きっと、嘘 13

 今日も今日とてパソコンをつけた。何かを読み込む音が響く。それに続いて、モニタの電源をつける。ぶうん、と変な音を出してモニタに光が灯った。少しして、モニタ上にデスクトップが表示される。まだパソコンが読み込みをしているというのに、レンが右横から歩いてきた。
 デスクトップの中央まで歩を進め、をうかがうように見ると、直ぐに視線を逸らす。彼は身体を正面に向け、居心地が悪そうにネクタイや服の裾を弄っていた。少しして、吐息を吐き出す。僅かに震えが走った吐息だった。彼は顔をほんの少し俯かせると、やはり居心地が悪そうに視線をへと向けたり他の場所へと向けたり──、なんていうか。


「挙動不審だね。どうかした」


 片肘をつき、手をひらひらと振りながら発した言葉にレンが勢い良く反応する。彼は素早く顔を上げると、僅かに瞳を揺らしてを見た。その後、憎憎しげに溜息を落とし、肩を落とす。服の裾を握り締めるように持ち、鋭くを睨みつける。気丈な表情と仕草を取り、彼は口を開いた。


「挙動不審って。なんか、酷くない」


 何故か、彼の声は所々震えていた。どうかしたのか、なんて思う。首を傾げると、彼は肩をすくめて見せた。それから、困ったような笑みを浮かべ、直ぐに打ち消す。頭を勢い良く振ったかと思うと、雨粒が屋根を伝って落ちるような、そんな弱弱しい声音を出した。


「……あのさ」
「んー」


 パソコンは依然と読み込みを続けていて、なんとなく、かりかりと言う音に気が取られる。レンから視線を外し、パソコン本体へと移してから、下げた。足元が見える。彼が何も言わないので、としても何を言うことも出来ず、しょうがないので足の指を動かして遊んでいたら、耳朶を緩やかな音が打った。


「あの、さ……。あの、……」


 色々な感情で濡れた声で紡がれた言葉に、思わず首を傾げてしまう。下げていた視線を上げ、彼の瞳を見た。新緑が揺れ、を見る。彼は泣きそうな表情を浮かべた後、やっぱりいい、と先ほどよりも小さな声音で続け、微笑を浮かべる。
 何がいいのだろう。気になるものの、彼の表情と声は追求を許さないもので、というより追求したら泣いてしまいそうな、そんな感情を秘めていたので、何も言うことができなかった。
 わずかに重い雰囲気が辺りを包む。は小さく息を吐くと、頭に浮かんだ言葉をぽつりと零した。


「レンにはさ、猫耳もいいけれど女装も似合うと思うんですよ」
「……は、はあ?」
「メイド良いよね、うん。っていうかさ、袖触りたい袖、もふもふさせてー」


 レンに見えるように手をわきわきと動かす。彼はとたんに頬を赤くして身体を抱きすくめると、どもりながらも叫ぶように言葉を発した。


「へ、変態!」


 変態で結構です。しまりの無い笑みを浮かべ、それが何か、と問い掛けると彼は驚いたような表情を浮かべ、ついで、力が抜けたようにその場に座り込んだ。
 頬を薄紅色に染め、を鋭く睨むように見据える。彼の唇が怒りのせいか震え、語調が荒々しくなった。


「変態って言葉に何も感じないのかよ!」
「うん。もういいよ変態で。だから袖を触らせてください」


 こっくりと頷いて返すと、がくぜんとした表情を浮かべられた。レンの頭の中を占めている思いを、推量するのはたやすいだろう。頭の中で考えをめぐらせて、苦笑を浮かべる。多分、変態なり、駄目だこいつ早く何とかしないと……なり、なんなり考えているのだろうなあ。
 まあ、そう思われてもしょうがない言葉を口走ってしまったのは確かだし、今更訂正する気も起きないので、ほったらかして置く。

 レンは小さく息を吐くと、ゆるゆると視線を下げた。淡い色合いの唇が動き、袖、と単語を紡ぎだす。彼は思索するような様子を見せた後、目蓋を閉じた。肩を落とす。挙動にそって、金糸のような髪の毛がさらりと動いた。彼の髪の毛は、それ自体がほのかに発光しているかのような、そんな輝きを湛えている。触りたいなあ、なんて思って苦笑を零した。そんなこと、出来るわけが無い。
同時に、レンが顔を上げた。頬が真っ赤だ。彼は水に濡れた瞳でを見つめると、小さく、掠れた声で呟くように言葉を発した。


「袖、だけで良いの」


 問い掛けるような口調の言葉に、首を傾げてしまう。レンは頬の火照りを取り払うこともせず、そのまま続けた。感情に揺れる声音が言葉を紡ぎだす。


「袖に触れるだけで……、良いの?」


 しっかりとした問いかけだった。袖に触れるだけで良いの? って。これはもしかしなくても。茶化すように笑みを浮かべ、手をひらひらと振る。


「フラグー? そうだね、じゃあ髪の毛、触れたいなー」
「うん。良いよ」


 言葉を弾ませたというのに、返答はまっすぐに、真険なものだった。声が強い意思を秘めている。瞳と視線が合う。捕らわれたように外すことが出来なかった。
 え。や、あの、え? 頭の中で色々な言葉が思い浮かんでは、まるで水泡のように弾け、消えていく。
 二の句が続けられずに居ると、レンがほんの少しだけ恥ずかしそうな様子を見せ、口元に手を置いた。彼はからついと視線を逸らすと、逡巡するように周囲へと巡らせる。かすれたような声音が、スピーカーから漏れてきた。


「──あの、さ。だから……、その、オレ、も、触れたいな」


 レンはそこまで言い切り、もう一度と視線を合わせた。瞳には焦りが浮かんでいるのが見て取れた。彼は同様に焦りを隠さずに言葉に出す。


「ふ、触れても良い? 傍に居たいんだ、手を繋いで、ずっと」


 触れても良い、かあ。きっと、というより虹の根元へ行こう、という約束と同様に叶うことの無いものだ。叶うことが無い、絶対に有り得ない。だというのにレンは嬉しそうに言葉を弾ませる。彼の唯一の楽しみ、なのだろうか。良くはわからないものの、凄くいきいきとしているのはわかる。
 頷くと、レンはますます嬉しそうに笑みを浮かべた。それから、その場に立ちあがり指先をへと突きつける。


「虹の根元行って、星を見て、お菓子を食べて、手を繋ぐ──全部、約束だからな!」
「わかったよ。忘れないようにしないとね」
「そうだよ! 日記とか、メモとかに書いておけよ! 忘れたら、絶対、絶対に怒るからな! 例え相手がだとしても!」


 今度は何をしたって許さないからな──。──レンはそう続けると、はにかむような笑みを浮かべた。日記、日記ねえ。なんとなく笑みを浮かべながら、は言葉を紡いだ。


「レンってさ、日記とか書いてるー?」
「へ? え、な、何……急に」


 なんとなく。そう返すと、レンは驚いたような表情を浮かべた。
 そう、なんとなくだ。本当に。日記って聞いたら、夏休みの宿題とかが思い浮かんで、そういえばレンくらいの年頃の時にはそういう日記の宿題が出ていたっけ、なんて思ったら、不意に口をついて出てきたのだ。言葉が。
 まあ、ボーカロイドが日記なんて書いているわけがないか。そっと苦笑を零し、うそー、と言葉を紡ごうとする。けれど、それはレンの声によって遮られた。


「書いてる、よ」
「ええ! 嘘。本当にー?」
「本当だよ。嘘はつかない」


 ……本気で驚いてしまった。思わず問いかけ返してしまった言葉に、彼は平然と答えると、何故か嬉しそうに胸を張った。え、や、あの。字をかけるんですね……。なんとなく失礼な言葉が頭の中に思い浮かんでしまった。っていうか、え。本気で、何で。
 唖然としたまま言葉を紡げないで居ると、レンは勝ち誇ったような笑みを浮かべ、モニタから少し離れて、へと指先をつきつける。


にインストールされた日から、ずっと書いているんだ。凄いだろ!」
「あー、うん、律儀って言うか……凄いね。でもさー、一日くらいはこう、書かない日とか、あるでしょ?」


 手をひらひらと振って返すと、レンは不機嫌を表情に表し、をねめつけた。鋭い視線に思わず気圧される。すぐに彼はついと視線をそらし、拗ねたように唇を尖らせると、そりゃまあそうだけれど、と一人言のように呟く。それから、でも、と続けと視線を合わせた。翡翠が揺れる。彼は何かの言葉を待ち望むかのように、そわそわとした様子を見せる。
 何を望んでいるのかわからないまま、が言葉を紡がないで居ると、レンは鼻から息を漏らし、眉をひそめた。僅かな苛立ちが見て取れる。

 何を言って欲しいのか、言って──というより、行動で示してくれないと、としても何を言えばいいのかがわからない。しょうがないので、なんとなく思いついた言葉を口にした。


「日記、見たいなー」
「な! や、やだよ」


 レンは顔の前で激しく手を振り、拒絶の意を示した。そんなに嫌かー、なんて考えて、嫌に決まってるか、という結論に陥る。日記にはきっと、レンの色々な思いや悩みが綴られているのだろう。そう考えると、ほんの少し見たい気もするけれど、嫌がっているのをどうにかして見ようとするまで、は悪趣味ではない。
 そっか、と吐息を零すように言うと、レンがほんの少しだけ寂しげな表情を浮かべた。あれ。もう少し押したら、もしかしなくても見せてくれたのかな。なんとなく後悔してしまう。困惑を表情に載せつつ笑みを浮かべると、彼の小さな声が耳を打った。


のことは、書いて、ない、からな!」
「……わかりやすいなー」


 聞いてもいないのに、自分から秘密を暴露してしまうのはレンの性分なのだろうか。のことを書いていない。そんなことを言うのは、書いているときだけ、だろう。
 思わず頬を弛緩させてしまうと、レンが焦ったように言葉を紡いだ。


「か、書いてないから! 本当に!」
「そっかー。悲しいなあ、泣いちゃうかも」


 笑みを浮かべながらそう言っても、全く効果は無いだろう。レンは嘘を吐け、とでも言うように鼻で笑うと、もう一度、言い含めるようにモニタを指先で突付きながら口を開く。


「本当だよ。書いていない、書いてない!」
「そこまで言わなくても良いよ、わかっているって。書いていないんでしょ、のこと」
「……う、うん……」


 苦笑を浮かべながら言葉を紡ぐと、レンはやはりほんの少しだけ残念そうに頷いた。あれ、追求した方が良かったのかな。心の中でそんなことを考えつつ、マウスから手を離して指先でモニタをつつく。
 レンの視線が指先へと移り、それからへと向かう。それから彼は軽く首を傾げると、問い掛けるようにの名前を呼んだ。返事はせずに、モニタから指先を離す。


「じゃあ、そろそろ寝ようかなー」


 時計を見ると、そろそろ良い時間だった。今日はインターネットも開かなかったし、レンと話すだけで時間が過ぎていったような気がする。レンと話すためだけにパソコンをつけた、なんてなんだか……おかしい。苦笑を浮かべてスタートボタンへとカーソルを走らせた所で、耳へと儚げな声が響いてきた。

 例えるなら、友達と別れる際に手を振られるような、別れる際に服を軽く引っ張られるような、そんな控えめで──けれどもしっかりと、別れたくないという意志が秘められた、声音。
 レンはそんな声音を出して、の名前を呼んだ。

 思わずマウスを動かす手を止めてしまう。レンは胸の前で手を組むと、何かを言い難そうに唇を動かした後、そっと息を零した。淡い唇から漏れる、切なげな吐息。彼は思案するように視線を巡らせると、ゆるゆると俯き──直ぐに顔を上げた。緑と青が混ざり合ったような色の瞳がゆらゆらと揺れ、鮮やかな虹彩を描き出す。彼は唇を震わせた。


「傍に、居たい……まだ喋りたいよ……」


 弱弱しく、その上掠れていた声だった。レンは言葉を続ける。


「傍に、居てよ……まだ、喋ろうよ」


 切なげな色をにじませて紡がれた言葉に、なんとなく言葉を返せなかった。居心地の悪い雰囲気が周りを包む。軽く頬を掻いて、は言葉を発した。


「それは……」


 どういう意味、と問いかけそうになって、レンの表情が目に入った。彼は泣きそうな表情を浮かべていた。咄嗟に、言いかけていた言葉を喉の奥へと押し込む。それから小さく息を吐き、当り障りの無い言葉を続けた。


「……寂しい、の?」


 問いかけに対し、レンはゆるく頭を振った。それから小さな溜息のような吐息を落とす。彼は無理やり笑って見せ、寂しくない、と言葉に出した。ただ、それが嘘なのは明白だった。唇は震えているし、髪の毛同様暖かな色合いの睫毛が、頬に影を落としながら、やはりかすかに震えていた。頬はほんの少しだけ白く、白磁のようだと、頭の隅っこで考える。


「寂しくないんだ、本当だよ」


 無言に耐えかねたのか、レンが早口に言葉を紡ぎ、やはり泣き出しそうな笑みを浮かべた。まなじりが赤くなっているように見えるのは、の錯覚かもしれない。
 何を言うことも出来ない。というより、何を言えばいいのだろう。笑い飛ばせばいいのだろうか。そう、寂しくないんだ、なら大丈夫だよね──、そう言えば、良いのだろうか。
 色々な打算を頭の中で巡らせる。そうこうしている内にもレンの表情は歪んでいく。泣いてしまう? 心の中でそう思うと同時に、彼の拳がモニタを打った。頭の淵へと沈みかけていた思考を戻し、レンを見つめる。彼は安心させるように──先ほどのような儚さを滲ませた笑みではなく、安心させるような笑みを口唇の端に乗せると、ちゃかすように言葉を発した。


「なんとなく、思っただけ。話して居たいなんて、そんな──」


 彼の瞳が気遣わしげに動く。


「──を困らせるようなことを、言うつもりは無かったのに……」


 困っては居ない。ただ、なんとなく──返答することが出来なかったというだけで。
 小さく息を零すと、レンの肩がびくりと震えた。彼はうかがうようにへと視線を這わせると、怒っている、とでも言うように瞳に疑問の色を宿らせた。
 怒っていない。手を振って返すと、レンは安心したように息を大きく吐いた。弱弱しい、普段の彼からはおおよそ考えもつかない様子で、彼は微笑む。儚さと、悲しみで色を染めたような、そんな笑みを浮かべるのだ。
 そんな様子を見ていたら、何となく思いついた言葉が口から出てきていた。


「──明日は休日じゃないんだよ」
「……え?」
「いっぱい話すのなら、次の日が休日の日にしよう。それなら夜遅くまで起きていられるし」
「え、それって、、まさか……」


 レンの瞳が強く輝く。彼の考えているとおりだろう。頷くと、レンはモニタに打ち付けていた拳を開き、手のひらをぺたりとくっつけた。嬉しそうに、とても幸せそうな笑みを浮かべる。
 レンは言葉の続きを急かすように、の名前を早口に呼ぶと、目をらんらんと輝かせて頷く。先ほどまでの弱気が嘘のような仕草に、なんとなく笑ってしまった。それに何かを感じ取ったのだろうか。彼は一瞬にして拗ねたような表情を浮かべると、何で笑うわけ、と愚痴を言うように言葉に若干の苛立ちと不安を混ぜての名前をもう一度呼んだ。それに苦笑を返し、は言葉の続きを口にする。


「だから、今度、遅くまで話そうか」
「──、う、うん!」


 レンがぱっと花が開くような笑みを浮かべる。彼ははにかむように笑みを深くさせていたものの、がつられて笑みを零すと同時に、恥ずかしくなったのか喜びを引っ込めてしまった。代わりにいつもの倣岸な態度を取り、腕を腰にあてると、突き放すような口調で言葉を紡いだ。


「べ、別にオレがその、頼んだわけじゃないし、が言うから、その……!」


 途中まで言葉を紡いで矛盾に気付いたのだろう。レンは頬を真っ赤に染めて俯くと、頬へ手を当てたりして、熱を何処かへと発せようと必死になっていた。その様子が微笑ましい。思わず笑みを深くしてしまう。すると、彼はそれに気付いたのか、むっとしたような表情を浮かべるものの──直ぐに破顔する。彼は声に出してかすかに笑うと、「約束」とだけ呟いた。
 微かに揺れる視線がを捕らえ、ますます笑みを深くする。


「一杯だね。ちゃんと守れよな」
「わかってるよ、ちゃんと守る」


 答える声に気合を入れると、レンの笑みが深くなった。彼は再度、声に出して笑いを零すと、言葉を弾ませた。


「守らなかったら、怒る!」


 レンはきっと、が絶対に守ると信じているのだろう。咎めるような──不安を含んだ調子はなく、どこまでも優しい声音で彼は言葉をしっかりと紡いだ。信じてくれている、それだけでどうしてか胸がぼんやりと温かくなる。はモニタに彼同様拳をそっと打ち付けると、再度笑いをもらした。


「守るよ、絶対に」


続く

名づけて一緒に眠ろうぜ大作戦


2008/06/20 
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