きっと、嘘 05


 又もや夜遅くまで用事があったので、今日はコンビニ弁当を買って家へと帰ってきた。キーボードを押しのけ、コンビニ弁当をパソコンが乗っている机のうえに置く。電源のボタンを押し、ゆるやかに立ち上がるパソコンを眺めながら、はコンビニ弁当に箸をつけはじめた。
 ぶうん、と変な音がしてモニタに色が宿る。デスクトップ。見慣れたアイコンにフォルダが並んでいる中、レンが右横から足取り悪く、歩いてきた。と視線を合わせ、気まずそうに逸らす。
 何事かあったのだろうか。首を捻って考える。思いつくのは昨日のことだった。そっと苦笑を零すと同時に、レンが意を決したような声音で、言葉を紡ぎだす。


「き、昨日の! は、嘘、だから……っ」
「ん、ああ、気にしてないよ」
「……え……」


 ひらひらと箸を持った手を横に振って笑みを浮かべる。すると、レンは拍子が抜けたような表情を浮かべた。そうして、へなへなとその場に座り込む。なんだろう、腰でも抜けたのだろうか。疑問に思うものの、口に出すことはしない。
 レンは座り込んだまま、と視線を合わせると、眉尻を上げた。眉間にしわが寄る。瞳には険の色が宿っていた。


「だったら、なんで、昨日、あんな……!」


 怒ったように紡がれる言葉に、思わず笑いを覚える。心配、してくれたのだろうか。そっと頬を弛緩させると、レンは口を閉ざした。片方の手、その指先でモニタを突付く。固い音が、静寂に響いた。


「ごめん。んー、ちょっとだけ、寂しかったかなー」
「……」


 正直に感想を述べると、彼は悲しそうな表情を浮かべ、黙り込んだ。しゅんと肩を落とした様子が、なんだか可愛い。思わず頭を撫でてあげたくなる。箸を止め、彼の頭の上にカーソルを持っていき、横に水平移動させた。レンが怪訝そうに表情を歪める。
 何をしているの、とでも問い掛けたそうな色を含んだ表情。やっぱわかんないかー。はかすかに息を落とすと、言葉を口にする。


「なでなでですよ」
「な、なでなで?」
「そうそう。レンがなんか気を落としてるみたいだからさ」
「……別に、気なんて、落としてないっ」


 彼は怒ったような表情を浮かべた。次いでカーソルへと視線を向けて、「第一」と言葉を発した。


「撫でるんだったらやり方が違うだろっ」
「そうなの?」


 初耳です。レンは頬を僅かに紅潮させて、言葉の続きを口にした。


「オレの近くでクリックしたまま頭を撫でてくれたら、良いのに」
「ん? ドラッグすれば良いってこと?」


 彼の黄金色が頷く。ふうん。早速試してみることにした。レンの近くでマウスを左クリック。そのまま、彼の頭へと撫でるように優しくカーソルを動かした。
 レンの髪の毛が、カーソルにそってふわりと揺れる。彼は僅かに頬を染めたまま、カーソルの動きを甘受していた。まなじりが赤い。きっと耳も赤くなっているんじゃないだろうか。
 何巡かカーソルを水平移動させ、止めた。気持ち良さそうに目を細めていたレンが、不服そうな表情を浮かべる。


「……元気、出た?」
「……うん」


 控えめに、けれどしっかりと紡がれた言葉に思わず笑みを零してしまう。途端、レンは足を叱咤するように叩き、立ち上がる。腰に手をあて、恥ずかしさを隠すためか不遜な態度を取ると、鼻で笑った。


「べ、べべべ別に嬉しいってことは無いし、正直、撫でられるのはあんま好きなんかじゃないからなっ」
「そうなの?」
「うえ、あ、……うう……」


 首を傾げて答えると、彼は気まずそうな、なんだかよく分からない感情が含まれている声を出し、腰にあてた手を下ろした。を見つめる。緑の瞳が揺れていた。
 嘘に決まってるだろ! ──なんて、その瞳が物語っているようで、知らず笑みが浮かんでくる。なんとなく、いじめたくなった。


「そっか。じゃあ、これからは撫でないね」
「なっ……、あ、うぅ……」
「だって、撫でられるの、嫌なんだもんねえ?」
「……」


 レンの表情が目に見えて沈んでいく。暗い色を宿していく。まつげが頬に落とされ、彼は居心地悪そうに胸の前で手を組ませたり離したりを繰り返していた。
 少しして、頬を真っ赤に染めながらを見つめた。濡れた瞳でを見つめ、切なげな溜息を漏らす。薄い紅色の唇が開き、言葉をかたちづくる。


「──わ、わかってるんだろっ」
「何を」
「うあ、う、……うぅ……」


 意地悪しすぎただろうか。レンの顔は今や羞恥のせいか真っ赤に染まっている。ミルク色の首と対比して、なんだか余計に紅潮が際立っている。
 そっと息を吐き、は再度レンの頭を撫でた。驚いたような表情が彼に浮かび、しかし直ぐに消える。
 レンは恥ずかしそうにそっぽを向いた後、小さく呟いた。


の、意地悪……」
「や、そんなことは無いと思うけれどね」
「……」


 レンの頭からカーソルを離す。彼は名残惜しげにカーソルを見つめた後、と視線を交えた。翡翠の瞳が揺れる。レンは熱を冷ますためか頬に手の甲を当てた後、から視線を下ろした。止まる。何かを見ていることはわかるものの、何を見ているのかはわからない。
 首を傾げつつ、レンの視線の先を追う。彼は首を微かに傾かせた後、呟くように言葉を発した。


「何を食べているんだよ」
「夕飯」


 簡潔に言葉を返す。するとレンは疑問を顔に浮かべて、語尾を上がり調子に問い掛けてきた。


「なんで、此処で……」
「や。今日は遅かったでしょ、帰ってくるの」


 レンが頷く。は箸を再度手に取り、苦笑を零して言葉を発した。


「だから料理する時間が無くて」
「でも、どうして、こんなところで……」
「や、ご飯食べてたらレンと話す時間がなくなるから」


 簡潔に言葉を返して、はご飯を口に運び始める。レンの視線はの買ってきた弁当に釘付けだったものの、少ししてから急に頬を桃色に染めて、口の開閉を忙しく繰り返す。
 彼は恥ずかしそうに口をもにょもにょと動かすと、その場に座り込んだ。体育座り。膝で作られた丘に顎を乗せ、しかめ面を浮かべる。


「……オレと、話したい、の?」


 ぽつりと、ともすれば聞き逃しそうな音量で囁くように紡がれた言葉。口に含んだものを咀嚼し、飲み下してからは口を開いた。


「そうだね。話したいよ。レンと」
「……そっか。オレも、といっぱい話したい」


 恥ずかしそうに紡がれた言葉だった。レンは言葉を言い切ると同時に、頬の桃色をりんごのような色に変え、顔を伏せた。おそらく、というよりは絶対に、恥ずかしがっているのだろう。
 そんな様子に思わず頬がゆるむ。はご飯を口に運び、咀嚼を繰り返し、飲み下す。弁当の半分ぐらい食べ終えた頃、レンがやはり小さな声で、呟くように言葉を紡ぐ。


「オレさ、そろそろ新しい歌を唄いたいな……、新しい曲、書いている?」
「ん……」


 そうだねえ、とかすかに零しては箸を置いた。最近はあんまり暇がなくて、曲を作ることができない。頭を横に振ると、レンは吐息と共にそっか、と漏らした。言葉には僅かに残念そうな気持ちが含まれていた、……ように感じて、なんだかどうしようもなくなった。申し訳ない気持ちが胸を満たす。
 そっと息を肩に落とし、は首を傾げた。


「レン、DTMは動かせる?」
「一応」
「だったら、曲、作っていても良いよ」


 良い案だろう。水が滲むように、表情に笑みを浮かべる。けれど、レンはの笑顔とは対照的に表情にかげを落とし、小さな声で言葉を発した。


「……オリジナルは、作れ、ないよ。既存曲とかは、楽譜があるんだったら作れるけれどさ」
「え。そうなの」
「そうだよ」


 ふうん、と鼻から息を漏らすように言葉を紡ぐと、レンの肩が失望のためか落ちた。思うに、彼にとって唄うことは息をするのと同じくらい当然で必然的なこと、なのだろうと思う。それを奪っちゃ、やっぱいけないよなー。
 心の中でそんなことを思って、顔を頷かせる。箸をもう一度持ち、ご飯を咀嚼しながら考える。
 作るべき、だろうなあ。だとしたら、次はどんな曲を作ろう。バラード、それにポップ、ロック──。演歌とかもありかな。曲を書くのだったら、歌詞についても考えなければならない。まあ、でも、歌詞なんて後からいくらでも書くことが出来るし、最初に曲の主旋律だけでも作ることが先決だろう。

 既存曲の楽譜を与えたら、オケを作ってくれるのだったら、渡すべきだろう。でも、家にあったかなあ。ううん、と心の中で微かに唸りながらも、は食事を終えた。
 ごちそうさまでした、と小さな音量で言葉を発する。レンが伏せていた顔を上げ、を見る。彼の桜色の唇が開き、透明な声音が耳朶を打った。


「そういえば、、誕生日って、いつ」
「誕生日?」
「そう」


 誕生日。記憶の引出しを開けて、直ぐに見つけ出す。日付を声に出して紡ぐと、彼は大げさに驚いた様子を見せた。


「もうすぐじゃん!」
「うん」


 こっくりと頷き、平然として答える。なんでレンがこんなにも驚いているのかがよくわからない。レンは眉をひそめてを見つめると、微かに息を吐いた。少ししてから、立ち上がり、に向かって指先をつきつける。……人は指さしちゃいけなんいですよ、なんて言葉を心の中で紡ぐ。彼は口を開き、言葉を発した。


「……なあ、その日は」
「うん?」
「誰かと、出かけたり、遊んだり、するのかよっ」
「え? いや、どうだろうね」
「……あの、さ」


 レンが何かを言おうとして、しかし言いにくそうに身をよじる。恥ずかしそうに彼は視線をと何処かへと行ったり来たりさせた後、深く息を吐いた。
 すこしして、いつもの、まなじりが僅かに上がった瞳でを見つめ、気位の高い表情を浮かべる。


「絶対、絶対、早く帰ってこいよ!」
「え。なに、なんかしてくれるのー?」
「……っ、絶対、早く! 約束だからな!」


 レンはそう言うと、念を押すように何度か約束、と言う言葉を口にした。それに苦笑を浮かべながら「うん、じゃあ、そうだね。早く帰ってくるね」と言う。彼が何を考えているかはわからないものの、そう言わないときっと念を押されつづける気がした。
 レンがほっとしたような表情を見せる。それを見て、僅かに頬を緩ませながら、は食べた弁当を捨てに行った。ごみ袋に突っ込み、戻ってくる。レンはモニタの真ん中に先ほどのように座りながら、が戻ってくるのを待っていてくれた。パソコン前の椅子に座り、マウスを動かす。インターネットを開いた。レンがモニタのはしっこへと移動して、に背中を向け、座る。
 最近、見ていなかった。はとある動画投稿サイトをお気に入りの中からクリックして、開く。
 パソコンがわずかにじじ、と何かを読む込む音を発する。少しして、投稿サイトが開いた。

 右上にカーソルを持っていって、ランキングをクリックする。総合、マイリスト登録数の多さで順位付けされた動画。それを流すように見ていく。ボーカロイドのオリジナル曲が、今日も上がっていた。結構上位にある。これは期待できるだろう。クリック。又もやパソコンが何かしらを読み込み、画面が開かれた。
 タグには目からネギが、セルフエコノミー動画、作業にならない、等々、誰かが考えて付け足した言葉が並んでいる。にしても、セルフエコノミー動画。ということは、感動ものの曲、なのだろうか。
 動画の読み込みが終わる。曲と、絵が流れ出した。
 曲の途中、はレンを見た。彼は髪の隙間から覗く頬を興奮の為か赤らめながら、動画を真剣に見つめている。同じボーカロイドの曲を聴くことが楽しく、嬉しいのかもしれない。
 想像することは出来るものの、レンの真意を推し量ることは出来ない。そっと息を零し、は動画へと視線を移した。

 なるほど、セルフエコノミーと言われるだけあって、歌詞が秀逸だった。凄く美しい言葉で紡がれる別れの歌。これは良い。作業にならないのもわかる。マイリストへ直行。
 やはり、タグにも銘打たれているだけあって、動画の終盤では、目からネギが、目からアイスが、目からワンカップが、目からロードローラーが、等々、目からほにゃららが、と言うコメントが画面を埋め尽くしていた。便乗して何かを書こうとして、止める。

 動画が終わる。レンが此方を振り向く。表情が疑問に染まっていた。彼は一息零すと、続ける。


「……目からロードローラーが、って、本当?」


 思わず吹きそうになった。そんなことはおくびにも出さなかったものの。
 この子、信じてらっしゃる……!

 あはは、と乾いた笑いを零す。え、いや、あの……え? 本気?


「……や、え、レン?」
「何」
「……目からロードローラーは、出ないと思うけれど……」


 彼は不服そうに表情をゆがめ、じゃあ、と続けた。


「アイスは?」
「……出たら凄いよね」
「ネギ」
「ネギがにゅるんって出てきたら経済的に楽になれるよね」
「……ワンカップ」
「涙はお酒なんですか」


 レンの表情が不貞腐れたようなものになる。あ、どうしよう、本当だよ! 出るよ! と言えば良かったのだろうか。今後悔しても後の祭りなんだけれど。後悔先に立たず、って本当に良く言うなあ……。

 心の中でそんなことを考えながら、レンに謝罪をする。


「ごめんね」
「何が」
「や、夢を壊しちゃったかなー、って」
「別に」


 怒っている。絶対に。返す言葉が少ないのが何よりの証拠だろう。
 どうすれば彼の怒りを収めることが出来るのだろう。何も思いつかない。小さく息を吐くと、吐息に乗せるような大きさの、透明な声音が耳朶に届いてきた。


「……信じて、ない、からっ」
「……」


 レンはこちらを振り向いて、恥ずかしそうに呟くと直ぐに動画へと視線を移した。
 正直、先ほどの反応ほど“信じていた”ことを如実に表す行動は無いだろう。けれど、まあ、そんなことを言って怒らせるのもあれだし、彼が信じていないといっているのだから、その言葉を信じるべきだろう。
 気付かれないように微笑を浮かべ、はそっか、と囁くように口にする。


「信じて、ないからなっ」
「うん、わかってる」


 何だか可愛らしいなあ。こらえ切れず、笑い声を零す。その声は、きっとレンに聞こえていたのだろう。彼の顔が振り向く。をじろりと睨みつけた。唇を尖らせて、不満げな表情を浮かべている。
 ごめんごめん、と小さく呟いて、インターネットを閉じ彼の頭を撫でる。彼はぽっと頬を赤らめると、「別に、良いけどさ」と続け、俯いた。
 それに可愛さを感じて、は又、笑みを堪えきれなかった。



続く

2008/05/25

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