きっと、嘘 08


 今日はケーキ屋さんへ寄って帰った。何故かというと、今日はの誕生日だから──、というしか無い。やっぱり誕生日は甘いものでお祝いしたいよなあ、なんて思ったんだ。ちなみに買ったケーキは二つ。レンとの分だ。……レンは食べられないけれど、なんとなく買ってしまった。
 家路を急ぐ。家へ着いたのは寄り道をしたからか、いつもより遅い時間だった。レンは怒るだろうか。そんなことを考えて苦笑を浮かべつつ、玄関の扉を開けて、パソコンのある場所へと歩を進める。ケーキは冷蔵庫へ閉まった。また後で食べようと思う。

 電源ボタンを押す。途端に読み込みを始め、パソコンがゆるゆると立ち上がっていった。
 少ししてモニタにデスクトップが表示される。レンが右横から出てきた。少しだけ、不機嫌を表情に浮かべていたものの、と視線を合わせると、笑った。
 照れくさそうに頬を人差し指で掻いて、ますます笑みを深くする。彼の淡紅色の唇が開いた。


「誕生日、おめでと」
「ありがとう。……覚えていてくれたんだー」
「そりゃあそうだろ。忘れるわけない」


 自身満々に言い切られた言葉に、なんだか嬉しくなってくる。浮かんでくる笑みを抑えきれずに零すと、レンの頬が赤く染まった。彼は慌てて取り繕うように言葉を発する。


「そ、その、最近聞いたばっかだし! 別に、の誕生日だから覚えていたって訳じゃ──」
「そっか。でも嬉しいよ。ありがとう」


 マウスを動かし、カーソルを彼の近くへと持っていく。それだけで、レンは何をされるのかが分かったようで、頬を益々、淡い色に染めて恥ずかしそうに俯いた。
 右クリック。レンの頭へと動かし、優しく撫でるように動かす。彼の髪の毛が金糸のように挙動に沿って、柔らかく動いた。優しげな色を持つそれは、とても良く彼に似合っていると思う。
 レンは小さく声を漏らして、嬉しそうに微笑んだ。カーソルを離す。レンはちらりとカーソルへ視線を向けた後、へ瞳を向ける。
 月光のような色の狭間から、青い夜霧のような色が覗く。

 レンは、細く息を吐いた後、意を決したように拳を作り、へと言葉を発した。


「あ、あの! オレ、に、その、プレゼント、が……」


 どもりながら声に出された言葉。首を傾げて見せると、レンはとたんに居心地悪そうな様子を見せた。彼の瞳が伏せられる。レンは色々な方向へと視線を飛ばし、大きく息を吐いた。


「その、歌……唄う、ね」
「歌?」
「そう。その、一応練習したけれど、オレ、自分の声がどんな風な音を出しているかは良くわかんないし、調教もしていないし、音階も決めてないから、下手だろうけれど──」


 レンの真摯な瞳がまっすぐに向かってくる。彼は微かに音を立て息を吸うと、言葉の続きを口にした。


「聞いてくれる」


 語尾を上げ調子だったものの、有無を言わさない声音だった。頷くと、彼は嬉しそうに頬を弛緩させて、それから真面目な表情を浮かべた。
 レンはそっと息を吐き、それから淡い色の唇を開く。隙間から漏れ出たのは、誰もが良く知っている、誕生日を祝う歌だった。

 レンの快活な声音で紡がれる歌。本当に──何度も何度も聞いたことのある曲なのに、何度聞いても飽きないのは何故なのだろう。それが今まで好んで唄われてきたゆえんなのかもしれないけれど。
 レンの声音は弾むように軽く、はっきりとした言葉を紡ぎだしていく。僅かに声が上ずるところがあったのは、多分、彼が調教などされていない状態で──つまりは自然な状態で唄ったから、なのだろう、と思う。よくは分からないけれど。

 歌が終わる。レンは恥ずかしそうに頬を染めた。火照っている頬の熱を取り払うためか、手の甲を当てている。
 それからちらりとへと視線を向けて、すまなさそうに俯いた。


「──ごめん」


 彼の弱弱しい声が漏れてくる。何がごめんだというのだろう。首を傾げつつ、言葉を発する。


「どうして。凄く嬉しいよ、本当に。ありがとう、レン」
……」


 思ったとおりの言葉を正直に告げると、レンと視線が交わった。彼は悲しそうに表情を歪めて、けれど気丈に笑みを作って見せる。
 吐息を吐くように紡がれた言葉は、注意をしないと聞き取れないほどに小さかった。


「オレ、こんなことしか出来ないんだ。何か、形に残るものをあげられたら、それが一番良かったんだけれど」


 残念そうに紡がれる言葉に、苦笑を禁じえない。は指先をいつものようにモニタへとぶつけた。こつ、と無機質な音が鳴る。レンがを見て、不思議そうな表情を浮かべた。


「今さっき、本当に嬉しかったんだよ。別に、形が残る云々はあんまり気にしないし、第一」


 モニタを触っていた指を離し、レンへと突きつける。彼は驚いたように身を竦ませ、の瞳と指先へ交互に視線を向かわせた。その様子がおかしくて何だか笑えて来る。


「レンがの為に唄ってくれたなら、それが一番嬉しいプレゼントだよー」


 前にも言ったとおり、レンのこと好きだし。──そう続けてから、ちょっと失言をしたかなー、と思った。レンのこと、好き、ねえ。別に嘘では無いので、言葉を言い直そうとはしない。
 レンは一瞬だけ嬉しそうに笑みを浮かべた後、口を金魚のように開閉させて、を指差した。


「な、そ、……っ」


 レンはひとしきりドモった後、一度だけ大きく息を吐き、から顔を背けた。恥ずかしさを無くそうと努力しているのか、腕を顔につけ、細く息を吐く。
 それから少しして、彼の頬の色が褪せてきた頃、彼はぽつりと呟くように言葉を発した。


「……ありがとう……」
「こっちこそ、ありがとう。きっと忘れないから」


 軽く笑って返すと、彼は小さく頷いた。何だか微笑ましい。頬が弛緩するのを抑えきれず、しまりの無い笑みを浮かべてしまう。
 ニヤニヤと笑っているところを見られるのは、少しだけ恥ずかしいので、もレンから顔を背けた。後ろを向き、周りを見渡す。普通の部屋。
 そっと息を吐き、はケーキのことを思い出した。椅子から立ち上がると同時に、レンの焦ったような声音が響く。


「も、もう終わるの……っ」


 疑問を孕んだ声音に、笑みを浮かべながら否定をする。レンはだったらどうして、と続けてモニタへと手のひらをくっつけた。新緑が揺れ、彼の声音に震えが混じった。
 どうしたのだろう、と思いつつ安心させるように笑みを浮かべて、ちょっと待ってて、とだけ言い台所へと向かう。

 冷蔵庫からケーキを取り出す。の好きな種類のケーキだ。見ているだけでお腹がすいてくる。それらを二つのお皿にフォークと共に乗せ両手にもつ。そのままパソコンの前へと向かい、キーボードを少しだけどかして置いた。レンがケーキへと視線を向けて、それから怪訝そうな表情を浮かべる。小首を傾げ、彼は問い掛けてきた。


「……二つも食べるわけ?」
「食べません。こっちはレンね」
「……はあ?」


 呆れたように大きな声で叫ばれた。なんか酷い。心が傷ついた。眉をひそめ、彼を見据える。レンは腰に手をあてて、気位の高そうな表情を浮かべると、言葉を続けた。


「なに言っているんだよ、オレは食べられないって知ってるだろ」
「うん」
「だったら、何で──」


 頷くと、レンの語調が荒くなった。なんだか困ったことになったような。苦笑を浮かべると、彼は言葉を止め、ぐっと押し黙った。
 視線でどうして、何で、と問い掛けてくる。
 は自分の買ってきたケーキを見て、弁解のように言葉を発した。


「食べられなくても、自分の好きなものは分け合いたいって思わないかな」
「……」
「幸せのおすそ分けです。……でも、そうだね、レンは食べられないもんね。こんなの目の前に置いてたら逆に拷問だよね。ごめん、冷蔵庫へ入れてくるよ」
「……べ、別に、そこまでは言ってないけれど……」


 レンの瞳がまっすぐにへと向かってくる。彼は大きく溜息を吐くと、肩をすくめて見せた。困ったような笑みを浮かべて、言葉を続ける。


「お金、かかるだろ。こういうの。それなのにオレの分まで買ってきてさ。……馬鹿?」
「馬鹿、そうだね、馬鹿かもねー」


 笑って返すと、レンは大きく頷いた。……ちょ、あの、傷つくんですけれど! 一応自分で肯定したとは言うものの。苦笑を浮かべると、レンはモニタを指先で突付いて、意地悪そうな笑みを浮かべた。
 口唇の端を微かに吊り上げた、笑み。


「馬鹿。ほんと、馬鹿だよ」


 馬鹿馬鹿と、あなた本当にもう……! クリックしてやろうか、なんて考えてしまう。
 どうやら、クリックされるとレンに何かしらの痛みが加わるらしい。どれほどの痛さなのかはわからないものの、いつも気位が高い彼が悲鳴を上げるくらいなのだから、相当痛いのだと思う。
 ……クリックしまくったら、嫌われるか。流石に。

 レンが馬鹿、という言葉を言わないようにどうしたら良いのか、なんて会議を頭の中で繰り広げていると、優しげな声音が耳朶を吐いた。
 脳内へ行っていた思考を戻し、レンを見る。彼は先ほどとは違う──柔らかな雰囲気を持つ笑みを浮かべていた。


「でも──」


 言葉が止まる。レンは微かに伏せていた瞳を上げて、と視線を合わせた。嬉しそうに笑う。


「──嬉しい。ありがとう」
「……良かったよ、喜んでくれて」


 安堵の溜息をつくと、レンはおかしそうに笑みをますます深くする。それから、指先をケーキへと向け、首を傾げた。
 食べないの、とやはり淡い感情が滲んだ声音で問い掛けられ、は微かに笑みを浮かべた。


「食べるよ。いただきます」
「うん」


 フォークをケーキに刺す。弾力のあるスポンジに切り込みを入れ、はケーキを口に運んだ。美味しい。思わず頬を緩ませて笑みを浮かべていると、レンの問いを投げかけるような口調が聞こえてきた。


「……美味しい?」
「うん、かなり」
「そっか。オレも一緒に食べられたら良かったんだけれど」


 問いに素直に返事をすると、レンの苦いものが混じったような笑みが瞳を捕らえてくる。彼はそっと吐息を吐くように続けると、モニタを指先で突付いた。眉を潜め、彼は悲しそうな笑みを浮かべる。
 なんとなく思い立って、はレンの指先があるところへ自分の指先をくっつけた。レンが驚いたような表情を浮かべてを見る。
 何してるの、とでも言う様に彼の唇が動いた。は何となくある映画のテーマソングを口ずさみ、笑う。


「指先です。宇宙人ですよ。怪我を治してあげます!」
「何言ってるんだよ……」
「あれ、知らない? 有名な映画だと思うんだけれど」


 首を傾げて見せると、レンはおかしそうに笑った。微かな笑い声がスピーカーから漏れてくる。その後、口唇の端に笑みを乗せて、続ける。


「知らないよ。有名なの?」
「そりゃあ。見たことある人もいっぱい居るんじゃない」
「それにしても今さっきの鼻歌、何」
「その映画のテーマソングだよ」
「おかしいの」


 レンの頬が柔らかな色に染まる。彼はそっと目を細めて微笑んで見せると、指先でモニタを叩いた。叩く音は何故か聞こえない。ただ、きっと、彼の耳には硬質な音が響いているんだろうなあ、とは思う。
 レンはひとしきり嬉しそうに笑った後、をじっと見つめた。翡翠が揺れる。


「──凄く、幸せだよ」
「そっか」
「うん」


 頷いて、彼は困ったような笑みを浮かべた。オレ、駄目だな──そう続けて、頬に手の甲を当てた。何が駄目なのだろう。疑問を胸に蓄積することなく、言葉に出す。
 すると彼は、はにかむように笑って見せた。


の誕生日なのに、オレばかり幸せになってる」
「そう? も幸せだけれど」


 そう続け、はモニタから指先を離した。レンが頬に当てていた手を下ろし、お腹の前で服を握る。しわが出来ますよ、なんて場違いなことを考えてしまった。彼は続けて困ったように笑う。


「ほら、駄目だよ。やっぱりオレばかり幸せになっている」
「……どうして?」
「だって」


 レンの視線がを捉える。彼はそっと微笑むと、


が幸せなら、オレはもっと幸せだから」
「そう? なら、もレンが幸せならもっと幸せだな」
「真似するなよ」


 険のある言葉を発するにも関わらず、レンの表情は嬉しさで満ち溢れていた。
 それに多少笑みを零しながら、はもう一度ケーキを口に運ぶ。ケーキは、口内にほのかな甘みを残し、喉の奥へと落ちていった。


続く


2008/06/01
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