような、ひまわりのような──そんな美しい黄色。強いて言えばこれに似ているのかもしれない。首をかしげながら、言葉を発する。 「レンの髪の毛の色に似てる、かなあ」 「……そ、そう、そうなんだ……」 「うん」 まあ他にもっと似ているものはあるだろうけれど……。レンが頬を軽く染めて喜んでいるようだし、別に否定をする気にはなれない。彼の頬が柔らかく緩むのを見ながら、も微かに頬を弛緩させた。 レンは嬉しそうに少しだけ微笑んだ後、瞳を揺らしてを見た。唇が震えて言葉を紡ぎだす。 「その、色……好き?」 「え、ああ、うん、好きかもね」 「なんだよその曖昧な答え方……、別に、良いけれどさ」 唐突に発せられた問いに対して答えを返す。するとレンは不満そうに頬を軽く膨らませて、から視線を逸らした。わずかに瞳を下へと向け、つまらなさそうに唇を尖らせた後、少しの間を置いて、震えた言葉を発した。 「で、でも──」 「うん?」 彼の瞳が上を向く。視線が合うと、すぐに逸らされた。 「嫌いじゃ、無い……だろ」 語尾をやや上げ調子に問いかけられた。まあ、嫌いではないかな。頷く。するとレンはとたんに喜色で表情を彩った。けれど、恥ずかしいのか、それとも──まあ、よくはわからないものの、すぐにその表情を打ち消した。それから、いつもの意地を張ったような、そんな彼らしい表情を浮かべて、少しだけはずんだ声音で言葉を発する。 「その、べ、別に嬉しいっていうか、そんなわけじゃないし、勘違いするなよ!」 「うん」 「……」 素直に頷くと、レンが恨みがましい視線を向けてきた。瞳が何かを物語っているような気がしないでもないけれど、読みとれない。首を傾げると、彼は一瞬だけ逡巡した様子を見せて、頬をりんごのように赤く染めた。弱弱しい声音で呟く。 「嘘。……勘違い、して、良いよ……」 「そう? じゃあ勘違いしようかな」 「……うん」 控え目に発せられた言葉に多少ながら笑みを零しつつ言葉を返すと、レンはますます頬を赤くしながら頷いた。なんというか、可愛いなあ。その言葉をそのまま口にする。すると、彼は怒ったような表情を浮かべた。顔をしかめ、「可愛いって……」と呟くように言葉を発し、唇を尖らせる。あれ、拗ねた。なんでだ。かわいいっていうのがダメだったのか。それなら、 「じゃあ、レンはかっこいいよ、かっこいい」 「……じゃあ、って言うのが気になるけれど、一応、その……その」 レンの言葉が止まる。彼は細く息を吐くと、それに乗せるような小さな声音で言葉を紡いだ。 「ありがと」 「どーいたしましてー」 「うん。……ありがとう」 ひらひらと手を振って軽く返事をしたのに対して、彼は真摯な表情で頷いた。……こう、真面目な反応を返されると、なんだか軽く返事をした自分のバツが悪くなってくる。 そっと溜息を零すと、それに過敏に反応したレンが首をかしげた。モニタへと寄ってきて、壊れものに触れるようにモニタへと手のひらをつけた。 「どうかした」 問いかけるような調子を孕んだ声音に対して、ううん、と首を振って返す。レンはかすかに疑問を色に映した瞳でを見つめ、モニタから手を離した。拳を形づくり、再度モニタへと軽くぶつける。 「なんか、疲れている? もしかして」 「え、いや、そんなことは……」 「ううん、疲れているよ、きっと。なあ、もう寝たら?」 別に疲れているという感じはしないんだけれどなあ。軽く首を傾げると、レンが優しさを片鱗に忍ばせた柔らかな声音で続けた。 「ほら、寝なよ。疲れているって、きっと」 「……疲れてないと思うんだけれどなあ」 「本人が気づいてないだけだろ。第一、ずっとマスターを見ていたオレが言うんだから──」 彼は呆れたような口調で言葉をつづけて、途中で急に言葉を止めた。頬を染め上げるように赤くし、口をパクパクと動かす。なんでそんな挙動をするのか不思議に思っていたら、彼はドモりながら言葉を発した。 「と、ともかく、寝ろって」 「大丈夫だと思うんだけれどね……」 苦笑を浮かべて、肩をすくめる。そのあと、マウスから手を離して指先をモニタ上のレンの居る場所へとくっつける。軽く叩いた。最近モニタ叩いてばっかりだなあ。精密機器だから壊れないと良いのだけれど。 心の中でほんの少しだけ危惧をしつつ、は言葉を発した。 「まあ、じゃあ後でしっかりと眠るにして、今はレンと話したいなあ」 「……」 ふざけるな、早く寝ろ──きっとそういうような言葉が来ると思っていたのだけれど、彼は何も言わずに俯いた。ゆるゆると首を振り、「何で」と呟く。何で、って、何が。と言いかけようとして、けれど言葉を喉の奥で止める。 レンは震えた声音で言葉をつづる。 「……オレと話すより、の体の方が大事だよ」 「大丈夫だって。きっと。というか寝るよりレンと話してた方が楽しいし」 「……」 言葉が止まる。レンが掠れた吐息と、それから弱弱しい声で言葉を呟くのが耳朶を打った。 「オレ、おかしいかも」 「何が?」 問いかけると、彼の顔がゆるやかに上がった。困ったような笑みが顔に広がっている。 「なんか、駄目だ……」 「……何が」 「その、うん、オレだってと話すの、……大好きだよ。楽しいし、嬉しいし、幸せだし。でもさ、やっぱりオレ、……ううん、あの、オレ、寝てほしいけれど、それと同じくらい──」 レンの瞳がを一心に見つめる。翡翠が揺らぎ、やわらかな色が頬を染めた。彼は唇を結び、それから居心地悪そうな様子を見せ──、微笑んだ。 「──傍に居たいな」 「そっか」 もだよ、と答えようとしてなぜか言葉が止まった。喉の奥から、それが声となってあらわれようとしない。なぜかはよくわからない。は小さく吐息を零し、仕方なく簡素な返答をする。それでもレンは嬉しく思ったのか、幸せそうにほほ笑んだ。 それにつられても頬を緩ませながら、ふと頭に過ぎった言葉を口に出した。 「レン、星、見たい?」 「え……」 に問いかけに、レンは少しだけ唖然としたような声を出した。考えるような仕草を見せ、それから苦笑を浮かべる。肩をすくめて見せて、素っ気なく呟いた。 「別に、いいよ」 「そう?」 語尾を上げ調子に言葉を漏らすと、レンは苦いものを表情へとにじませた。それから、小さく息を吐き、鋭い目つきでを見つめる。緑の中に隠れた青がゆらゆらと揺れる。 別にいい、かあ。星すごく綺麗だよ、なんて言って首を傾げる。するとレンは居心地悪そうに胸の前で手を動かし、視線を下げた。沈黙があたりを包む。何をすることもないので、画面をぼんやりと眺めていると、彼が恥ずかしそうにの名前を呼んだ。ん、と返事をして、視線をあわせる。 レンは頬を柔らかな色に染めて、口を開いた。 「いつか、一緒に、見たいから……」 「うん?」 一緒に見たい? え、それはどういう──。何も言えずにいると、レンは胸の前で組んだり離したりを繰り返していた手で服の裾をしっかりと握り、顔をあげる。鋭い視線がへと向かってきた。──彼は声を上ずらせながら、言葉を紡ぐ。 「一緒に、見たいんだ」 「うん。だから、星の画像を検索して……」 「違う、そういうのじゃない」 疑問を声に秘める。一緒に見るって、そういうことじゃないのか。違うとしたら、どういう意味なのだろう。 の返した言葉にレンは頭をゆるく振り、切なさで彩った表情を浮かべた。瞳が微かに水の膜を張ったかのように、うるんでいる。 レンは小さな吐息を零すと、もう一度頭を横に振った。否定の意が強調される。彼はモニタへと手をぺたりとくっつけ、悲しげな声で言葉をつづった。 「── 一緒に、見たいんだ。わかってよ、一緒に……一緒に、見たいんだ」 悲しみがにじんでいる声音、けれどしっかりと紡がれた言葉には何かしらの決意が秘められているように感じた。一緒に、かあ。画像ではなく、一緒に。言葉を発せずにいると、レンが「あのさ」と言葉をあふれさせた。 「虹の根元へ行こうよ、星も一緒に見よう。それに、一緒にお菓子だって食べたい」 せきを切ったように溢れだした言葉、なのだろうか。レンは必死な表情で言葉を紡いでいく。全て、きっと彼の──切実な願い、なのだろう。 「ねえ、本当はこんなの──、モニタ越しじゃなくて、本当に、そばで、目の前で──」 レンの表情が歪む。泣きだす前、そんな風な表情を浮かべたそれは、どうしてか酷く胸を痛ませた。彼は言葉を止め、モニタから手を離す。それからゆるゆると顔を下へと向けた。 彼の願望、つまりはと虹の根元に行くこと、それに星を一緒に見ること、お菓子を食べること。それらは全て、きっと、というより絶対に叶わない願いだろう。何をしても、どうしようとも、絶対に。 そっと溜息を零す。俯いてしまったレンに、何を言えば良いのかわからない。 ただ、どうしてだろう、彼の肩が震えているように見えた。辛い悲しみを一身に背負っているように見えた。その悲しみを少しでも一緒に背負ってあげたい。出来るなら、背中を撫でて、抱きしめてあげたい。そうは思うものの、実行にはうつせない。うつすことは出来ない。 なんとなく、マウスを握る。これのクリックが、彼を傷つけるためだけではなく、撫でてあげることが出来て、良かった。細く息を吐いて、彼の肩を撫でた。レンが小さくしゃくりのような声を上げた。 「一緒に行けたら良いのにね」 返事の声が返ってこない。でも、別にそれでも良いと思う。は構わずに続けた。 「虹かー。じゃあ雨上がりになったらすぐに外に出なきゃね。それと、星……、そうだね、頑張って綺麗に見れるところ、探しておくよ。あと、お菓子。の一番好きなお菓子、買ってくるから、一緒に食べようね」 マウスから手を離し、笑う。レンの返答を待つけれど、彼はいつまでたっても何も言わなかった。んー、言葉の選び方、悪かったかなあ。気付かれないように苦笑を零して、は彼を見つめた。 彼は震えた息を吐き出し、腕で盛大に顔を拭った。それから、顔を上げてを強く見据える。 「ほ、本気で出来ると思ってるのかよっ」 荒々しい語調だった。怒っているのかと思ったけれど、たぶん、違うのだろう。レンはますます語調を荒くしながらも、わずかに掠れた声音で続ける。 「虹とか、星とか、お菓子だって、全部、全部出来るとでも──」 「出来るんじゃない?」 言葉を遮るようにして声を出す。とたん、レンは黙り込む。なんだか場の雰囲気が重くなったような。なんとかしなければ、なんて思ってはある歌の一節を口にした。ミクを知っている人なら大体誰でも知っている、よく他のボカロの替え歌にされている、一節。科学の限界を超えて、という言葉が入った歌詞。 一節を歌いきると、レンが盛大に顔をしかめてを睨みつけた。怖いなあ、なんて思いつつ、口を開いた。 「科学の限界をこえてやってくること、出来るかもね」 「……」 「そんな日が来ることだって、あるかもしれないじゃん」 笑ってそういうものの、頭のどこかでは完璧に理解している。嘘、無理に決まっていることだと。完全にありえない、砂上の楼閣のようなものをは発している。科学の限界をこえてやってくるには、あまりにも障害が多すぎるだろう。にはよくわからないけれど、次元的な違いもあるだろうし、第一、とレンは違う。根本的に。 ただ、そう言えば彼の表情から悲しみを取り去る事が出来るかも、なんて思ったのだ。 レンが逡巡するような様子を見せる。きっと、彼だってわかっているだろう。そんなこと無理だって。 彼の寂しさを取り去るつもりが、逆に彼のおもしを増やしていることになったらどうしよう、なんて考えて苦笑を浮かべると同時に、震えた声音がスピーカーから零れてきた。 「約束、してよ」 「……なんの?」 「オレと一緒に虹を見たり、星を見たり、お菓子食べたりすること。……約束してよ」 切実な瞳と視線が交わる。はそっと頬を緩ませて頷いた。すると、レンは小指の先をモニタへとくっつけ、ん、と小さく呟いた。ん? ん、なになのだろう。首を傾げると、怒ったような表情と声で急かされた。え、なに、なんなの。 困ったように笑みを浮かべると同時に、レンの不機嫌な声音が耳朶をついた。 「指きり、してよ」 「指きり?」 「うん。指を組ませることは出来ないから、くっつけてよ」 指の先。そう続けてレンはじっとを見つめた。その様子に少しだけ苦笑を浮かべる。指きりかー、いつ以来だろう。そんなことを考えながら小指の先をレンの指先へとくっつけた。モニタがわずかに発熱しているせいか、あたたかい。 レンが音頭を取り、の良く知った指きりの時特有のメロディを奏で出す。それを歌い終えると、彼は笑った。嬉しそうに、心底幸せそうな色をにじませて。 「約束だよ」 「もちろん」 頷くと、彼は少しだけ寂しげな色を表情に乗せ、それでも微笑みながらもう一度、つぶやいた。 「約束だからな」 →続く 2008/06/07 |